宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 8月第1週第2週
2002.8.7(水)

 気力が湧かず、朝、起きず、起きられず。走りはなし。こういう日があってもいい。最近、会う人ごとに、「やせましたね」と言われる。事実そのとおり、3ないし4キロ体重が減った。「ひょっとして、なにか、重大な病気でもおありなのでは・・・」という意味も含んだ質問なのかもしれないが、ご心配なく。今年初めの、体重急増におそれおののいて、体重減らし作戦を敢行したら、あまりにも順調にうまくいったというのが真相である。

 明日から夏休みということもあり、秘書課軍団としては、今日のスケジュールは、かなり詰めこんだらしい。いつも以上に、次から次へと予定が組まれていて、少々疲れた。そのかわりというか、夜は、ベガルタ仙台の試合応援スケジュールも組んでくれていた。

  ベガ(織姫)とアルタイル(彦星)の名前にちなんで、「ベガルタ」と命名された。月遅れの七夕祭りの今日は、ベガルタ仙台にとっては、縁起のいい試合になるはずであった。

 ところが、ところがである。名古屋グランパスエイトという強敵には、運だけでは通じなかった。前半の早い時間帯に森選手が一発レッドカードで退場になったことも相当響いて、結果としては、1対4で完敗。次の試合には、今回に続いて、マルコスが出場できない。そして、今日のイエローカードで、岩本もダメ。一発レッドカードの森も当然出場できない。しかも、相手は、ジュビロ磐田。負けてもともとぐらいの気持ちで戦えば、逆に勝機が生まれるかもしれない。

 ということで、明日から夏休み。海外脱出なので、この日記もその間お休み。


2002.8.6(火)

 東北三大祭りだか四大祭りだか、そのひとつ、仙台七夕祭りが今日から始まった。そんなめでたい日に合わせて、胃カメラ、大腸内視鏡検診をすることもなかったのだが、そういう巡り合わせになった。

 毎年の恒例である。朝、5時に起きる。前日に用意しておいた、2リットルの水を飲み始める。水といっても、ただの水ではない。強制的に下痢をおこさせるための水で、特別な薬剤が混ぜられている。決して、おいしいとか、飲みやすいとかいったものではない。これを、朝の5時から始めて、2リットル飲むのである。2リットルといえば、ビールの大瓶3本分。

 今年は、知恵を働かせて、事前に汗をかこうと思った。そうすればのどが渇く、飲みやすくなる。1杯200cc飲み、ストレッチ。もう一杯飲んでから走り出した。途中で便意を催してはまずいと思い、1周1Kコースを走った。2周目で、ちょっと便意を催したので、走るのは中止。

 こういった「努力」もあり、結構すいすい飲んだ。今回は、妻も検診を受ける。だから、特殊な水飲みも、妻と競争。最初は、私がリードしていたのだが、後半伸びずに、妻に抜かれた。

 事前準備はどうでもいい。今回、とても不思議な体験をしたことを書きたかった。胃カメラ、大腸内視鏡の順番で検診を受ける。慣れたものである。まず、胃カメラを楽に飲み込むために、喉の麻酔のための液体を5分間、喉で受ける。ベッドに上がって、胃の動きを抑えるための注射、そして、精神安定のための注射を受けた。

 その安定注射で、ころっと意識を失ってしまったらしい。気が付いたら、胃カメラどころではない。大腸内視鏡検査も終わっていた。時計を見たら、1時間半経過していた。つまり、その間、私は完全に意識を失っていたらしい。検査を受けた記憶がない。胃カメラを飲むのだから、口を開けて下さいとか、指示があったはずなのだが、全く覚えていない。

 こんなことを長々と書くのは、私の人生で、こんなに長い間意識を失っていたことは、初めてだからである。酒を飲んでも、意識を失うほどに酔ったことがない。眠っていても、何かやられれば目を覚ます。今回は、胃カメラを飲み、内視鏡を入れられても、全く気が付かなかったということが、私にとっては、とても不思議な体験なのである。ともあれ、記憶がないぐらいであるから、痛くもかゆくもないままに検査が終わった。そして、結果といえば、胃も、腸も、完全無欠の正常状態。美しいと形容すべきほどとのこと。ありがたいことだ。これで、これから1年間、安心して暮らせる。

 午後からは、仕事に戻ったが、意識は完全に取り戻し、完全無欠の仕事ぶりであったと、本人は信じつつ、一日の仕事を終えた。今日の一日の終わりのほうでは、七夕のパレードで、オープンカーに乗って手を振るという、これまた毎年恒例の行事があった。暑くはあったが、祭りはこれぐらいでなければ調子が出ない。天気に恵まれ、七夕初日は、すごい盛り上がりの中で暮れて行く。


2002.8.5(月)

 このところ長い距離を走っている。今日ぐらいは休もうかと思ったが、目が覚めてしまったので、ちょっとだけ走ることにした。ふつうは17分半ぐらいかけて走っている3Kコースを、速めに走ってみたら、14分55秒だった。曇り空なので、日焼け止めクリームはいらない。お日様の出ているときに、クリームつけないで走ると、日に焼けて、それがシミとして顔に定着をする。「太郎を眠らせ 太郎の屋根に 雪降り積む」、「史郎を走らせ 史郎の顔に シミ降り積む」。

 ふだん通りの月曜日の午前中。定例記者会見では、今日から稼動の住民基本台帳ネットワーク、米の減反政策、ペイオフ解禁の見直しなどについて質問があった。質問が長引いて、そのあとの県議会議員有志からの要請の開始が遅れた。その要請活動も予定より長引いて、結局、私の昼食時間が短くなった。別件の説明は、昼食を摂りながら。そのあとすぐ、別な説明、そして1時からは政策会議と続いた。昼の時間にこれだけ続くのは、珍しい。

