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シローの走り書き

走るクマ

一年を振り返って

2005.12.28

 過ぎし一年を振り返る時期である。去年の今頃は、「「2004年を振り返って」という文章を書いたが、これは当時続けていたメルマガの第173号で配信したものである。メルマガを3月8日の第183号で休載して、4月5日から「シローの走り書き」を始めた。そういえば、この休載も、直前の第182号で「ニッポン放送株式争奪戦」を書いた内容に関わっている。私の文章が、堀江貴文ライブドア社長に批判的であるかのようにある新聞に(無断で)引用され、そのことに対して私を非難するメールが殺到したことに嫌気がさしたことも休載の一因になった。今は、「そんなこともあったな」と振り返っている。

 そのライブドアの動きから始まった、宮城を本拠地とする新球団の話題、これが今年の明るい話題の第一であったと思う。東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生は、我々宮城県民をはじめ、東北全体に夢を与えてくれた。97敗したっていいじゃないか。38回も勝ってくれたのだから。それよりも、何よりも、我々の目の前でプロ野球の醍醐味を見せてくれた。楽天イーグルスありがとう。これが今年を振り返って、真っ先に感謝したいことである。田尾監督が解任されたのは、かなり残念なことではあった。

 「シローの走り書き」で書いたテーマで、今年を振り返ってみれば、今年も一番多く書いたのが、地方財政自立改革についてであった。「地方財政自立改革の『幕間』」(4月12日)、「進化する知事会」(7月19日)、「今こそ地方分権」(9月20日)、「三位一体改革の『決着』」(12月5日)。この最後の「走り書き」で書いたように、決着は地方側の期待を大きく裏切るものであったと言わざるを得ない。その意味では、これまでの努力と議論の積み重ねは何だったのだろうという、無力感を抱いてしまう結果となった。残念、無念。

 「走り書き」で扱った話題で、もう一つ多かったのが、県警犯罪捜査報償費問題である。「県警の内部監査」(4月26日)、「県警犯罪捜査報償費の予算執行停止」(6月28日)、「捜査『協力者』とは」(7月5日)と3回書いたことになる。この決着がつかないままに、私は宮城県知事の任期を終えることになってしまった。予算執行の最高責任者が、「この予算の執行には疑義がある」と確信しているのに、「捜査上の支障」を盾に「知事にも説明しません」ということが許されるとすれば、誰がどうやって予算執行のチェックができるのか。県税を納める県民に対して、知事としての説明責任を果たしたとは言えない状況に追い込まれているという認識であった。

  これは情報公開の問題ではない。知事と納税者にとっての死活問題であり、知事という権力と県警本部長という権力の競合の問題である。そして、「捜査上の支障を来たさない」という法益と、「予算の適正執行の確保」という法益の調整の問題でもある。こういった本質を見失ってはならない。その意味では、県警の協力拒否は、理不尽であり不条理であると言わざるを得ない。

 今年も、このことに関しては、慙愧の念で一杯である。 ただ、これは勝ち負けで論じられるべきものではない。長い目で見れば、真実は必ず明らかになる。県警としては自発的に真実を明らかにするという途があったはずであり、そうなれば、どちらも勝者になるチャンスがあったのにという想いである。いずれ、時間が解決してくれると信じて、今年は今年と思い定めることにしたい。

  今年の一番の出来事は、私にとっては、「四選出馬せず」として宮城県知事を辞めたことである。なぜ辞めるのかわからないとか、辞めるべきでないといった声も聞かれたが、あれから少し時間が経って振り返っていただければ、私の決断も少しはご理解いただけるのではないかと思っている。「知事以外のことができない身体になってしまうのは、いやだ」というのは、実物大として本音である。前向きな言い方をすれば、57歳にして、新しい職業生活に挑戦できることのわくわく感で一杯ということになる。

  私の後任知事を選ぶ選挙では、私の推した候補者が苦杯をなめた。これは、今年一番の慙愧ではあった。好漢、前葉泰幸さんのさらなる活躍の場が、来年はきっとやってくることを信じつつ、未来に希望を託したい。

  公私共に、いろいろなことがあった。最低限、健康で元気一杯に走ることを楽しむことができたことは、神に感謝したい想いである。願わくば、新しい年も健康で元気一杯に過ごしたい。そんなことを考えながら、今年最後の走り書きとする。



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