宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 9月第2週

2002.9.14(土)

 スポーツ3題。

 今朝は、曇り空の東京で、渋谷秘書と「中野コース」を走った。気温が低く、実に走りやすい。リズムに乗っているので、疲れを感じることもない。久し振りに、気分の良い走りだった。

 大相撲が気になるのは、何年ぶりのことだろう。もちろん、再起を賭けた貴乃花の戦いぶりから目を離せないということである。実は、私はデビュー当時から、貴乃花のファン。今場所の貴乃花は、ファンでなくとも心から応援したくなる。それはそうだ。横綱としての進退を賭けて、悲壮感漂う土俵を必死で続けているのだから。

  今日は、リアルタイムで栃の洋戦をテレビ観戦していた。勝つには勝ったが、決して楽勝ではない。こんなに力を出し切って、15日間もつのだろうか。7場所も休んでいて、体力が落ちているだけでなく、相撲勘がなくなっているはず。にもかかわらず、勝ち星をあげているのは、気力以外のなにものでもない。見ている私のほうに、力が入る。勝てば勝ったで、負ければ負けたで、感激で一杯になる。どうか、このまま、なんとか今場所を乗りきって欲しい。そう願わずにはいられない。

  そして、スポーツの3題目が、ベガルタ仙台。最後に勝ったのがいつだったか思い出せないほどに、勝ち星から遠ざかっていた。今夜は、対横浜マリノス戦。後半戦2戦全敗とはいえ、強豪であり、負け癖のついているベガルタ仙台では、勝てそうもない相手のような気がしていた。

  ところが、今夜のベガルタは、このところの試合にないような、気力みなぎる戦いぶりであった。前半にマルコスのあげた虎の子の1点を守り切って、堂々の勝利である。本当に久し振りに、仙台スタジアムから意気揚揚と引上げることができた。選手みんなに、ありがとうと言いたい気持ちである。


2002.9.12(木)

 朝、出勤したら、県庁の玄関で、一人の女性が私を待っていた。先日の川崎町での「ふるさと懇談会 知事さんあのね」に出席していた方。知事さんに、是非謝りたいということらしい。「あそごで、わだし、76歳って知事さんに言ったげど、ほんとは80歳なんです。そのごど、あやまんなくては」ということであった。いまどき、なんと言おうか、こんなに律儀な方もいらっしゃるんだと、感激し、恐縮してしまった。

 昼前には、来年秋の開院をめざして建設中の、県立子ども病院の工事現場に行って来た。県庁の担当職員と建設業者、設計業者が、綿密に話し合いながら工事を進めている。「元気の出るファミリーホスピタル」というコンセプトの下に、外部の専門家の意見を聞きながら、チームプレイで仕事をしている様子に、私とすれば、とても頼もしい思いである。病室の試作品を作って、50人を超える専門家に意見を求め、直すべきところは直すということにして、実際に設計変更もしている。その発想と、方法論がいい。必ずや、多くの人たちの期待に応え得る子ども病院になることを信じて疑わない。

 夜は、球面ガラス磨きの金型製作で、世界的な特許を取った森由喜男さんのお祝いの会が居酒屋であった。森さんは、県の産業技術総合センターの技術職員というよりは、SMCでの私のランニングのコーチである。SMCのランニング仲間で、わいわいがやがやとお祝いをした。「森さんって、ただ走っているだけの人じゃないんだ」と、改めて彼の本業での活躍に驚くランナーもいた。


2002.9.11(水)

 9月11日。1年前のこの日のニューヨーク。同時多発テロで多くの尊い命が奪われた。夜、寝転がってテレビのニュースを見ていたら、テロップで「ニューヨークの貿易センタービルに航空機が衝突した」ということを伝えていた。そのすぐあとに、実況中継で2機目がビルに突っ込む様子が映像で流れてきて、ものすごい衝撃を受けた。そんなことが、1年経った今も、生々しく記憶によみがえってくる。まさに、情報化時代の経験であると、その時も思ったが、1年後の今日も、改めてそのことに思いをいたした。

 今日は、宮城県議会の開会日でもあった。補正予算の審議がある議会なので、開会冒頭に読み上げる提案理由説明も、それなりのヴォリュームだし、本会議で質問に立つ議員も、24名という多きに上る。それにしても、わが宮城県議会は、長野県議会とは、まるで違う。議員提案による条例も何本も成立しているし、正々堂々と政策論議が戦わされている。議会としての、本来の機能を発揮しているということになる。渡りあう知事としては、結構大変ではあるが、張り合いのある大変さである。  


2002.9.8(日)

 この週末、室蘭市に行って来た。青年会議所の北海道地区大会のフォーラムに出席するためである。「北海道の未来を明るくするためにはどうしたらいいのか」といったような問題提起である。そんなことにお答えできるはずもない。さりとて、17年前に2年間住んでいた北海道である。「そんなこと知らん」では済まないではないか。

 今や自民党参議院議員の舛添要一さん、北海学園大学の森さんが論者で、青年会議所OBで清水市会議員の風間さんが司会の2時間弱のフォーラムである。市町村合併のありかたの議論にだいぶ時間がとられてしまって、肝心の「どうやって北海道を元気にするか」の話はお留守になってしまった。私とすれば、「これを話すためにわざわざ宮城県からやってきたのに・・・」という気持ちが残ったが、仕方がない。それにしても、青年会議所の皆さんのがんばりには、頭が下がる。

 今朝は、室蘭の町を渋谷秘書とともに1時間ほど走った。この町を走るのは初めてである。鉄冷えで、ちょっと元気をなくしているとのことだが、なかなかきれいなところで、気持ちよく走ることができた。それだけで、十分に幸せ。

 室蘭からの帰り、仙台空港から、築館町の栗原文化会館に直行。「芸術銀河2002」のオープニングに出席のため。セレモニーだけではない。そのあとの、トークの司会も任されていた。お相手は、銅版画の山本容子さんと日本画の能島和明さん。

  山本さんは、面白い話をなめらかにする人であることは先刻承知していた。能島さんについては、トークの直前に、奥様から、「口数はとても少ないほうなので・・・」というメモをいただいていた。なんのなんの、そんなことはない。山本さんよりは口数は確かに少なかったが、とても面白い、印象に残る話を聞かせていただいた。それを引き出した私の司会だって捨てたものではないと、自負しながらだが、全体として、いいトークになったと思う。

  帰宅して、ベガルタ戦のテレビ中継にへばりついて応援したが、その甲斐なく延長Vゴール負け。いい試合だったから、結果はあまり言っても仕方がない。次の試合は、ぜひとも結果を出して欲しい。


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