宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記
2002.1.31

 今朝の東京もいい天気である。雪をかぶった富士山の姿がくっきりと見える。渋谷秘書とともに皇居一周。渋谷秘書はひそかに期するところがあったようで、いつもはがくっとくる上り坂もこらえて登って、ついに26分37秒という自己最高タイムで一周した。本当はあんまりがんばって走ると、次ぎに走る意欲が減退してしまうので、あまり勧めないのだが、本人の自信には結びつく。二人とも、今日も気持ちよく走り終えることができた。こうやって走らせてくれるすべてのことに対して、感謝感謝である。

 久しぶりに職場に戻って残務整理。午後からは、登米郡のほうに出かけた。米山町の食肉衛生検査所を視察。BSEの検査のために今日は33頭の牛が搬入されていた。1頭1頭エライザ法による検査をするのだが、それに関わる職員が3名。神経も使うし、なかなかの重労働であると見受けられた。

 豚の検査は一日あたり千頭以上である。その検査の状況がすごい。切り落とされた頭の部分を検査するのは、獣医の資格を持つ若い女性職員。県の職員にもいろいろな職種があるが、その中でも最も大変な仕事の一つであろう。牛の脳天にドリルで穴を開けて、脳みそを摘出する作業の現場も目撃することになった。こういう作業を毎日こなす職員の仕事ぶりは真実頼もしいし、また頭が下がる思いである。

 そのあと、迫町の地方県事務所に赴き、7人の若手職員の話を聞かせてもらった。軽油引取税の課税事務に関わるのは26歳の女性職員である。運行するトラックを止めて、タンクに重油や灯油をまぜるという脱税をしていないかの抜き打ち検査も手がけるということ。相棒がいるとはいえ、なんとも勇気の要る仕事である。大変な仕事は豚の衛生検査だけではない。ここにも、けなげにがんばる若い職員の姿がある。


2002.1.30

 TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」に出演。6時前にスタジオに到着した。今日の話題は、当然ながら、田中真紀子外務大臣、野上義二事務次官の更迭ということになる。喧嘩両成敗とか、責任問題というふうにも言われるが、日本の国益を守るという観点からの対応だろう。そんなことをコメントした。過去形というより未来形。これで日本の外交が、今の危機的状態から抜け出せるのであれば、多少の混乱は仕方がないのではないか。「真紀子さんかわいそう」という感情論に流されてはなるまいと思う。

 おかげで、大橋巨泉議員が辞職をしたというニュースは、影が薄くなってしまった。小泉首相をまともに批判する議員が辞職ということになれば、ほっとしたという勢力もあるだろう。今がその時期かと言えば、どうも違う。大橋さんとすれば、そういった役割期待よりも、自分の美学に忠実たらんというほうに傾いたということかもしれない。

 6時半に番組を終えて、渋谷秘書と20分だけ走った。7時半から、寺島実郎・日本総合研究所理事長と朝食会。今の日本で最高最良の論客である彼と、こんなに頻繁に意見交換をできることはうれしいことである。途中で、生島ヒロシさんも合流。こうやって人的ネットワークが広がっていく。

 武蔵野市にあるNTT研究開発センターを訪問。最先端の技術をつぶさに見せてもらった。そのあと、西新宿のKDDI本社へ。小野寺正社長は、仙台二高で私と同期である。宮城県のIT戦略実現のために、なんでもお手伝いをしたいという、力強い支援のメッセージをもらった。

 夕方は、厚生労働省での社会保障審議会に出席。毎回のことだが、極めて広範囲の分野について熱心に審議する会である。少々疲れてしまった。

 夜は、久しぶりに、大学の同期会に出席。大学1,2年の時の語学クラスで、法学部進学組と経済学部進学組とが交じり合ったクラスである。20人近くが参加していた。それぞれ各界で活躍の面々であるが、今夜だけは昔に戻っての馬鹿話に興じた。


2002.1.29

 気温が2度という東京の朝である。富士山も、その前面の丹沢の山並みも、くっきりと見える。真冬ならではの、心躍る景色。そんな中を渋谷秘書とともに走った。コースは、青山通りから明治神宮へ。参道わきの「公道」を走っていたら、またまた守衛さんに「ここでは走らないで下さい」と注意された。「どうしてですか」と尋ねたら、「ここは、参拝の車が駐車場に行くための道で公道ではないから」とのこと。それなら仕方がないと納得。同じような注意を受けるのは、これで3回目である。

