宮城県知事浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

シローの走り書き

走るクマ

新米の季節

2005.9.27

 今年も、新米の季節を迎えている。新米が取れるとすぐに送ってくださる県内の農家の方から、おいしいお米が届いた。食卓に、キラキラと一粒一粒輝いているお米のご飯が並んでいる。宮城県に住んでいることの幸せを感じる瞬間。今年のお米の出来も、例年同様に、素晴らしいものである。作った農家の方々も、うれしいだろうし、こうやって食べることができる消費者もうれしい。

 気にかかるのは、お米の値段が安いことである。毎年毎年、価格が確実に下がっている。産地間競争が激しいのは、悪いことではないが、全体としてお米の値段が安くなるのでは、生産意欲が薄れてしまう。何よりも、農家の経営を成り立たせるのが、とてもむずかしくなる。

 「売れる米づくり」ということが強調されている。ただ作ればいいのではない。消費者の好みに合った、安心できる安全でおいしい米づくりを心がけるだけでも、まだ足りない。消費者にとって、作り手の顔が見えるような米づくりが求められている。どこの誰が、どのようにして作った米なのか。消費者と直接結びついて販売している農家の方々は、こういったところを十分に意識してお米を作っている。

 「田んぼ通信」を毎月発行して、米づくりの途中経過まで消費者に届けている農家もある。実は、冒頭に書いた、我が家に新米を届けてくれる0さんがそうである。素性がわかる米づくりという以上のものである。お米を作る喜びと苦労が、文章から伝わってくる。こういうのは、そのお米の付加価値になるのではないか。

 この「走り書き」の5月17日号にふゆみずたんぼのことを書いた。漢字で書けば、冬期湛水田になるが、そこからできる「ふゆみずたんぼ米」のおいしさに驚いたことを思い出す。この田んぼには、がんがやってくるし、めだかが戻ってきたというストーリー性がある。子どもたちの環境教育にも、うってつけである。安全で、うまい米ができる。ふゆみずたんぼがまだ普及していないので、大量に生産するまでに至っていないが、これが市場に大量に出回ったら、実に面白いことになる。何よりも、売れる米になることだろう。

 農家の方の苦労を知らないと批判されるかもしれないが、お米ができていく過程の一つ一つの田んぼの様子が、都会の住人とすれば、見ているだけで魅力一杯である。田植え直前直後の水を張った田んぼに月の影が映っている。仙台市内でも、そんな景色が見られるが、これは感動的である。稲の緑が、季節とともにだんだん濃くなっていく。そういった田んぼの様子も、魅力的である。

 そして、黄金色に輝く、刈り入れ間近の田んぼの美しさ。収穫の予感とともにその黄金色を見るからだろうか、豊かな美しさのようなものを感じる。田んぼは、農業という産業の単なる生産現場という意味を持っているのではない。多面的な価値があるが、特に、豊かな環境を形作っているという意味が大きい。この景色が、われわれの目の前からなくなった状況を想像してみたらいい。なんと大事なものを失うことになるか、計り知れない。

 12年前は、作況指数30台という大冷害に宮城県は襲われた。その年の秋に知事に就任した「新米知事」としての私は、挨拶の機会には、「今年の新米は、ちょっと出来が悪いかもしれないが、噛めば噛むほど味が出てくるので、どうか気長におつきあいいただきたい」といったことを申し上げていたことを思い出す。12年後、新米の出来がことのほかいい収穫の秋を迎えている。おいしい新米を食べながら、この12年間のことを思い出している。



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