宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

ジョギング日記
2001.10.27

 ここまでずーっと晴天が続いてきた。それが今日途絶えたらなんにもならない。そんな思いで迎えた全国障害者スポーツ大会の開会式である。願いが叶って、今日は理想的な天気。雲一つない空の下、紅葉し始めた木々が陽光に映える。季節感もぴったり。言うことなし。

 記念すべき第1回大会がここ宮城の地で開催された。開会式の式典に続く演技も素晴らしい出来であった。だいたいは、国体の際の演技と同じであるが、知的障害者の施設である船形コロニーの障害者が世話をしている馬に、障害を持った人が乗ってスタジアムに登場するという場面は、国体の開会式演技にはない部分である。バリアフリーを象徴するような場面がここにも現れた。ご臨席の皇太子殿下もご関心を示され、乗馬療法についての資料をお求めになられた。

 競技としては、水泳、バレーボールを観戦。片手片足が使えない選手が個人メドレーを泳ぎ切ったところで、会場には大きな拍手が沸いた。鈴木利府町長は、観戦している地元の小中学生も、これを見てきっと勇気を与えられるだろうと話していた。

  夜は、政見放送の録画撮り、2局目。合間を見て、新聞各社からのアンケートに答を記入したり、この時期、頭を切り替えつつ、いろいろとやることが多い。


2001.10.26

 晴天が続く。走るには絶好である。昨夜買い求めた新品のジョギングシューズを履いて走り出した。同じナイキのエアマックスだが、クッションの厚みが少し足りない。足にはしっくりくるが、地面にはしっくり感がいま一つで、地面を叩くたびにバタバタという感じの音を発する。そのせいかどうか、いつもよりスピードが出ない。

 それにしても、いい気持ちである。走後の爽快感がなんとも言えない。気温は結構下がり、風もある。ウインドブレーカーがウインド(風)による寒さを防ぐのに丁度いいぐらいの季節にはなった。秋深まるの風情の中を駆け抜けた。

 11時から、11月にむけての事務所開き。古式ゆかしく、神主さんによる祝詞などの神事が執り行われた。妻と並んでおはらいを受け、玉串奉奠を行なった。事務所のスタッフの紹介もした。夕方には、政見放送の収録。5分30秒という時間ぴったりに話すのはお手のものだが、内容としてアピールするだけのものになったかどうか。いずれにしても、こういったことを経ながら、だんだん気持ちが高ぶってくる。あと6日である。

 明日から、第1回の全国障害者スポーツ大会。開会式にご臨席いただく皇太子殿下が、雅子さまの着帯の儀を終えられてから仙台にお着きになった。明日は必ず晴れるはず。


2001.10.25

 昨夜寝る前に体重を計ったら、あまりにも増えていたのに驚愕し、狼狽し、「明日は絶対走る」と心に誓って寝た。少し寝不足だったが、体重のことを思ってちゃんと目覚めた。それにしても、なんで急に体重が増えたのだろう。不思議だ。

 今朝は6K。気温が高かったので、短パン長袖シャツ姿。それでも汗をかくぐらいの暖かさであった。走った後の体重測定でも、体重の多さは変わらない。もう少しの間、注意し続けないといけない。

 仕事としては、断続的に政策会議にかかりきりであった。これで3日目。来年度の政策をどうするかの会議で、春、夏に続き、今回は秋の会議で、これが最後である。庁内の幹部が全員参加、そのほかに多くの職員で、庁議室は満員である。なかなか大変だったが、最後まで緊張感を保ちながら会議に臨んだ。


2001.10.24

 ひとめぼれデヴュー十周年記念の祝賀会に出席のために仙台にいらしていた菅原文太さんご夫妻と朝食を一緒にする予定だった。私の秘書から早朝に電話が入って、菅原さんのご長男が踏切事故で昨夜お亡くなりになったとのこと。なんということだろう。お二人のお嘆き、いかばかりかと思うと心がつぶれる。お慰めの言葉もない。こんなことがあっていいのだろうか。

