宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記
2002.2.23

 東京連泊の2日目。昨日長い距離を走ったので、今朝は軽目に皇居一周。渋谷秘書は、「一応、大丈夫」と言っているが、疲れは残っているようで、あくまでもゆっくりめの走りである。

 私が28分44秒、渋谷秘書は32分台。ちょっと走ると汗が出るほどの気温の中で、それなりに気持ちのよい走りであった。

 寺島実郎さんとの朝食。彼からは、日曜日夜9時からのNHKスペシャル、翌月曜日夜10時からの教育TVのETV特集をぜひ見て欲しいとのこと。映像としても、NHKは素晴らしいものを撮ったらしい。ぜひ見たい。

 昼からは神戸にて、「全国宅老所・グループホーム研究フォーラム」に参加。第1回から第3回までは宮城県で開催していた。昨年、熊本県、今年が神戸。結局、私は皆勤賞である。本日は、井戸兵庫県知事、辻厚生労働省年金局長とのパネルディスカッション。

 これを終えて、すぐに大津へ。これもほぼ皆勤賞の「アメニティ・フォーラム」に出席のためだが、本日は懇親会のみで、本番は明日。

 いつも出張中の日記原稿はノートパソコンからphs接続で送信しているが、接続がうまくいかず、昨日、今日の分は手書きでのFAX送信になった。


2002.2.22

 昨夜は就寝が遅かったが、今朝の起床は予定どおり5:45。「予定どおり」というのは、渋谷秘書と「6:15発で行こうな」という予定を作っていたから。以前から計画していた「中野コース」を決行することにした。

 赤坂から新宿駅を通って、青梅街道を中野坂上まで。そこから山手通り沿いに東中野駅へ。なつかしの東中野銀座を抜けて、上高田住宅まで行ってしまった。8年前まで約6年間住んでいた国家公務員住宅である。そこまで渋谷秘書を引っ張ってきた。

 早稲田通り、小滝橋通りを経て、新宿駅前まで戻る。気温はかなり高いが、走りづらいほどではない。ベストの気候。結局、周遊の中野コースを1時間30分で走破。実距離で15Kは走ったろう。時間も距離も、渋谷秘書にとっては最高記録だったようだ。

 今や「ビットバレー」と呼ばれる渋谷にでかけて、サンブリッジ社のアレン・マイナー社長にオフィスをご案内いただき、懇切な説明を受けた。説得力のある流暢な日本語使いだけでなく、高い見識と新しいビジネス観に感銘を受けた。

 午後一杯は、北東地域首都機能移転総決起大会出席とその後の陳情・要請活動に費やされた。


2002.2.21

 今朝も気温が高い。汗をかきながら6K。広瀬川の堤防で計測したら、1Kを5分15秒で走っていた。このペースだと、ちょっと苦しい。

 行政改革推進管理委員会への出席、宮城県生協連役員との懇談などの仕事を午後4時過ぎまでこなして、東京へ。生協は、今から12年前、厚生省で社会生活課長として関わった。前任者からは、「浅野君、生協は無限の可能性をもっているところだよ」との言葉で引継ぎを受けたのを今でも思い出す。生協の活躍ぶりと役員の新しい発想、行動力、消費者哲学に多くのことを教えられた。仕事というだけでなく、一緒によく遊んだ。おかげで、今でも生協関係の友人が全国にいる。ありがたいことである。

 東京は、在京記者会との懇談のため。以前に、宮城県庁を担当していた記者の皆さんとの同窓会のようなものである。全国紙の地方版を担当していた記者の人達も、今では各社の中堅として活躍中である。宮城県に在職中には、いろいろやりあった記者ばかりであるが、いずれも熱心で有能であった。こちらとしても教えられることが随分あった。

 その記者たち、全部で21人集まってくれた。彼らみんな、宮城県のことを懐かしがってくれるのが、とてもうれしい。そしてありがたい。生まれた子供3人の名前を、すべて杜の都仙台にちなんで付けたという記者もいる。きっといい子に育つことだろう。


2002.2.20

 仕事への出発は8時半で、時間的に余裕があったので、今朝は8K走った。最低気温2.6℃、午前6時は3.2℃、日の出6時19分。つまり、走り始めでも、寒くなく、暗くないということ。春近しである。一日、一日新しい発見があり、春が一歩一歩近づいてくるのを感じる時期となった。

 今日のスケジュールは、自分ではそうとも思わなかったのだが、外目からは結構大変と見えるものだったらしい。一日の終わりに、渋谷秘書が、「知事も元気ですね―」と感じ入っていたのを聞いて、ああそうなのかと思った次第。

 朝は、大衡村での「ふるさと懇談会―知事さんあのね」の第49回目へ。知事選後初めて、今年度4回目である。午後4時まで大衡村にいて、その間、若手農業者との懇談や視察、そしてメインイベントである村民との懇談が2時間。すべて私が仕切り役、答弁役をするのだから、考えてみれば結構大変な役回りなのかもしれない。

 仙台に戻って、メディアテークで「ワールドカップ100日前イベント」のパネルディスカッションに出演。そのあとは、「シローと夢トーク」の生出演プラス収録1本。結局のところ、ずーっとしゃべりまくっていただけのことである。本人とすれば、むしろ快感であり、楽しい時間なのだが、外から見ているとそうでもないということらしい。


