宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記
2001.12.29

 昨晩遅かったので、今朝のジョギングは休み。遅かったのは、家でビデオを見ていたから。1週間ほど前に、DVDの再生機器を購入した。メンフィス仲間の笠原さんからDVDの威力を聞いていたのが頭に残っていた。

  「エルヴィスのビデオ、DVDで見るとまるで迫力が違う。特に、音質は断然良い。しかも、機械は高くない、ソフトも普通のビデオより安い」という笠原さんの言葉に、時間ができたら絶対買ってやろうと思っていたのである。

  エルヴィスもののソフト3本と「ウエストサイドストーリー」を買い求めていた。昨晩見たのは、「ウエストサイド」である。仙台の東北劇場でこの映画を初めて見たのは高校1年生の時だから、ほぼ40年前である。それから10回以上劇場で見ている。私にとっては、アメリカへの憧れを決定づけた作品である。

  それを見始めたらやめられなくなった。大画面の迫力とは比べるべくもないが、「この場面、この踊り、この音楽・・・」と昔の感激がよみがえってきた。そんなことでの夜更かしであった。しばらくは、このDVDにはまりそうである。

  今日から正月休み。DVDよし、読書よし、のんびりよし。さて、どうしようか。


2001.12.28

 昨日の日記を見た妻は、「風邪引いてるんだから、走っちゃだめよ」とのたまわる。どちらにしても、昨晩は遅かったし、今朝の出勤も早かったので、ジョギングはなし。風邪のほうは、いつのまにか直っていた。

 12月28日は、御用納め。いや、今は仕事納めという。毎年のことだが、職員の前で仕事納めの挨拶をする。職員の前での挨拶は苦手である。なんとなく気恥ずかしい。今日も一日次ぎから次ぎと仕事が入って、何を話すか考える余裕もないままに挨拶の時間になってしまった。

 あまりいいことばかりはなかった1年だったが、後半にはベガルタ仙台のJ1昇格など、いいニュースが続いた。国体の大成功については、県庁職員の大奮闘があった。県民からの新しい期待に応えられる組織になるように一層の努力をしよう。大体、こんなような話をした。

 21世紀最初の年があと3日を残すだけになってしまうなんて、信じられないほどの時の流れの速さである。こうやって1年が過ぎ、齢を重ねていくのだろう。来年こそは、もっともっといい年になることを期待したい。そんな思いの仕事納めであった。


2001.12.27

 朝は7時半から、若手経営者との朝食会。よって、今朝のジョギングはなし。実のところ、ちょっと風邪気味だったので、この辺で休むのは丁度いい。

 東北大学工学部の研究室にでかけて、大見忠弘先生と懇談。8月に続いて2回目になる。大見先生の話は、最新の科学技術をものづくりにどう生かすかといった、パワフルな夢にあふれている。血湧き、肉踊る思いにさせられる。元気の素をいただいた。

 夜は、2,3ヶ月に1回やっている連句の会に妻と共に出席。笑いが絶えない実に愉快な会である。「坊主ペコリと、すかしてんしき」という私の句がえらく受けた。「てんしき」とは、「屁」の丁寧な言い方である。そのことがわからずに、トンチンカンなやりとりをする落語がある。

  連句の会は、これまでは蕎麦屋の2階でやっていたのだが、その蕎麦屋が店を閉めたため、今回は勾当台会館の和室での開催だった。ついつい、興に乗ってやっているうちに、10時を過ぎてしまった。


2001.12.26

 今朝は東京行きで朝が早かったのだが、なんとか3K走った。いつも履いている靴と違うものを着用したせいか、脛のあたりが張ったような感じになる。靴のせいなのか、走り方のせいなのか、よくわからない。

 今日の東京行きは、IT関係の企業をいくつか訪問するためのものであった。アット東京は、世界最大規模のインターネット・データ・センター(iDC)である。ともかく、その規模に圧倒されてしまう。東京電力関係の会社であるので、電力の安定供給という点での強みがある。この点では他の追随を許さないだろう。

 そのあとは、世田谷区用賀にあるサン・マイクロシステムズを訪問。パソコンに何でもかんでも機能を持たせなくとも、サーバーに機能を委ねて、ネットワークを形成する方式でやることがこれからのITの進むべき途という、本田敬吉会長のお話は説得力がある。要するに、数年ごとにモデルチェンジをしてパソコンの買い替えを強いるような、マイクロソフトのやり方は、大いに問題であるということ。

 最後は、内幸町の富士通電子行政モデルルームを訪問した。このようなモデルルームの訪問は2回目である。電子申請、電子調達、認証システムについて、デモンストレーションを交えて詳しく説明を受けた。行政と住民との関係においても、電子的なやりとりが現実のものになっていく。世の中は、急激に,劇的に変わっていくだろうということを予感させるような場面であった。ITは世の中のありようを変えるという可能性を信じて、積極的に立ち向かっていこうという気持ちにさせられた。


2001.12.25

 早い時間の出勤だったが、長い距離を走った翌日はちょっとでも走っておくのが大事だと思ったので、なんとか4Kを走った。距離的にはもの足りないが、走後の朝風呂の気持ちよさは変わらない。今朝もいい天気だった。

 今日は、仙台育英の駅伝チームが、全国高校駅伝での優勝報告にやってきた。優勝の感激が薄れていないタイミングで、あのランナー達に会うのはとてもうれしい。私の挨拶が長くなってしまったのは当然である。

