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月刊年金時代2011年12月号
新・言語学序説から 第95

「どっちかなについて」

  手紙や原稿を書いていて、「あれっ、どっちかな」ということが何度もある。主に、漢字の使い方である。今回は、そんな例をいくつかあげてみることにしたい。

早い、速い  
 基本的な違いは理解している。「朝起きるのが早い」、「走るのが速い」で、英語で言えば、「早い」がearlyで、「速い」がfast(又はrapid、swift)と違いは、はっきりしている。ただ、毎朝の散歩をしていると迷うことがある。私の散歩は、15分行ったところから戻ってくるという、「時間制」をとっている。往路15分、復路14分45秒だと、「ジョギング日記」に、「復路のほうが15秒速い」と書くべきなのか、「15秒早い」がいいのか、どっちかなと迷っている。「遅い」の場合は、使い方の違いがない。どちらのケースも「遅い」でいい。

取る、採る、捕る、獲る   
 前の記述で、「『時間制』をとっている」と書いたが、ここは「採る」なのだろうが、ちょっと自信がないので、ひらがなでごまかした。毎月の外来診察で血液検査があるが、その際、血液を「取られる」のか、「採られる」のか。どうも「採られる」が正解らしいのだが、患者からすると、「大事な血を取られる」のほうが実感に近い。海で魚を「取る」のか、「捕る」のか、「獲る」のか、「採る」のか。「漁獲高」、「捕鯨」と、魚の大きさによって違うのだろうか。「捕獲」の場合は、どっちも使われている。むずかしいな。

変わる、換わる、替わる  
 役職が「変わる」のか、「換わる」のか。通勤経路を「変える」のか、「替える」のか。ピッチャーを「替える」のか、「代える」のか。「代替する」という表現があるから、悩んでしまう。恋人を「替える」のは、心「変わり」であるが、この使い方でいいのだろうか。そもそも、「車を替える」とは言っても、「恋人を替える」なんて言わないか。

初め、始め、創め
 「初めて」の仕事、仕事を「始める」は、間違えない。でも、「年の初め」、「年の始め」どっちかな。「国の始め」、「国の初め」どっちかな。事業を「始める」か「創める」かは、「創始者」がいるから、ややこしい。「初めまして」の挨拶は「始めまして」ではないはずだが、どっちかなと迷う。

収める、納める、治める
 「紛争を収める」、「暴動を治める」と使い分けるらしいのだが、「紛争を治める」は間違いなんだろうか。「税金を納める」で決まりなのだろうが、「収納する」があるから、ちょっと迷う。「病気が収まる」と思い込んでいたのだが、正しくは、「病気が治まる」なんだって。何年間も、間違って使っていた。

聞く、聴く、訊く
 「聞く」はふつうに聞くこと、「聴く」は音楽などを身を入れて聴くこと。人にものを尋ねるときは、「訊く」が使われることが多いが、「聞く」でもいいらしい。私は、最近、「訊く」を使うようになったが、それまでは「聞く」派だった。文意から言えば、「尋ねる」という意味で使う場合は、「訊く」のほうが適当だろう。小説家の文章でも、作家によって、まちまちであることに、最近、気づいた。

とき、時  
 前記で、「人にものを尋ねるときは」と書いたが、これが正しい。「とき」は、そういった状況、場合として使う。「時」は、「起きた時は、すでに遅かった」というように、「時間」の意識があるときに使う。原則はこのとおりなのだが、実際には、どっちかなと迷うときがある。

「なります」  
 「なります」については、以前にも、書いたような気がするが、もう一度書く。先日、家族で横浜そごう10階のレストラン街にある「銀座アスター」で食事をした時のこと。ウエイトレスがお料理を運んできて「ふかひれスープでございます」と言ったのに、新鮮な驚きを感じた。「おお、『ございます』はいいね。この店のしつけですか」と訊くと、「そうです」とのこと。お料理の味が、一段とおいしく感じられるというものである。

 多くの料理屋では、あいかわらず、「茶碗蒸しになります」である。店の人は、どんな言語感覚を持っているのだろう。どんな店員教育をやっているのだろう。「どのぐらい待つと、これが茶碗蒸しになるんですか」とひやかした後に、「こういうときはね、『茶碗蒸しでございます』と言ったほうが、よほどていねいに聞こえるのですよ」と教えてあげるときと、そうでないときがある。教えてやったほうがいいのか、黙って苦笑しているのがいいのか、どっちかな。

ガバナビリティ  
 番外で、英語関係の「どっちかな」。ガバナビリティを「統治能力」という意味で使う日本人がいる。英語に堪能なはずの識者でさえ、そんな間違いを犯す。「統治能力」というなら、governing abilityが正しい。Governabilityは、「統治されやすさ」のことである。この形容詞形は、governableで、This region is governable は「この地域は統治しやすい」となる。This water is drinkable といえば、「飲める」の意味だが、主語は私ではなく、水である。Edible(食べられる)、audible(聞こえる)、visible(見える)、みな同じ。受身形と能動形を混同してはならない。他に、英語遣いの間違いは、「ネック」、「ジンクス」、「ジレンマ」など、ゴマンとあるが、ガバナビリティは、特に、気になるので、書こうか書くまいか「どっちかな」と迷ったけど、書いてみた。

「どっちかなについて」  
 今回のタイトルは、「どっちかなについて」だが、ふつうであれば、「どっちかな」でいい。このコラムをずっとお読みの方はおわかりのように、毎回のタイトルが、「ことばについて」など、「ついて」を使っている。この連載の第一回で種明かしを先にやっておいたのだが、浅田次郎の痛快エッセイ「勇気凛々ルリの色」の毎回のタイトルが、「・・・について」になっていたのを見て、まねしたのである。今回は、「について」をとろうか、「どっちかな」と少し迷ったが、初心貫徹した次第である。ご了解あれ。「そんなの、どっちでもいい」と言われそうだが。 


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