宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記


2001.11.24

 岡山での朝。時間的に余裕があったので、いつもより遅く7時にランニング開始。伴走は渋谷秘書。駅前のホテルから5分ちょっとで後楽園へ着いた。岡山城の下を駆け抜け、旭川沿いを景色を愛でながら、快走。実に気持ちがいい。いつものことだが、伴走者のことは気にせずに自分のペースで走るものだから、渋谷秘書にはちょっとつらい思いをさせたかもしれない。

 復路は後楽園の周囲も走って、ホテルに戻ったが、久しぶりに気持ちがいい走りだった。季節的に走るのに最適だし、場所が変わるのが何よりの刺激である。思い出に残る11K。

 岡山空港から仙台までの直行便は午後1時発なので、岡山でゆっくりする余裕があった。雲一つないおだやかな日の午前中を、後楽園で過ごした。本当に久しぶりに、ゆったり流れる時間の中に身を置いたことになる。今朝の走りといい、後楽園でののんびり時間といい、人間は結構簡単に幸せになれるものである。

  後楽園から岡山駅まで市電に乗ったが、その時にちょっと言葉を交わしたおばさん。話しているうちに、仙台にいるというおばさんの親戚が、私もちょっと知っている人だった。そんなちょっとした縁なのに、そのおばさんは、駅で空港行きのバスを待っている私達を又見かけたと言って、備前名物「大手まんぢゅう」をおみやげにくれた。幸せ気分が又ひとつ加わった。

  夜は、中新田町のバッハホールで、「Music'74」という地元の社会人ビッグバンドの第15回コンサートに「出演」してきた。選挙前に、バンドのメンバーの一人で、トランペット担当の皆川章太郎県議会議員に誘われていた。「軽く歌ってみませんか」の甘い言葉に、ついOKと言ってしまったのだが、今さら逃げるわけにもいかない。もともと下手な歌である。しかも、選挙でのどをつぶしたので、高音がまるで出せない。それでも、エルヴィスのナンバーから、「今夜はひとりかい」と「テディベア」を歌った。

  司会者は、「洋モノなので、うまいか下手かわからない」と言っていた。まさかそのまま「下手くそ」とも言えないだろうから、うまい表現である。それでも、素人とは思えない素晴らしい演奏をバックに、超満員のホールで歌うことは、快感でないことはない。これも今日の幸せの一つに入れておこう。


2001.11.23

 勤労感謝の日。勤労できることに感謝しながら、今日も仕事をする。朝は、通常より少し遅く起床して、5K走った。今朝も気温が高く、走後の汗が気持ちいい。

 この素晴らしい天気の下、みやぎまるごとフェスティバルの開会式に出席してごあいさつ。こういう形での開催は2回目である。県庁の1階ロビーと駐車場のスペースを使って、県内の地場産品のおいしい食材、お花などがところ狭しと並べられている。匂当台公園なども含めると、200のテント、9つのワゴンが出店されている。今日,明日で18万人の人出を見込んでいるが、出足を見るとそれ以上いくかもしれない。

 そのあと、岡山に飛んで、有志知事による「地域からIT戦略を考える会」に出席。晩秋の後楽園、その中の和室での会議である。豪華な場所での、豪華なメンバーによる会議に酔いしれた。岐阜の梶原知事、三重の北川知事、高知の橋本知事、岩手の増田知事、福岡の麻生知事が出席。地元岡山県の石井知事が座長になり、ゲストに竹中平蔵IT担当大臣を迎えた。

 大いに刺激を受けながら、この最新分野でも宮城県が存在感を示さなければならないという思いに駆られた。次回の第二回目は、宮城県での開催である。「ドッグイヤー」と言われるほど、つまり、1年が7年分に匹敵するような、この分野の進歩のスピードである。ぐずぐずしてはいられない。来年の3月頃に開催するつもりである。


2001.11.22

 この時期にしては暖かい朝、汗をかきながらの6K。身体が重い。体重が少し増えているせいもあるが、走りこみ不足で筋力が落ちているからだろう。これは、走っているうちに徐々に回復するはず。

 11月22日は、「いいふーふの日」である。この日に若い二人が結婚した。伊藤君と久美子さん。二人は、8年前、私の初めての宮城県知事選の当選が決まった日の翌朝に、私達夫婦が泊まっていたホテルの前で待っていた。「私達、交際を始めました」との報告。

 伊藤君は、私の選挙カーの後続車の運転担当、久美子さんはうぐいす嬢。そんな縁での交際宣言である。「知事としての私の最初の仲人は、君達二人かもな」と言って祝福した。それからの二人は、喧嘩したり、別れたり、又よりを戻したりの繰り返しであったようだ。2月8日の私の誕生日には、二人そろって毎年のように自宅まで来て、なんかかんかのお祝いを置いて行く。私達夫婦にとっても、心に残るカップルであった。

