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仙台市長選挙結果

2005.8.2

 藤井市長の後任の仙台市長を選ぶ選挙において、梅原克彦氏が当選した。6人が立候補し、それぞれがマニフェストを策定しての白熱した選挙戦であったが、投票率は43.67%と意外に伸びなかった。このことは残念ではあったが、まずは若き新市長の誕生に心からお祝いを申し上げたい。

 藤井黎市長は、平成5年の就任。前任者がゼネコン汚職で逮捕された後の出直し選挙での当選ということも含めて、私と同じ時期、同じような運命での首長就任であった。年齢の違いはあるが、私のほうでは、「お前と俺とは,同期の桜」という連帯感を勝手に持たせてもらった。藤井さんは今はどんな心境なのか、親しくお聞きしたいような気がするが、果たしていない。いずれにしても、12年間は決して短い期間ではない。私からお疲れ様というのは、ちょっとおかしいし、早過ぎる気はするが、まずはその言葉をお送りしたい。

 そして、話は選挙について。たった3回しか選挙を経験したことのない身で大それたことは言えないが、「選挙は大事」ということを実感している。候補者としては、当落は大事でないはずはないのであるから、当然のように聞こえるかもしれない。選挙の大事さは、当落以上のものがあるというのが、言いたいことである。

 「選挙を通じて知事になっていく」というのは、長く神奈川県知事を務めた長洲一二さんの著書にあった言葉である。12年前、初めての知事選挙の直前に読んで、妙に納得した。選挙で県内あちこちを回って、県民に直接訴えるという活動を通じて、さらに立派な知事に変身を遂げるといった内容だった気がする。長洲知事としての最後のほうは、主要政党全部の推薦を受けて、選挙での勝ち負けは最初からわかっていた余裕の言葉と言えないことはない。

 私の実感的選挙観で言えば、過程がとても大事ということ。「選挙の戦い方、図式が、その後4年間の知事(市長)としてのありようを決める」は正真正銘実感である。「選挙が終わったら、敵よりも味方が大変」ということを言われていたが、私の選挙においては有力団体とか政党とか、特に力の強い個人とかの味方がいなかったので、このことは実感しなかった。むしろ、選挙の図式において、はじめから、強い味方を任ずるような人を自陣に迎えないというやり方に執着したということは、言えるかもしれない。

 仙台市長選挙の結果を論じながら、選挙一般だったり、自分の選挙観のようなものばかり書いてしまった。本題に戻ろう。

 政令市として初めてのマニフェスト型の選挙であったと評されているが、それが深いところまで浸透したのかについては、いろいろ見方がある。市民の間にも、マニフェストについての認識が深まっていない中での選挙であるから、限定的な効果しか発揮できなかったことは、ある意味では当然かもしれない。マニフェストは、有権者にとっても選択のよすがとして大事かもしれないが、むしろ、それを策定する過程での悩み、苦しみも含めて、候補者にとってこそ意義があるのではないかというのが、私の考えである。

 今回の仙台市長選挙では、地下鉄東西線の建設が大きなテーマになったことは否定できない。明確に事業の継続を主張したのは梅原候補だけであり、その梅原氏が当選したのだから、この事業は市民に認められたという見方もあろう。しかし、得票率等を考慮すると、これまで以上に市民に対する説明の必要性が提起されたと考えるべきものかもしれない。

 県としての立場からは、梅原氏という若くて行動的な市長の登場を、心から歓迎したい。出身省は違っても、私と同じく官僚出身というのは、はじめから分かり合えるような安心感がある。「官僚出身だから」というレッテル貼っての批判のようなものが、市長選の時からあったが、そういうものには、どうも違和感がある。官僚出身にも色々な人がいるし、出自だけで色眼鏡で見るようなことはよくない。

 ともあれ、県と仙台市との良好な関係は、8月22日以降も是非とも継続していきたい。互いの発展のために、大いに協力し合いながら素晴らしい地域を作っていきたい。そのための強力なスターが登場したという想いである。



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