 政策会議のほうは、予定より早く終了。おかげで別件の打ち合わせ、指示の時間を取ることができた。明日のことがあるので、早めに帰宅。食事を済ませて、七夕前夜祭の花火大会を我が家の庭にて楽しむ。例年のことだが、風はそよとも吹かないので、花火の煙が空に残り、そこに打ち上げた花火は、煙の中に埋もれてしまう。だから、「お見事」というところまでいかないのが、残念。

 「明日のこと」というのは、恒例の胃カメラと大腸内視鏡検査のこと。早目に、少な目に、夕食は済ませて、今夜は早く寝て、明朝は早く起きて、腸内を空っぽにするための薬の溶けた水を多量に飲まなければならない。おやすみなさい。


2002.8.4(日)

 2日(金)から東京方面にでかけていた。 まずは、この日は、東京パレスホテルにて、「ブロック圏の時代」という5県知事のパネルがあった。「知事サミット」と銘打たれているのは、ちょっと大げさ。「ブロック紙」と呼ばれる、北海道新聞、河北新報、中日新聞、中国新聞、西日本新聞の共同開催で、それぞれの新聞の中心となる道県から知事が揃った。つまり、北海道の堀知事、私、岐阜県の梶原知事、広島県の藤田知事、福岡県の麻生知事。

  休憩なしの2時間45分。途中で帰る人や、居眠りしている人もほとんどなかったのだから、この長丁場でも、結構面白い議論を展開できたことになるのだろう。話題は、東京一極集中、地方分権、公共事業のありかたなど、「地方の時代」を強調したものであった。

  翌3日(土)は、千葉市の幕張メッセにて、第4回ユニットケア全国セミナーに参加。ここでも「知事放談」ということで、2時間。メンバーは岩手県の増田知事、栃木県の福田知事、千葉県の堂本知事、三重県の北川知事、鳥取県の片山知事、高知県の橋本知事と宮城県の私。私に言わせれば、共通点はよくしゃべる知事、北川知事に言わせれば、変わり者の知事。一応、ユニットケアについて話すということだったのだが、それ以上に話題は広がった。

  1500人の生の聴衆、プラス、テレビ中継を見ている間接聴衆、計3000人の参加者という、とんでもない規模のセミナーである。前回はわが宮城県で開催した。仙台の「せんだんの杜」の池田昌弘さんなど、元気な仕掛人が走り回って、こんな大掛かりなセミナーを開催してしまうのだからすごい。幕張メッセの使用料金は、1500万円とのこと。参加者は、高齢者の施設介護の「革命」と言われているユニットケアについて学びたい、最新情報を知りたい、人的ネットワークを作りたいということで、手弁当でやってきている。そんな熱気を今回も感じてしまった。

  「知事放談」のメンバーで、事前に、千葉県のユニットケア型特別養護老人ホーム第1号、「風の村」を視察。八街市にあるこの施設、2年半前の開所式にも私は来ている。運営する社会福祉法人の理事長が、旧知の池田徹さん。彼は、14年前、私が厚生省社会局生活課長当時、生活クラブ生協ちばの専務理事であった。私の知事就任後も、ことあるごとに一緒に遊んだり、選挙応援したり。「老人ホームの開設に関わっている」と聞いたのが、7年ほど前。5年間の熱心な討議・検討を経て、この「風の村」の開設に至ったのである。

  このセミナーの千葉県での開催にとても熱心に取り組んでいらっしゃったのは、堂本暁子千葉県知事で、名誉実行委員長として縦横無尽のご活躍であった。「知事放談」はもちろん、夜の全体懇親会、知事だけの食事会も、全力投球。そして、この日の最後は9時20分からの記者会見。結局、セミナーの実行委員長を務めた池田徹さんをつかまえて、ねぎらいというか、旧交を暖める機会を持つことができたのは、夜もだいぶ更けてからになってしまった。

  今回の出張でも、渋谷秘書とともに走った。ふだんあまり走らないコースは、新味があってよい。3日(土)は、神宮外苑を経由して明治神宮まで足を伸ばすコース。4日(日)は、幕張の海岸づたいに稲毛海岸を経て、千葉市の中央卸売市場の往復コース。歩道の道幅も広く、とても走りやすく、リズムに乗ることができた。いずれも、1時間コース。汗はたっぷりかいたが、走りの楽しさを堪能した。

  ベガルタ仙台は、サンフレッチェ広島相手に4対2で勝利。後半戦再開後4連敗という不振に歯止めをかけた。土曜日のホームゲームだったが、私が結果を知ったのは、日曜日。7日の対名古屋グランパス戦は、仙台スタジアムに応援に行くつもり。


2002.8.1(木)

 8月になった。猛暑到来である。今日は、仙台での最高気温が36℃を越えたという。私の記憶にないぐらいの高温である。朝、走るのを断念した。今日は、政策会議が一日中あるので、疲れを残してはならない。そんな配慮からである。同じ距離を走っても、気候のいい時に比べて、炎天下では、疲れ方が2、3倍になる。

 そして、その政策会議。朝9時から、夕方5時まで。なんとか集中して対応することができた。来年度予算の,基本的な方向性を決める大事な場である。部局長をはじめ、全員参加の大会議である。おろそかにはできない。

 夜は、やはり、ご褒美がなければならない。私が「非常勤職員」を務めている、ラジオ3の親会社、プレスアートのビアパーティ。そのあとは、2代前の秘書の菅原さんを誘って、久しぶりに一杯。

 暑い暑い8月の一日が、こうやって暮れていく。


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