宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 7月第3週
2002.7.20(土)

 この日記、毎日書くのをやめてからほぼ1ヶ月になる。それまでは、日記を書いて一日が終わるというのが、生活のリズムだったのだが、それが崩れた。ホームページ上でアップする役の妻にとっても同じ。どうも調子が狂うようだ。「今日は書かないの」という妻の声に促されて、今日の日記は書いている。

 今週は、外へ出ている日が多かった。16日(火)から東京で、そのあと18日(木)の沖縄県での全国知事会に出席。仙台に帰ってきたのは、昨日19日(金)であった。これまでは、出張の時はパソコンを持っていって、現地から日記の入力をしていたのだが、「毎日更新」をやめたこの一ヶ月はそれもなし。

 
 沖縄県名護市での全国知事会は、昨年の福島県での知事会に続いて、なかなかに活発な意見交換であった。47都道府県中、知事本人出席が39人。結構いい打率である。総会では、その半分以上が発言した。私も数回発言の機会があった。
写真左、赤い屋根が今回の全国知事会会場となった「万国津梁館」。かつて沖縄サミットが開催された会場である

   地方への税財源の移譲、法人事業税への外形標準課税の導入の推進、ペイオフ解禁への疑義、高速道路建設抑制への不満などについて、発言する知事が多かった。東京都から緊急提案されたカジノ合法化への国に対する要請は、いろいろ意見があってまとまらず。そもそも、突然そういう提案が総会の場に出されても、とまどうばかりである。実は、これは私が表明した意見。

 総会の後の分科会(地方への税財源の移譲)の座長を務め終えたところで、私は最終便で東京に行かなければならなくなった。よって、楽しみにしていた懇親会への出席は叶わず。

 その日の朝のジョギングが、沖縄の美しい海を眺めながらの最高に素晴らしいコースであった。沖縄でのいい思いは、これにて満足しなければならない。そう思って、あきらめがついた。

 今日の土曜日は、なんと、4週連続の宮城大学コース。往路1時間、復路は58分台であった。曇ってはいたが、高温、高湿度で、汗を多量にかいた。

 今日の仕事は、気仙沼市での、合併に関するシンポジウムにて、パネリストとしての参加。会場のホテルの冷房が、参加者が多過ぎて効きが悪い。暑さで少々疲れた。


2002.7.15(月)

 朝から激しく雨が降っていた。台風6号の爪あとがまだ残っている時に、台風7号が追い打ちを仕掛けているというような状況である。なんとか、直撃は避けてくれればいいのだがと思う。

 第292回県議会は、本日閉会。議員提案の自然エネルギーに関する条例が成立したり、一般質問には19人の議員が登場したり、最終日の今日は、選挙の定数是正に関する条例案が二案提出されて投票に付されたり、ともかく、なかなかに活発な議会ではあった。他の都道府県議会の中でも、一味もふた味も違う。そんな意味で、感慨深い。

 同じ議会でも、長野県議会において、田中康夫知事に対する不信任決議が可決されて10日目。今日の夜12時までに、田中知事が議会を解散しないと知事の座を失職する。そして、本日の記者会見で、田中知事は失職を選択した。来るべき知事選には再出馬するという。

  だいたい予想された判断である。今日の記者会見で、「浅野知事としてはどう考えますか」という質問を受けたが、基本的には、私がどうこう言うべき問題ではない。そのように答えた。素っ気無く聞こえただろうが、仕方がない。こうなったら、不信任決議をした長野県議会としては、はってもずっても、対抗馬を出さずばなるまい。そして、田中康夫さんとしては、その対抗馬と堂々と渡り合ってもらいたい。


2002.7.14(日)

 昨日、またまた宮城大学方面への2時間走を敢行。これで3週連続になる。今までは小雨の中だったり、走る条件としては恵まれていたが、昨日はかんかん照り。日焼け止めクリームを塗り、いつもとは反対側の歩道を走った。日陰の効用を初めて認識したということ。往路1時間で県の産業技術総合センターまで、復路は59分32秒。暑さを考えれば上出来。走って失われた水分が1.4`。それもあり、またまた21世紀の最低体重を記録してしまった。

 そのあと、「みやぎ女性人材セミナー」にて16名の女性を前に1時間の講話、東京のプレスセンターでの日本自治学会でのパネル・ディスカッション「さらなる分権改革」に参加。地方制度調査会の諸井虔会長、地方分権改革会議の西室泰三議長とともにパネリストを務めた。

 仙台に戻って、全国重症心身障害児者を守る会の懇親会、その最後の場面に間に合った。帰宅をしたら、「とことんエルヴィス」という5時間にわたる番組をBS2でやっていた。妻に「エルヴィスファンを自称するからには、当然見るべし」と言われたが、「秘蔵映像」はすべて私が持っているものばかり。全部見たら、12時を回ってしまう。それもあって、途中で断念。横浜でのベガルタ仙台は、0対2で敗戦、残念。

 日曜日の朝。前日の懇親会で、岡山市にある重症心身障害児施設「旭川荘」のドクター、末光茂さんに会った時に、「日曜の朝、6時半、源吾茶屋にて」とお伝えをしておいたのだが、その時間にちゃんといらしていた。わがSMCに特別参加である。

 60歳の末光さんは、2年前まで「サブスリー」だった。つまり、フルマラソンを2時間台で走るということ。月間走行距離は400`、レース前は600`。今朝も、我々と一緒ではまだるっこいのか、先頭集団に飛び出していった。いやはや、すごいランナーである。改めて、圧倒された。

 走ったあとの汗も完全に引かない時間帯、9時から1時間、重症児を守る会の全国大会にお集まりの1200人の前で、「基調講演」をさせてもらった。平成元年に出版した、私の最初の著書「豊かな福祉社会への助走」を今朝読み返したら、そこに昭和63年6月に横浜で開催された全国大会で、私が基調講演をしたものが載っていた。演題は「重症児こそ私の原点」というもの。あれから、14年。今回の演題は「福祉の原点」であった。

 重症児を守る会の北浦雅子会長は、私の母親と同年代だから、80歳を越えている。今日の開会のご挨拶でも、守る会のあるべき姿を、短い言葉できっぱりとお話されていた。14年前と、少しも変わっていないなと、深い感慨にとらわれた。

 おやおや、思わず知らず、長い日記になってしまった。


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