2002.2.19

 今日から、第291回宮城県議会である。予算審議があるので、ほぼ1ヶ月間の長丁場。代表質問が2日間6人、一般質問が4日間19人、そのほかに、予算特別委員会での質疑がある。

 初日は、私の提案理由説明の朗読と決まっている。こういう日は、しっかりと走って、気分の高揚を図り、ファイティングポーズをしっかりと決めておく必要がある。ところが、朝は小雪まじり。走って走れないことはなかったが、やめた。

 その県議会。傍聴席に妻と県庁幹部の奥様方の姿があるのは、いつもの風景である。それに加えて、今日は中新田町の鳴瀬小学校の6年生29名が傍聴に来ていた。渡辺先生のご指導の下、社会科の授業の一環としての県議会訪問とのこと。お父さん、お母さんの同行もあって、大にぎわいであった。

 48分間に及ぶ提案理由説明を読みながら、「この言い方では小学生に理解されないだろうな」と思うことしきり。そもそもが、独特の役所的表現であり、聞いている側から言えば、私の妻だって理解がむずかしい。ましてや、相手は小学生である。

 それにしても、今回の小学生の傍聴は、大変に有意義な企画である。渡辺先生もおっしゃっていたが、教室で憲法とか、地方自治とかを教わるだけでは得られない体験をしていったことだろう。本音のところ、29人の小学生がどんな感想を持ったのか、聞いてみたい気はする。

 午後からは、東京の日経ホールでの日総研フォーラムに参加。敬愛する寺島実郎さんが、昨年6月に(財)日本総合研究所の理事長に就任した。それを機に始まった研究フォーラムの、記念すべき第一回である。そこにお招きいただくだけで、まことに光栄なこと。「世界潮流と日本および日本企業の進路――再生への戦略基軸を求めて」というテーマでの2部構成であった。

 第1部は、筑紫哲也さんと西部邁さん。第2部は、榊原英資さんと中谷巌さんと私。いずれも、寺島自身がコーディネーターを務める。私を除いて、錚々たるメンバーで、さすがに気後れがしたが仕方がない。寺島実郎さんに頼まれて出てるんだぞと自分に言い聞かせていた。それにしても、午後1時半から6時まで、知的な刺激を十分に受けながらの陶酔の時間であった。何度聞いても、寺島さんの話には惹き込まれてしまい、酔ってしまう。


2002.2.18

 朝、走っているときに時々すれ違う年配の男性がいる。いつもは犬を連れての散歩だったのだが、このところ数ヶ月その犬の姿がない。ひょっとしたら、犬の寿命だったのかもしれない。その人と、今朝のランニングの時にすれちがったら、私の後を指差して、「うしろ見て、太陽が真っ赤」と叫んだ。

 朝のうち、ちょっぴり雨が降っていた。それが上がって、東の上空は水蒸気に覆われていた。水蒸気のフィルターを通して見る太陽は、見つめても全くまぶしくなく、オレンジ色に輝いていた。まさに、幻想的な景色。一年に何回あるだろうか。早朝に走っていると、こういった経験をすることがある。

 月曜日は、三役会、庁議、記者会見といった定番はあるのだが、時間的には、比較的余裕があることが多い。今日もそうだった。時間があれば、あれもこれもできるというわけでもない。結局のところ、スケジュールに追われての一日になった。

 一日の終わりは、一八会(いっぱちかい)。私の母校の仙台第二高等学校の第18回卒業のメンバーが、偶数月の18日に仙台市内の某居酒屋に集まるという会である。例年、2月は最もメンバーが少ない。多いときは30人以上になるが、今夜は10人。そのぶん、親しく話をすることができた。


2002.2.17

 日曜日の走りは、朝7時集合のサンデーマラソンクラブ(SMC)から始まる。SMCでは、11月から3月までが7時集合、4月からは6時半集合になる。どちらにしても、ウィークデイに比べて、少し遅くまで寝ていられるスケジュールである。

 穏やかな暖かい日和、春近しを感じる。そんな中、40人弱の仲間と一緒に準備体操をし、それぞれの能力に応じて、3K、4K、6Kコースへと走り出す。いつもより参加者が少ないのは、メンバーのうち15人ほどが青梅マラソンに参加しているため。いやはや、元気なことである。

 元気と言えば、67歳の石川トヨ子さんが、先週9回連続での勝田マラソンに出場し、フルマラソンを完走して帰ってきた。毎回のことだが、完走芋(乾燥芋)をおみやげに持ちかえって来てくださった。練習不足で臨んで、こんなに苦しい思いで走ったことはないというほどだったそうだ。「女の意地で走ったんですね」と私。「苦しくて涙が出た」と石川さん。大したものである。私もあと13年、石川さんの年齢までは走り続けたい。

 今日の行事は、遊佐みゆき県議会議員の会での彼女とのトーク。フリーのアナウンサーをしていた彼女なので、しゃべりはお手のもの。議会論戦の前哨戦というところまではいかなかったが、結構つらい場面もあった。

 続いて、本多祐一朗県議会議員の会での挨拶。その後、国際センターでの「救急医療シンポジウム」での挨拶。いろいろ行事は続いたが、それでも、比較的ゆったりできる日曜日ではあった。


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