宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記 4月第2週
2002.4.13

 1週間ぶりで恐る恐る走ってみた。どこかが痛くて走りを自粛していたわけではない。走り過ぎからきたガタを癒すための休養であった。3キロをゆっくりゆっくり走った。その様子を見た人は、思いつめたようで真剣な、そして不安そうな顔で走っているなと思ったことだろう。走り終わっても、どこも痛い所はない。不具合もなし。第一次試験は合格。それにしても、あと1週間でつばきマラソンの本番。間に合うかな。

 完全休みの日ではあるが、「知事への手紙―知事さんあのね」の返信の仕事がたまっている。4月号の「県政だより」に用紙がついているので、今月はお手紙がどっと届いた。平成6年度から始まったこの企画だが、9年目を迎えても、当初と変わらないぐらいの数のお便りが来る。年間1000通以上。そのすべてに目を通して、9割以上に返信を私自らが出す。最近は、「一応、読ませていただきました」ということを伝えるだけのものになっているが、それでも結構な仕事量にはなる。今日だけで、150通以上を読み、そのほとんどに返事を差し上げた。

 午後からは、寝転んでテレビでの野球観戦。横浜相手に、阪神は、今日は負け。好投のムーアを6回までしか投げさせなかったのが敗因だろう。こういう使い方をすると、ムーアの次ぎの登板にまで響く。えらそうなことを言って、星野監督ごめんなさい。

 夜は、中学校の同級生の良子ちゃんがやっていた料理屋の店じまいというので、顔を出してきた。よく利用させてもらっていたが、そういえば最近はそれほど使っていなかった。昔なじみのメンバーが大勢集まっていたが、毎晩こういう状況なら、閉めることもなかったのに・・・。そうはいかないから、閉店は仕方がないのだろう。


2002.4.12

 年に一度の公所長会議。公所長会議は、県庁の課長、所長以上の幹部の会議である。年度の始めに、これから1年、どういう方針で仕事をするかという確認をする機会。午前中の全体会議では、私をはじめ三役から話をする。私の場合、持ち時間は30分。思うところをすべて伝えたいということで、ついつい早口にまくし立ててしまう。宮城県として、誇りの持てる県政を進めていこう、宮城発の施策、宮城モデルと言えるシステムを発信するために力を貸して欲しい。そんなことなどを話した。

 午後は、各部局にわかれての討議、情報交換。今年度は、土木部と教育庁の会議に私も出席をして、意見交換をした。教育庁では、みやぎらしい教育をどう進めるかについて、私の考えを述べる機会を持つことができた。それを深める作業は、これからである。

 そして、夜の部。それぞれ懇親会を持つのだが、律儀にも、私はそのすべてに顔を出す。9ヶ所を回って飲み交わしたが、さすがに疲れた。

  帰宅して、テレビで阪神対横浜戦の応援。なんと、今日も井川が完封。1対0という、しびれるスコアで勝ってしまった。これで、10勝1敗。どこまで続くこの快進撃。

  渋谷秘書から、今日までは走るの自粛して下さいと言われていた。だから、明日は走る。今月になって、走るのは2回目である。期待半分,不安半分。


2002.4.11

 宮城県漁業協同組合連合会の方々が、韓国産かきの宮城県産かきへの混入問題に関して、要望に来られた。混入されているのに、純粋宮城県産かきとして流通しているとすれば、虚偽表示であり、宮城産のブランドの信用に関わる。下手をすると、ブランドとしての存亡の危機となる。漁連の方々のご要望はそのとおりで、県としても性根を据えて実態の解明に努力をしなければならない。

 午後からは、昨日に引き続いて、各部局長との意見交換。つまりは、今年度、それぞれの部局でどんな姿勢でどんな仕事をするのかという決意表明と、私のほうで期待することと、その擦り合わせのようなものである。各部1時間ずつであるが、結構疲れる。

 久しぶりに、まだ明るいうちに帰宅して、わが阪神タイガースの応援をしようと思ったら、甲子園は雨のため試合が中止。これであの勢いがそがれることはないだろうが、ちょっと残念である。テレビの代わりに読書。梁石日(ヤン・ソギル)の「睡魔」を読んでいたが、題名どおり眠くなった。