 その二人が、今回の選挙戦最終日に選挙事務所を訪ねてきた。「私達、いよいよ結婚します」とのこと。永過ぎた春の末の結婚宣言である。11月22日が正式入籍の日だという。いい夫婦の日。間違いなくいい夫婦になるだろう。

 8年間の歳月の流れ。変わるものもあったが、変わらないものもあった。彼ら二人の愛は、変わらずにこの8年目を迎えた。私の選挙と切っても切れないような二人の関係。どうか、この二人の行く末に幸多かれと祈りたい。

 早速に、今日から県議会が開会。「早速に」というのがぴったりのタイミングである。知事に復帰して3日目。選挙での声疲れがやや残る中で、所信表明をした。共に戦った選挙スタッフの面々が傍聴に来ていたが、途中の休憩が長過ぎて、大部分の人が帰ってしまった。議会が終わった後、知事室でちょっとでも挨拶をしようと思っていたのに、申し訳ないことをした。


                                     2001.11.21

 昨日も書いたが、昨夜、ベガルタ仙台のJ1昇格祝賀会が仙台スタジアムであった。私も、1万3千人のサポーターの前でお祝いの挨拶をさせてもらった。「今の時点では、ベガルタ仙台はJ1で一番弱いチームかもしれません。でも、今の時点で、ベガルタ仙台のサポーターは、J1で最も強力な軍団です」といったことを話した。本音である。これだけの強力で、熱心なサポーターであれば、チームを物心両面で支えてくれるのではないか、そんな期待を持ってしまう。

 その祝賀会ですっかり身体が冷えてしまい、渋谷秘書と顔を見合わせて、「ちょっと暖まっていこうか」と言えば、次ぎの行動はおのずから決まる。身体の温まる鍋のある韓国料理の店に寄った。ついつい焼酎を飲み過ぎたかもしれない。

 ということで、今朝は少し寝坊をしてしまったということを書きたかったのである。よって、今朝のジョギングはなし。

 今日あたりは、完全に通常業務に戻った。20日間のブランクなど感じることもなかった。次ぎから次ぎへと懸案はあるものである。しっかり覚悟を決めて、これからの4年間、全力で仕事に取り組むことを改めて自分に言い聞かせた。


                                     2001.11.20

  宮城県知事としての初登庁の日。体調もいいので、今朝も6Kを極めて快調に走った。ついでに、昨日も4Kをいいペースで走ったことを書いておかなければならない。この日記が「ジョギング日記」ということを改めて思い出す。

 初登庁は、約100人の職員に、県庁玄関での出迎えを受けた。秘書課の女子職員から花束の贈呈があったり、うれしくもあり、気恥ずかしくもあり。

 当選証書の授与のセレモニーのあとは、職員への挨拶があった。三期目の新たな覚悟を私なりに率直に伝えたつもり。職員に言い聞かせたつもりが、実際は自分自身の決意表明になったようだ。

 考えてみれば、20日ぶりの職場である。なつかしいというほどの期間ではない。それにしても、久しぶりの景色ではある。これから4年間は、誠心誠意仕事に邁進しようという気持ちが、心の底から湧いてくる。

 仙台スタジアムでの、ベガルタ仙台のJ1昇格の報告会など、公務を淡々とこなしながら、三期目の初日が過ぎていく。初日から、完全にいつものペースに戻った。

2001.11.19

 一夜明けた。「今朝は走るぞ」という思いで眠りに就いたのだが、さすがに5時半には起きられなかった。6時、TBSラジオ「生島ヒロシのおはよう一直線」のスタッフからの電話で起こされた。早速に電話での番組出演のお願い。「喜んで!」とお引き受けし、6時10分頃からラジオで生島さんと話をした。何ヶ月ぶりになるだろうか。生島さんも、選挙が近いということで私への出演依頼を控えていたようだが、今日はそれも解禁。生島さんの暖かい友情を感じる。

 17日間の選挙期間中、県内各地を回っているときに、多くの人から「生島さんの番組聴いてます」、「またラジオに出てください」という声をかけられた。その数は、自分でも驚くほどである。そんなことも、ラジオの生島さんに報告をした。早い時期に、今度はスタジオでの出演に復帰したいものである。

 9時からは、自宅に報道陣をお迎えして、各社の取材に応じた。これも当選翌日の定番であるが、「一夜明けての様子」ということである。所要1時間。妻も取材されたいたようだ。

 お昼前からは、今度は知事公館にて各社の取材受け。結局2時までかかってしまった。なんやかんややっているうちに、当選翌日はあっという間に暮れて、明日からは過酷なスケジュールの3期目の平常業務が待っている。しっかりがんばるぞ。