  2位以下を1分以上引き離して第2走者にタスキを渡したカビル選手、最初の1キロのタイムが2分32秒という驚異的タイムだったのに、時計が壊れていて2分52秒と思ってしまい、そのあとの2キロを必死に走って好タイムを出した内海選手、昨年アンカーとして1秒差で負けた悔しさを激走で晴らした清野選手などなど、一人ひとりのランナーについてコメントしながらの挨拶になってしまった。

 なによりも、渡辺高夫監督に御礼とお祝いを申し上げたかった。シナリオどおりに選手を走らせる手腕には、ただただ脱帽である。「1秒差で勝て」と選手に申し渡して、選手に自分のペースで走らせるという、心憎い操縦法にも感心させられた。私もランナーであることを知っている渡辺監督からは、ランニングシューズのプレゼントを受けてしまった。早速、これを履いて走ってみたい。スピードは、カビル選手の丁度半分ではあるが・・・。


2001.12.24

 クリスマスイヴ。ホワイトクリスマスどころか、青空の美しい、穏やかな一日であった。今朝は、思い立って、子ども病院建設予定地までの1時間半走を試みた。往路はエンジンのかかりが悪く、いつもより2分30秒ほど遅いペース。逆に、復路は往路より4分も速いペースで走り終えた。これだけみっちり走ると満足感が違う。

 振替え休日であるが、今日は公務が入った。村田町竹の内産業廃棄物処分場の視察である。県庁内に新たに対策本部を設置して、これまでとは違った総合的な観点からの取組みをしていくことにした。できることは何でもやろうということで、知事による視察も「やれること」の一つである。

 現場に行くのは3回目であるが、今回も、硫化水素のつんとくる臭いはあった。「昼間はあまりにおわない、曇天の日の夕方6時ごろがにおう。今度はその頃に来て欲しい」という住民の方のお話があった。住民の方々にとっては、我慢の限度を超えた悪臭である。そのことに長い間悩まされているのだから、知事には実態のひどさを知ってもらいたいというのが本音だと思う。なんとか、行政に対する不信感は払拭したいと思うのだが、そのためには、真摯に話し、正面から取り組んでいくしかないと改めて実感する。


2001.12.23

 天皇誕生日。久しぶりに仙台で走る。サンデーマラソンクラブ(SMC)には、今朝も50人以上が集まっていた。岡本幸治さん、菅原久吉さん、石川トヨ子さんたちと並んで走った。12月の青い空、気温もそんなに低くない。まことに気持ちの良いジョギング日和である。こうやって仲間達と語り合いながら走れる幸せを、今年も何十回か味わうことができた。誰にともなく、「ありがとう」を言いたくなる。

 書くべき原稿がたまっているのに、ついつい全日本高校駅伝のテレビ観戦をしてしまった。男女とも、仙台育英の活躍が期待されているので、見ないわけにはいかない。

  見事に期待に応えてくれた。女子の6位入賞は、「できすぎかな」と思うほどだった。さらに、そのあとの男子の優勝はすごい。最大のライバルである大牟田高校の第1走者が46位と出遅れた時点で、「今年はもらったぞ」と思ったが、九州学院の猛追にややひやっとさせられた。それにしても、大したものだ。渡辺高夫監督に心からおめでとうございますと申し上げたい。

  厚生省の障害福祉課長時代の盟友、長谷川泰造弁護士が昨夜亡くなった。川崎市にある病院に私が見舞いに行ってから4時間後のことである。最後の最後のお別れには間に合ったということになる。彼は、私より数年年上に過ぎないのだから、五十代の若さで人生を終えた。なんとも痛ましい。

  長谷川さんの娘さんが重度の障害を持っており、その子のためにと障害者の人権問題に獅子奮迅の活躍をしていた。私と彼とが親しくなったのは、私が作った「障害者の人権問題懇談会」に彼を引き込んだことが縁であった。その意味では、彼は戦友とも呼ぶべき存在だった。その戦友を戦い半ばで失ってしまった。

  肝臓の具合が極度に悪くなってからも、表面上は気弱さを見せずに活動していた。手帳を見たら、なんとこの9月29日に彼を囲むパーティーに私も招かれていた。その席で、彼は自作の落語を40分間にわたって演じたのである。ご家族のお話では、「死んでもいい、死んでもやる」と言って、ドクターストップを振り切っての出演だったとのこと。あれが、長谷川さんらしいお別れのメッセージだったのだろう。

  ご冥福を心からお祈りする。


以前のジョギング日記はこちら
 2001年12月第4週分
 2001年12月第3週分
 2001年12月第2週分
 2001年11月第5週分
 2001年11月第4週分
 2001年11月(選挙期間特集)
 2001年10月第5週分
 2001年10月第4週分
 2001年10月第3週分
 2001年10月第2週分
 2001年10月第1週分
 2001年9月第5週分
 2001年9月第4週分
 2001年9月第3週分
 2001年9月第2週分
 2001年8月第5週分
 2001年8月第4週分
 2001年8月第3週分
 2001年8月第2週分
 2001年8月第1週分
 2001年7月第4週分
 2001年7月第3週分
 2001年7月第2週分
 2001年7月第1週分
 2001年6月第5週分
 



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