 午後から、北海道・東北知事会が仙台ホテルにて開催。当県が、一応ホスト県ということである。このところ、知事仲間と会っていなかったので、なつかしい。新潟の平山知事、岩手の増田知事は相変わらず元気。青森の木村知事、福島の佐藤知事は、高速道路の整備凍結の方針などについて、国に対して厳しい意見を述べていた。いずれも、頼もしい仲間である。いろいろ教えられることが多く、又、刺激にもなる。講演をお引き受けいただいた北海道大学の山口二郎先生とは久しぶりにお会いできた。なぜか、友情を感じてしまう人である。


2001.10.23

 夜半の雨がうまい具合にやんで、今朝はジョギング日和。ウインドブレーカーを着こんで6K走ったが、結構汗をかいた。この時期、いでたちに迷う。ぎりぎり短パン短シャツで走れる。軍手をすれば、少々の寒さは感じない。今日は着過ぎ。「着過ぎ」という言葉はあるのかどうか知らないが。

 夜は、中小企業の方々が中心の倫理法人会の合同会で講演。「合同会」というのは、県内にある複数の支部による合同のイブニングセッションで、今回がこの種の第1回とのこと。30分の講演が終わったら懇親会と思っていた私が甘かった。このあと、しっかり質疑応答が1時間。さすが倫理法人会だけあって、極めてまじめである。私も極めてまじめに対応した。


2001.10.22

 目覚めたら5時55分。走るにはちと遅過ぎる目覚め。4時半頃に小用に立ってから二度寝したのが悪かった。いつものように、「身体が休みを欲していた」と解釈して、今朝のジョギングはなし。こういう日に限って、天気がとてもよいのがうらめしい。少し罪の意識。

 月曜日は定番コースのスケジュールが続く。8時半からの三役会、9時からの庁議、11時半からの記者会見。月曜日には、月曜日のにおいのする過ごし方になる。定例記者会見の冒頭では、国体の天皇杯、皇后杯を記者諸兄にもご披露をしたが、特に反応はなかった。早ければ明日から、県庁1階のロビーに天皇杯,皇后杯を展示して、県民の皆様にもご覧いただくことにしている。

 午後からは、利府町役場に伺って、職員の方々に国体での協力に感謝申し上げてきた。鈴木町長、三浦助役をはじめ、数十人の職員の方々の前で、ごあいさつをさせてもらった。話しているうちに、なんだか感激してしまって、涙がこぼれそうになったのだが、きわどいところで押さえることができた。それはともかく、利府小学校のマーチングバンドの素晴らしい演技も含めて、実に素晴らしい対応を利府町にはしていただいたと思う。これを契機に、利府町は大いに飛躍することを確信している。

 夜は、頼まれていたむずかしい原稿を書くつもりで早めに帰宅したが、どうもうまく書けない。どうしよう、どうしようと思っているうちに、秋の夜が更けていく。


2001.10.21

 連日の好天である。いかにも10月の空、10月の空気。その空気は、さすがに早朝は冷たい。昨日に続き、ウインドブレーカー姿でサンデーマラソンクラブ(SMC)へ。仙台市民マラソンに出場する人が欠席なようで、いつもよりはだいぶ少な目のメンバーである。

 菅原久吉前秘書、佐藤七十七銀行県庁支店長などと並走。6Kコースの半分のところで、暑くてウインドブレーカーを脱いだ。メンバーの半分が、まだ短パンに長袖シャツ。短パン、短シャツの人もいる。この時期、服装の加減がむずかしい。佐藤支店長は、いつものように、途中で上半身はだかになって、その見事な身体をみせびらかすかのように走っていた。

 昼からは、全国障害者スポーツ大会のリハーサル大会へ。利府の宮城スタジアムにはこのところ何度も通っている。今日の出来は、大変立派であった。27日の本番では、これ以上に素晴らしい出来映えであろう。あとは、27日から3日間の天気だけが心配。一応「晴れ男」を自認しているのだが、どうなりますか。


以前のジョギング日記はこちら
 2001年10月第3週分
 2001年10月第2週分
 2001年10月第1週分
 2001年9月第5週分
 2001年9月第4週分
 2001年9月第3週分
 2001年9月第2週分
 2001年8月第5週分
 2001年8月第4週分
 2001年8月第3週分
 2001年8月第2週分
 2001年8月第1週分
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 2001年7月第3週分
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 2001年7月第1週分
 2001年6月第5週分
 



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