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月刊年金時代2012年3月号
新・言語学序説から 第98

「敬称について」

 日本語には、敬称というのがある。外国語にも敬称はあるが、日本のそれと比べれば、単純である。日本語の敬称は、呼ばれる人物によって、さまざまであり、そこが日本語の面白いところである。

 英語では、父親、母親に敬称をつけては呼ばない。日本語では、「親父」、「おふくろ」と敬称なしで呼ぶこともあるが、たいていは敬称つきで、しかも多種にわたる。子どもの頃、父母を「おとうちゃん」、「おかあちゃん」と呼んでいた。小学校に上がったら、級友の多くは「おとうさん」、「おかあさん」と呼んでいるのがわかって、こちらも呼び方を改めた。「おとうちゃん」というのは、子どもっぽくて恥ずかしくなったからである。

   娘二人には、「おとうさま」、「おかあさま」と呼ばせたのだが、彼女たちも、いつの間にか「おとうさん」、「おかあさん」と我々を呼ぶようになった。こちらが「おとうさま」と呼ばれるのにふさわしい人品骨柄でないことを、娘にも見透かされていたのだろう。「とうちゃん」、「かあちゃん」と教えるのが良かったかもしれない。

 改まった言い方としては、「父上」、「母上」というのがある。「姉上」、「叔父上」とは言うが、祖父、祖母を「じじ上」、「ばば上」とは呼ばない。これで気がついたが、「上様」というのは、将軍、殿様の呼び方だが、これは敬称が重なっている。そもそも、「殿様」がそうである。

 日本語では、人間以外にも敬称を冠する。「お日さま」、「お星さま」、「お月さま」のたぐいであり、「カミナリさま」とまで言うが、「火星さま」とは言わない。ザ・ビートルズの曲で、ジョン・レノンのシャウトが印象的な「ミスター・ムーンライト」があるのを思い出した。英語にも「お月さま」の表現はある。英語の表現で、また思い出したが、大統領を「ミスター・プレジデント」と呼ぶのも興味深い。

 そこから連想して、日本語では役職名が、そのまま敬称になっている。「岡田大臣」というのは、呼びつけではなく、「大臣」というのが敬称である。大臣について、「総理大臣」が「総理」と呼ばれるのなら、厚生労働大臣は「厚生労働」と呼ばれてもいいのだが、そうはいかない。社長も課長も、そのままで敬称になっているから、「社長様」、「課長様」と呼ばなくていい。

 そのことで、思い出すことがある。私が宮城県知事をやっていたときに、県民から知事宛にお手紙を書いてもらう企画を、当時の広報課長が提案してきた。「それは面白い」と採用したのだが、「知事さん、あのね」という感じで書いてもらったら、親しみのある手紙になるのではないかと思い、その企画を「知事さん、あのね」と名づけた。さらに、知事が県内の市町村に出向いて、いろいろ視察をし、一日の最後に地域の人たちと意見交換をするという企画も広報課長から提案で実現した。その意見交換の場を「知事さん、あのね」と呼ぶことにした。「自分をさんづけにするのは、おかしい」と、県議会で指摘されたのには、苦笑するしかなかった。

 同じく知事時代のことだが、敬称について迷ったことがある。地域のために尽力した県民に、表彰状や感謝状を知事からお渡しする場面でのこと。表彰状には、「山田和子殿」と書いてある。そのまま「殿」と読むのがためらわれて、「様」と呼ばせてもらった。ついでに、相手が男性でも、「殿」ではなく「様」を使った。私の言語感覚では、「殿」は仰々しさが目立って、心がこもっていないように思える。その読み方に対して、特に異議が申し立てられなかったので、以後、同じ場面では「殿」呼びで通したのだが、それでよかったのだろうかと、今でも、少し迷うところである。

 大きな病気で、長い入院生活を送った。今でも、外来で病院を訪れることが多いが、そこで気になるのは、「患者様」という呼び方である。院内放送で「患者様のお呼び出しを申し上げます」というのを聞くと、どうもすっきりしない。「患者の佐藤さん」と呼びつけにすることはないが、「患者さん」でいいのではないか。私も患者の一人だが、そこまで患者に気を遣う必要はないと思う。患者はお客様というよりは、病気を治してもらうために来ているのだから、「様」で呼ばれるほどではないと思うのだが、どうだろう。

 政治家は「先生」と呼ばれることが多い。役人時代には、「議員をさんづけで呼んではいけない。議員は先生と呼ばれると気をよくするのだから、先生と呼ぶように」と先輩から教えてもらった。最近は「私を先生と呼ばないでください」という議員が増えているらしい。役人のほうから見れば、先生と呼んで懐柔する策が通じなくなるのは困ったことなのかもしれない。

 5年前から慶応大学で教えている。学生から「浅野先生」と呼ばれることがうれしかった。慶応大学では、先生方同士では、君づけで呼ぶのが伝統らしい。確かに、文書上の敬称は「君」になっている。しかし、キャンパス内では、「先生」と呼びあうのが普通であり、君づけは聞いたことがない。常識が伝統に勝っているということか。

 芸能人は、ちゃんづけで呼ばれるのが、人気の証である。「九ちゃん(坂本九)、「裕ちゃん(石原裕次郎)」、「サブちゃん(北島三郎)」がその例。一方、森進一は「進ちゃん」とは呼ばれないが、決して人気がないからではない。どこが、分かれ目なのだろう。美空ひばりが「ひばり」と呼びつけにされるのは、最高の人気の証。天童よしみは、まだ「よしみ」とは呼ばれない。敬称が面白いというのは、こんなところにも現れる。

 私が厚生省で障害福祉課長をしていた時のこと。「浅野課長」と呼ばれるうちは、まだまだ。「浅野さん」と呼ばれるようになったら、私の仕事ぶりが、役所の外の人から認められているということ。さらに「史郎ちゃん」と呼ばれるようになったら本物。そんなことを考えていた。障害福祉課長の任期の終わりごろには、実際に「史郎ちゃん」と呼ぶ関係者も現れて、一人悦に入っていたのを思い出す。

 敬称の話、最後は自分の自慢話のようなことになってしまった。困った史郎ちゃん。


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