2001.11.18

 宮城県知事選挙投票日。今朝も走ろうかと思ったのだが、さすがに家人に止められた。止められずとも、自分自身今日ぐらいは自重しようという理性が働いた。

 9時過ぎに、妻と共に八幡小学校へ投票に出向いた。投票所は閑散としていて、ひょっとしたら投票率は伸びないのではないかという不安が胸をよぎった。3回続けてであるが、自分の名前をしっかり書いて投票箱に入れた。

 今日を逃すと理髪に行く機会がない。あいにく、第3日曜日は市内の理髪店はすべてお休みだし、翌日は月曜の定休日。仕方がないので、妻と共に生まれて初めて美容院なるものにでかけた。定禅寺通りのけやき並木を見下ろす明るい店で、髪をいじってもらううちに、何とも言えずリッチな気分につつまれてしまった。

 午後からは、テレビの前にしがみついて、東京国際女子マラソンを途中まで見て、1時からはベガルタ仙台の最終戦をハラハラしながら応援した。この試合で京都パープルサンガに90分で勝てば、J1昇格を果す。ベガルタ仙台の前身のブランメル仙台の設立に関わった身とすれば、この試合の結果は単なる興味以上のものとして受け止めざるを得ない。

 その結果は、何ともこれ以上ないという劇的な勝ち方であった。これでベガルタ仙台は来季J1入り。試合を決めた財前選手のゴールの瞬間も、審判が試合終了を告げる合図の瞬間も、涙が出るのを止めることができなかった。「俺より少し早く当選確実にしたな」という思いが、ちょっと胸をかすめたことも正直に告白しよう。

 その自分のほうの当選確実の報であるが、夜8時43分のNHKテレビの画面に出た。早い、早過ぎる。投票率も、どれだけの票を自分が得たのかも、全くわからないままに、支持者の待つ選挙事務所に妻と共に駈けつけた。万歳三唱、候補者(私のこと)のあいさつ、報道各社のインタビューと進んで、多くの支持者と握手。3回目ともなると、以前よりは余裕が出ないといえば嘘になる。うれしさよりも、ほっとした感じでこれらの一連の過程を終えた。

 選挙スタッフから、「選挙期間中の浅野さんとまるで違う人になったみたい。私のシローさんが、みんなのシローさんになってしまった」と寂しがられたのが印象に残った。

 NHKの生放送出演を終えて家に帰ったのが、暦が一日回った頃であった。疲れは全くない。こういう気分と体調で、選挙を終えることができたことがとても満足である。


2001.11.17

 久しぶりの「自筆の」日記。実は、宮城県知事選挙の期間中は、「選挙日誌」ということで、執筆は選挙スタッフの手によるものであった。私が、そのスタッフに適宜コメントをして、それをもとに日誌にまとめるというスタイルであったから、「自筆」とは言えない。

 ところで、その選挙であるが、本日で終了。最後の日程は、選挙事務所において手づくりポスター作成者との懇談であった。手づくりポスターは、今回の選挙で初めて採用したもの。これだけ大規模な手づくりポスターを使った選挙は、全国でもこれまで例がないのではないか。

 「これだけ大規模な」といったが、枚数において1010枚とのこと。絵がき、字がきと半々ぐらいだろうか。どうも、手元に資料がないので、よくわからない。ともかくも、こんな形で選挙に参加して下さった。そういった方々に、お話をうかがうということで、30人ほどに集まっていただいた。実際に作ってもらった方々のほんの一部である。

 中には、全盲の方が点字で書いたものを、弱視の夫が字にしたもの、それに知的障害のある方が絵をつけるというポスターもあった。もちろん、このご夫婦も懇談に参加である。ありがたいことである。手づくりポスターを作って下さった方々も、今回の知事選挙に参加したことに喜びと意義を感じてもらえば、仕掛け人としてとてもうれしい。

 とにもかくにも、これにて17日間の選挙期間が終了した。精一杯やったという満足感で一杯である。17日間行動を共にした選挙スタッフとの連帯感は、なにものにも代えがたい。しみじみ、私は選挙が好きなんだと実感しつつ、選挙事務所を後にした。


以前のジョギング日記はこちら
 2001年11月(選挙期間特集)
 2001年10月第5週分
 2001年10月第4週分
 2001年10月第3週分
 2001年10月第2週分
 2001年10月第1週分
 2001年9月第5週分
 2001年9月第4週分
 2001年9月第3週分
 2001年9月第2週分
 2001年8月第5週分
 2001年8月第4週分
 2001年8月第3週分
 2001年8月第2週分
 2001年8月第1週分
 2001年7月第4週分
 2001年7月第3週分
 2001年7月第2週分
 2001年7月第1週分
 2001年6月第5週分
 



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org