讀賣新聞 夕刊 2009.3.5 手当ての申請主義 見直す時期 長崎県のQ市での講演でお会いした女性のケース。20年前、当時16歳の息子さんが交通事故に遭い、重い障害を持つに至った。町役場で手続きをして、身体障害者手帳をもらった。 それから10年以上経ってから、重度障害児の親には、特別児童扶養手当が支給されることを知った。県に申請をしたら、時効により権利は消滅しているとの返事だった。「何とかならないものか」と私に相談してきたのである。 受給権があるのを知らなかったために、受給の途がふさがれてしまった。泣き寝入りである。誰が悪いのか、何が問題なのか。 最初に身体障害者手帳の交付手続きに関わった職員が怠慢、不親切だったということ。ひと言、「あなたの場合、特別児童扶養手当がもらえますよ」と伝え、申請書か説明書を渡すべきだった。 もっと根っこをたどれば、福祉の施策が、基本的に、申請主義になっていることが原因である。本人からの申請がない限り、自動的に施策は下りてこない。特別児童扶養手当が存在することを、どれだけの人が知識として持っているか。 知識だけではない。離婚後の母に支給される児童扶養手当の場合。家庭内暴力の被害に遭い、やっと離婚に辿り着いた母親は、離婚後すぐに、児童扶養手当の申請に出向く余裕はない。余裕ができて申請する頃には、何か月分かの手当は失われている。 そのためにこそ、民生委員・児童委員がいるというのは、月並みな答である。申請主義というのは、「知らないのがいけない。申請に行く余裕がないのが悪い」という制度と見ることもできる。 年金と同じように、福祉の施策にまで申請主義を持ち込むのは正しいことなのだろうか。「障害を持ったのは、あんたの不幸。不幸は、自分で始末をつけなさい」という姿勢にまでつながっているのではないか。福祉の施策を、こういう観点から見直す時期に来ている。
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