宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記
2002.1.19

 朝起きて外に出たら雪がうっすらと降り積んでいた。しかも、ちらほら雪も落ちてきている。でも、これぐらいなら、なんということはない。決行。

 雪の下はつるつるに凍っている場所もある。そんなところは、ちょこちょこお嬢さん走り。むしろ、ゆっくり走ることについて、自分自身への言い訳ができて気が楽である。日が出ているのに雪がちらついている。天気雨ならぬ天気雪。きつねの嫁入りならぬ、狸の婿取り(?)。

 こういう天気だとスローペースにならざるを得ず、しかも走りに集中できる。その集中を武器に、結局子ども病院建設予定地までの往復18K走を敢行した。汗と呼気による水分蒸発のせいもあり、走後の計量では体重がめっきり減っていた。10日前のあの驚愕の体重増と比べると、なんと3キロ減である。

 県庁職員の給与削減に対しての批判のメールが入っていた。宮城県内の県立学校の職員からのものである。かなり辛辣な意見であり、「そこまで言うのか」といった内容と言い方である。匿名ではない。ちゃんと所属する学校名と、自分の名前を明記してある。自分のボスへの悪口の限りを尽くしているのであるから、ある意味ではとても勇気のいる行為である。反論したいことはたくさんあるが、身分を明らかにして申し述べていることには、全幅の敬意を表したい。


2002.1.18

 軽く4Kを走る。気温は平年より2度以上高い摂氏0度だが、身体としては結構寒く感じた。これが冬の走りである。

 朝は、仙台ハローワークの視察。思ったよりは来所者は少なかったが、これは金曜日の午前中という特殊事情らしい。午後になれば多くの人達が殺到するとのこと。それにしても、県内の雇用状況は大変に厳しい。

 給与削減に関しての職員組合との交渉があった。平成12年度、13年度に続き、14年度、15年度も給与削減をお願いせざるを得ない。県の財政状況の厳しさの中で、ぜひ理解してもらいたいが、生活に関わることなので、組合としても簡単に納得できることでないことは、承知している。誠心誠意交渉を続けるつもりである。


2002.1.17

 なんとなく身体が起きるモードでなかったみたいで、今日の走りはなし。身体が欲していないときは、無理をしてはならない。

 県内の7つの地方県事務所と県庁特別会議室とをネットで結んで、「車座ネット集会」というのをやった。つまりは、テレビ会議である。それぞれの地域で活動をしている人達からの報告をお聞きするということなのだが、これまでは1ヶ所に集まってもらって会議形式でやっていた。今回は、初めての試みであるが、7ヵ所プラス県庁をつないでのテレビ会議であった。司会の立場からは、結構しんどかったが、なかなか有意義な会議になった。

 夜は、母校仙台二高の同窓会・PTA合同の新年会に出席。去年がわが母校の百周年だったから、今年は101周年。西暦が2002年。昭和で言えば昭和77年。そして、皇紀2662年。いずれも、右から読んでも、左から読んでも同じになる。不思議な巡り合わせである。数字の回文。「知事の工夫、幸福の自治」、「自治の差あると悟る浅野知事」これは本当の回文。こんなことも含めて、ご挨拶をさせてもらった。


2002.1.16

 雨模様だったが、大したことなかったので、軽く8K走った。6時の気温が7度。これが今日の最高気温らしい。

 仕事のほうは、一日中、予算の検討であった。さすがに少々疲れた。

 毎週水曜日は、午後7時から「シローと夢トーク」のラジオ出演(写真はここから)である。今日のゲストはカナダ人のマリーさんと、以前にこの番組に出てもらった万里子さんの二人である。当然ながら二人ともかなり熱狂的なエルヴィス・ファン。この番組へのリクエストを絞り込むために二人で集まって、エルヴィスの曲を聴きながら踊りまくったというほどのファンである。

 ふたりのマリーさんのリクエストに応えての番組づくりであった。生放送の分と、録音との2回分であったが、あっという間に時間がきてしまうというほどの楽しさであった。番組が終わって、妻の光子も交えて焼鳥屋さんで反省会というか打ち上げ会。番組のあとにいつも行く店であるが、三人とも気に入ってもらったようだ。