 代々木に抜けて、明治通りを新宿駅南口まで。新宿御苑を右に見て走り続け、新宿通りに入ってそのまま四谷、麹町、半蔵門まで。結局、1時間10分。12キロぐらいは走ったはず。今日の渋谷秘書は疲れも見せず、平気な様子で走り続けた。すっかり力をつけたのだろう。

 11時から14時過ぎまでは、「首都圏懇話会」が都内のホテルであった。IT関係の企業のトップで、何らかの形で宮城県とご縁のある方々11人にご出席いただいた。「ブロードバンドの常時接続によって、初めて本格的なインターネットの時代が到来した。先達の誰もいない領域で、可能性は無限に広がっている」、「宮城県がIT戦略のプロジェクトを進めるなら、何をもって「成功」と判断するのかの判断基準が必要であり、いくものプロジェクトをすべて成功させようとするのではなく、一つでも独自性の出せるものに特化すべきだ」とかいった、極めて示唆に富んだご意見が述べられた。11人のスターパネリストによる、最先端のシンポジウムの趣である。我々だけで聞くのはもったいないと思えるほど。

 夜は、今年2回目になる霞ヶ関若手官僚との勉強会。10人の気鋭の官僚が集まった。真面目な勉強会のほうはいつもより早めに切り上げて、今回は初めて懇親の場を設けた。もちろん会費制。「皆さんにとってはどんなメリットを感じてもらっているかわからないが、私にとってはとてもありがたい場を持たせていただいている、ありがとう」と挨拶をさせてもらった。この勉強会は細々とでも、息長く続けていきたいと思う。


2002.1.28

 仙台市内には暴風警報が発令中。こういう時は、無理はしない。今日の走りは中止。これで2日連続休みである。

  昨日の大阪国際女子マラソンでは、弘山晴美選手が2位になった。体調不良による練習不足といいながら、大したものである。シモン選手にゴール直前で破れて、シドニーオリンピックへのマラソン出場を阻まれた2年前のこの大会は、リアルタイムで見ていた。彼女にとっても、期するところがあったのだろうが、この成績は立派なものである。33歳のがんばりに感動しつつ、53歳もがんばる。

  BSE対策本部会議があり、いくつかの対策を打ち出した。中でも、当面の対策として、県庁職員でお肉のギフト券を購入するというのが注目される。今日の定例記者会見で、記者から聞かれる前に、「私は当面、2万円買うことにしています」と言っておいた。

  今朝は、「Bフレッツ」のオープニングセレモニーがNTT宮城支店であった。加藤出納長に出てもらったが、いよいよ当地でもNTTによる光ファイバー使用のブロードバンドの開始である。実は、我が家ではこのシステムで導入済みである。インターネットのつながり方が速い速い。動画の画面が音声つきで見られる。まだまだ開拓し尽くしていないが、すごいものだとの片鱗は感じている。


2002.1.27

 毎週日曜日の朝のサンデーマラソンクラブ(SMC)は、7時に西公園内の源吾茶屋前集合であるから、6時50分に家を出ればいい。だから、日曜日はふつうより遅くまで寝ていられるのだが、今朝はなんとなく起きる気がしなかった。「天気予報では雪ということだったので・・・」と床の中でぐずぐずしていた。雪が本当に降っているのかを確かめるのも面倒である。「あーあ、今朝はさぼってしまったか」と思いつつ、7時半ごろ起き出して外を見たら、一面の雪景色であった。「さぼりではない、天候のせいで中止だ」とほっとした次第である。こういうときに「ほっとした」と思うほどには、私の中に走ることへの多少の義務感があるらしい。

 昨日の、東北大学の未来情報産業研究館の落成記念式典で思い出したことがある。式典の最後に、大見忠弘教授が御礼のご挨拶をされたが、その中で、新しい時代の要請に応えてパラダイムシフトをするのに、大学が最もふさわしいということをおっしゃっていた。「なぜならば」と大見教授は説明する。「毎週、必ず学生に講義をする。学生には基本を説く。真実の前にこうべを垂れるということを繰り返しているからこそ、しっかりした基礎に立った上での応用ができるということだ」。

 なるほどと、ストンと心に落ちた思いがした。大学の先生にとって、学生に講義をするというのは義務というよりも、むしろ自らの発展のために必要なことと位置付けられるのだ。学者にとって、研究オンリーの生活のほうがよほど成果が上がるだろうと思っていたのは、思い違いだった。大見教授の天才的なひらめきの源泉は、学生に対して真剣に講義をすることであるのかもしれない。


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