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宋 文洲 氏のメルマガ
第102号 2008.8.22配信
連載コラム「病識、常識、非常識」
最終回

常識・病識・非常識

 「常識・病識・非常識」という全体タイトルの中で、5回にわたり、この欄で 書かせていただいた。東京中心主義はいいかげんにしろとか、内閣改造で大臣 の首をしょっちゅう挿げ替える悪習はやめてしまえとか、霞ヶ関や大分県教育 委員会の不祥事はとんでもないとか、結局は、怒ってばかりいたようなもので ある。

  私が一人で怒っているだけでなく、皆さんにも、「一緒に怒りましょう」と呼 びかけたつもりである。その怒りを継続させ、怒りから意味のある行動に移す ことの重要性も伝えたかった。

  第一回で登場させた「もんだの人々」というのは、私の造語である。狭い特殊 なサークルの中だけで通じる「常識」を、サークル外の「素人=非専門家」に 語る時の語尾に、「こういうもんだ」と連発するから、そういう人たちを「も んだの人々」と称することにしたのである。語りかけられた素人というか、一 般人が「はあ、そういうもんですか」と受けてしまえば、怒りが生じる余地は ない。「あなた方の常識は、我々の非常識ですね」と言い返せるようになって、 初めて、その「常識」が机の上に乗せられ、批判にさらされる。

  東国原知事が誕生する前夜の宮崎県では、前知事の関わった官製談合が、宮崎 県庁の体質の問題だということを、多くの宮崎県民が見抜いたのである。「宮 崎県庁の常識は、宮崎県民の非常識」と言って、怒りの声を上げた。出直し知 事選挙では、「宮崎県をどげんかせんといかん」と訴えたそのまんま東候補と 宮崎県民の思いは一致したことによって、東国原知事の誕生に至ったものと私 は見ている。怒りは、世の中を変えるのである。

  「もんだに人々」の言説に惑わされずに、よくよく見れば、「政界の常識は、 国民の非常識」、「役人の常識は、一般人の非常識」、「業界の常識は、世の 中の非常識」といったことは、至るところにある。それが怒りに通じ、怒りは 行動への入り口になる。

  特殊なサークルの中にいて、狭い世界だけで通じる変なことを「常識」と信じ ていることは、病気にかかっているのに、自分が病気であるという認識がない 状態である。つまり、病識がないということ。病識がないから、病気を治そう としないのはあたりまえ。伝染性の病気の場合だと、周りにどんどん病原菌を 振りまいてしまう。

  厚生労働省がらみで、いろいろな問題が噴出している。年金記録問題、薬害肝 炎問題、後期高齢者医療制度問題などなど。私が24年近く勤めた古巣の役所 なので、心苦しい面もあるが、このたび、「厚生労働行政在り方懇談会」の委 員に任命されたので、古巣の「常識」にも切り込んでいかなければならないし、 病巣を明らかにする義務がある。第一回の会合が、8月7日(木)に首相官邸 であったが、その際に、私が強調したのが、情報公開の徹底である。

  情報公開は、見せたい情報だけ見せる広報とは、根本的に違う。見せたくない 情報も、過去に遡って見せる、恥部も含めて真っ裸になるのが、情報公開の本 質である。新たな不祥事が明らかになるかもしれない。しかし、そこまで裸に なって、初めて組織に対する周りの信頼感が得られる。

  情報公開は、組織における「常識」が、世の中全般にとっても常識と言えるの かどうかを見極めるためのシステムである。自分たちでさえ気がつかない病巣 を明るみに出してくれることもある。だからこそ、結果的には、情報公開は組 織を救う、転ばぬ先の杖となるのである。

  常識・病識・非常識ということの意味が、おわかりいただけただろうか。情報 公開こそが、組織に病気の認識を持たせ、特殊な「常識」が非常識であること を内外ともに明らかにする道具であり、そこから健全な常識が育つということ も、強調したかった。

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