2002.1.15

 いつものコースを軽く6K。「軽く」というのは、スピードを抑えてということ。最近は、こういうふうに軽く走るのがふつうになった。距離じゃない、スピードじゃない、大事なのは何分走るかである。その1分、1分ごとの走りで、脂肪が燃焼して筋肉に変わる。今朝の走りで、どれだけの脂肪が筋肉に変わったろうか。

 月曜日が祝日だったので、今日が通常の月曜日の日程になる。8時半からの三役会、9時からの庁議、11時半からの記者会見と淡々とこなした。午後からは、平成14年度予算の検討の時間であった。財政課の膨大な作業の中から、特に重要な項目だけを検討することになる。これが9回目の予算づくりになるが、大事な仕事であるので、一生懸命に知恵を絞っている。

 昨日のどんと祭が終わっても、まだ新年会が続く。今夜も2ヶ所での新年会に出席した。


2002.1.14

 6時半から、渋谷秘書とともに暗闇の京都の町を走り出した。堀川通りを南へ。二条城を経て御池通りを東へ。河原町で南に下がって四条通りを東へ。この辺から日が出てきて、東山が明るくなった。昨日の都道府県対抗女子駅伝の選手達だろう。早朝ジョギングをしている集団と何組もすれ違った。全部で50人ぐらいは会ったような気がする。これも、一年のうちの、このタイミングだからこその状況である。

 祇園を抜けて、八坂神社から東大路通りを北上。この道が実に走りやすくて、結構情緒があってよかった。百万遍で今出川通りを東へ。この辺は京都大学のキャンパスがあるあたりで、落ち着いた雰囲気である。渋谷秘書に、「ここまで来たら銀閣寺まで行こう、1時間以上の行程になるけどいいね」と念押しして、まっすぐ銀閣寺に向かった。途中でどのぐらいの距離かちょっと自信がなくなって、散歩中の老人に「銀閣寺までどのぐらいありますか」と尋ねたら、笑って「すぐそこだよ」と言われてしまった。

  銀閣寺へのちょっとした坂を登ってたどりついたが、この時間ではまだ中に入れない。今出川通りをそのまま戻って、御所のところで烏丸通りを南下。御所を右に見て、まっすぐの道を淡々と走る気分はなにものにも代え難い。この辺から渋谷秘書はあえぎ始めた。なにしろ、これまでの最高が1時間走である。すでに、この時点で1時間と10分ほど。

 御所の切れ目、丸太町通りを西へ堀川通りまで。ここでホテル着。しめて1時間26分。実質1時間20分。渋谷秘書にとっては、未知の領域に足を踏み入れた。結構足に来たようだが、それ以上の満足感を味わっているらしい。私も極めて満足。すごい充実感である。京都の町を足で観光しながら、こんな満足が得られる。しかも、費用ゼロ。こういう日のために、毎日走っているのだということを改めて認識する。いい成人の日であった。


2002.1.13

 朝早く出発する予定があったので、今朝はSMCでの団体ジョギングはなしで、早い時間の単独ジョギングであった。真っ暗な中で4K。

 早出は、京都市で行なわれる都道府県対抗女子駅伝の応援に駆けつけるためである。その京都はポカポカ陽気。スケジュールでは、西京極競技場のスタート時の応援はなしとなっていた。「それでは応援に来た意味がないではないか」と言って、やや無理なのは承知で、急遽予定を変えさせて競技場へ。幸いにもスタート時には間に合った。それから、車と地下鉄を乗り継いで折り返し地点の京都国際会館へ。これもギリギリ間に合った。

 残念ながら、折り返し地点では本県選手は41位。そこからまた地下鉄、阪急電車を乗り継いで西京極競技場にとって返して選手を待ち構えた。待ち構えた選手は39番目でゴール。

 前回応援に来たのは、平成8年だから6年前になる。その時の宮城県チームは第2位。翌朝、その選手達と一緒に、二条城の周りを5周、10Kほど走ったことを思い出す。その前年は優勝。翌日に阪神淡路大震災があって、選手が仙台に戻って来れなくなった。そのまた前年も2位。

 そんな栄光の歴史があったのだが、今回20回目の大会で、宮城県としては史上最悪の成績になってしまった。残念ではあるが、これも勝負の世界にはつきものである。いい時もあれば、悪い時もある。そんなご挨拶を、夜の京都宮城県人会の新年会を兼ねての駅伝参加選手のご苦労さん会で、申し上げた。ほんとうにご苦労様でした。


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