浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

シローの走り書き

走るクマ

「知的障害者施設解体宣言」の見直し?

2006.1.9

 平成14年11月、当時の宮城県福祉事業団は、自ら運営する船形コロニーの解体を宣言した。入所者の地域生活への移行を順次進めて、2010年には施設閉鎖、つまり解体を果たすという計画である。これについては、2002.12.10メルマガ第66号「船形コロニー解体宣言」に詳しく書いた。

 それから1年3ヵ月後、2004年2月には、「みやぎ知的障害者施設解体宣言」が発せられた。発したのは、当時知事であった私である。これも、2004.2.24メルマガ第129号から3回にわたって、さらに詳しく書いた。

 当時から、さまざまな意見はあった。県議会でも、賛否両論の議論がなされた。そういった議論があることは当然であり、むしろ大事なことであると、当時から申し上げていた。

 ここにきて、特に、船形コロニーの解体宣言について、見直しの議論が再燃してきた。「ここにきて」とか、「再燃して」という言い方をしているのは、昨年11月に宮城県知事が交代したということと、この動きは無縁ではないような気がするからである。

  契機が何かは、どうでもいい。これだけ大きな改革が、議論があまりされずに、すんなり運ぶことのほうが、不自然なのかもしれないとの想いが私にはある。誤解があれば解けばいいし、実態が伝わっていなければ見せればいいし、支援の仲間が少なければ輪を広げればいい。むしろ、議論の再燃がそのことを促すという意味では、結構な動きではある。

 中身に入ろう。船形コロニーの育成会、つまり親の会幹部の中に、見直し、反対の声がある。入所者を無理やり退所させるのはよくない、地域での受け入れ態勢の整備と関連制度の確立があってから出すべきだ、障害程度が重いわが子はとても地域には出られない、ともかく船形コロニーは残して欲しい。こういったことが主張の主なものである。

 ほとんどのことは、もっともなことで、おっしゃるとおりである。実際に、親の会の方々が、船形コロニーを運営する社会福祉協議会の会長である私のところにご要請に来られた時には、そのとおりお答えした。無理やり退所はさせない、地域の受け入れ態勢の整備が前提である、地域に出る前には、十分な訓練をする、2010年は目標であって、何が何でもその時に解体するのでもない、その時の状況を見ての判断である。こういったことを私から説明し、親の会の皆様にも一定程度はご理解いただいた。

 親の方々に、不安や怒りの想いがあることは十分理解できる。障害のあるお子さんを船形コロニーに入所させた時には、「これで、親亡き後のことを心配しないで済む」と安心したはずである。それまで、障害の子を抱えての将来の不安が大きかっただけに、入所を果たした時の安心感は大きい。その安心の元であった施設が解体すると聞いて、大きなショックを受けたことは、容易に想像できる。

 親の会の構成も変化している。船形コロニーでは、解体宣言以来、毎年、何十人という人たちが地域生活への移行を果たしている。障害程度が比較的軽かったり、親の同意が得られやすかった人たちは地域移行を果たしていっているのだから、残った人たちは、比較的むずかしい要因を持った人たちということになる。育成会の構成としても、解体宣言に懐疑的な人たちが多くなってしまうことは否定できない。

 「よその軽い障害の人たちなら可能でも、うちの子のように障害が重い場合は、地域移行などとても無理」という親の声がある。そうだろうか。それでは、重度の障害の人は、一生船形コロニーで暮らすこと、ここで人生を終えることが運命づけられていると考えるべきなのだろうか。

  今回、船形コロニーを訪問して、改めて見させてもらったが、何十名という集団の中では、なかなか行動障害が治まらない人が、4,5人の落ち着いた環境での生活に入ると、行動に落ち着きが出てきて、問題行動も治まるという例がある。逆に、船形コロニーのような集団生活でないと生活できないような重度の障害というのは、どういう障害を指すのか、その辺のところは、実態に即して十分に見極める必要がある。

 なによりも、地域に出て生き生きとした生活を送っている、船形コロニーの元入所者の声に耳を傾けるべきだろう。今回、船形コロニーを出て、同じ大和町の吉岡ホームというグループホームで暮らす5人の女性のところを訪問した。「船形コロニーに戻りたいですか」という私の質問に、はっきりと「嫌だ、絶対に嫌だ。あんなところに戻りたくない」とそれぞれ答えていた。その声の強さに、私のほうが驚くほどであった。

 「あんなところは嫌だ」と言われる側の船形コロニーの職員が、熱心に地域移行を進めている。他の施設では、真面目な職員であればあるほど、自分の施設を利用者にとって居心地のいいところにするべく、一所懸命になる。そこまではいいのだが、さらに、この施設こそが、障害者にとってずっといるべきところと思い込んでしまう。ここ船形コロニーの職員は、そこのところが違っていた。長年入所している障害者に「あなたの本当の気持ちを知ろうとしないで、結果的にここに閉じ込めてしまうことになって、ごめんなさい」というところから、解体宣言は始まった。想像力の問題なのだろうか、「当事者に聞け」の実践なのだろうか。いずれにしても、船形コロニー解体宣言は、職員自身の気づきから始まった改革であるからこそ、迫力と実現力がある。

 単なる理屈や、想像に基づく不安や偏見は、実態を前にして、どれだけの説得力があるのか。将来を見通すことも重要である。そして、なによりも、障害を持った本人たちの心の叫びに耳を傾けることが大事であると思う。障害福祉の仕事は、誰のためにしているのか。施設のためでも、行政のためでも、親のためでもない。本人たちの幸せのためにやっている。障害を持っていても、「生まれてきて良かった」と思える人生を送ってもらうために、手助けがいるならが、そこのところに力を傾注すべきである。

 船形コロニーにも、元気でいられる日々が限られている高齢の障害者が入所している。その人たちにこそ、地域の中で、人間としてあたりまえの暮らしの温かさを、短い期間であっても味わってもらいたい。船形コロニー解体宣言の狙いをわかりやすく言えば、こんなことにもなるのではないか。解体宣言の見直しというのなら、ここのところにも注目すべきであると、私は考える。



TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org