2002.4.10

 朝は、わが宮城県庁の新任職員への研修の講師として、公務研修所へ。毎年、欠かさずこの講師は務めている。私にとっては、優先順位の高い仕事である。これからの宮城県庁を背負っていく若者に、旅立ちにあたっての心構えをしっかりと持ってもらいたい。そんな気持ちで、一生懸命に語りかけた。

 昼は、県政記者クラブの人達との懇談。知事公館での花見を兼ねて。今日は天気もまずまずで、ここ数年来で一番いい感じだった。ソメイヨシノは散りかけていて、風が吹くと花びらが頭上に舞う。いい風情である。

 夜は、ラジオ3の「シローと夢トーク」に出演。仙台フィルの長谷山博之さんにゲストで出てもらった。私より10歳以上若いのに、エルヴィス・ファンとしては気合いが入っている。生と録音と2本出演してもらった。

 文藝春秋社の文春新書から、「知事が日本を変える」が出版された。正式に書店に並ぶのは、あと10日ぐらいかかる。北川正恭三重県知事、橋本大二郎高知県知事との鼎談を一冊の本にまとめたもの。私は、あまり登場する場面がないが、尊敬する二人の知事と一緒に出させてもらっているだけで光栄である。書評のほうは、今日発売の「文藝春秋」で、榊原英資さんが書いてくれている。


2002.4.9

 仙台経済同友会の朝食会で講演を頼まれていた。宮城県の産業振興と財政問題について話してくれということだったので、大体その線に沿って1時間の講演となった。かなり大勢の方々が集まっていたので、少しプレッシャーを感じた。

 夕方は、三金会(在仙マスコミ各社の会)の皆さんとの意見交換会を知事公館にて。毎年、この時期にお花見を兼ねての行事である。ふつうは、4月半ばなのだが、今年は花の満開の時期が早まったので、急遽前倒しした。あいにくの雨模様だったが、窓越しに見る桜も一幅の絵画のような味わいがある。

 阪神タイガースは、今日からの本拠地甲子園での戦いにも勝って、8勝1敗。一体この好調はいつまで続くのだろうか。私のジョギング自粛も、もうしばらく続く。


2002.4.8

 4月8日と言えば、新学期である。うちの次女も高校三年生になった。時の経つのは早いものだと感じるのは、こういう時である。

 厚生労働省の新規採用者の研修の講師として、霞ヶ関にでかけた。こういう仕事は、私にとっては「権利ベース」である。21世紀を担う若き官僚達に、私の思いを直接に伝えたいという思いを抑えることができない。

 国家公務員としての心構え、行政における新しい動きなどについて、私の思うところを率直に話した。時代は変わっている。霞ヶ関も変わらなければならない。

 加藤紘一さんが衆議院議員を辞職する。状況を考えれば、仕方がないことだと思う。どうせなら、もっと早い時期の決断ができなかったものか。政治家とお金の問題。加藤紘一さんが辞めたからといって、すべて解決ということではないだろう。


2002.4.7

 一夜明けて、新聞には、ベガルタ仙台と阪神タイガースの連勝に関する記事が躍っている。「一夜明けて」というのは、昨日の試合。なんとベガルタ仙台は、横綱、鹿島アントラーズに2対0で快勝。これで開幕5連勝、Jリーグ記録を更新中。阪神は昨季の日本一ヤクルトを3対1で撃破して、開幕7連勝の球団タイ記録。いやはや気分がいい。河北新報に至っては、一面トップ扱い。それだけの価値ある快進撃である。

 一夜明けても、私の足はまだ不安含みである。よって、今朝のSMCは欠席。ここであせっても仕方がない。その自制を、妻が「えらい、えらい」と誉めてくれる。つばきマラソンには、やはり出たいので、ここは自制が第一。

 川上弘美の「ゆっくりさよならをとなえる」を読んだ。一風変わったエッセイである。不思議な魅力を感じる。   

  対ヤクルト第3戦。ついに阪神の連勝がとぎれた。NHKの中継を見ながら応援していたのだが、遠山がリリーフに出たところで、いやな予感がした。私はこの投手にあまり信頼を置いていない。案の定、ペタジーニに満塁本塁打を浴びてしまった。


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