浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2011年10月号
新・言語学序説から 第93

「夢について」

 大病をして以来だが、頻尿に悩まされている。昼間より、夜の頻尿が困りもので、夜の眠りが何度も中断される。どうしても眠りが浅くなり、そのせいで、夢をよく見る。かなり現実に近い夢なのだが、朝起きると、内容は忘れている。寝ながらラジオを聴いているので、ラジオから聴こえる話とごちゃ混ぜになった夢を見ることがある。この「夢とラジオごちゃごちゃ」というのが、なんともいわく言い難く面白い。

 「夢」という言葉が日常会話で使われると、先に書いたような、寝ている時に見る夢とは違った意味になる。1963年8月、ワシントンDCのリンカーン記念公園、公民権運動の「ワシントン大行進」に参加した25万人の聴衆を前にして、マーティン・ルーサー・キング牧師が、行進のフィナーレを飾る演説をした。有名な「I have a  dream(私には夢がある)」という16分14秒の演説である。このフレーズが、何度も繰り返される。実際の夢には、悪夢もあるし、「夢みたいなこと言うな」という場合の「夢」は、非現実的なことを意味しているが、この演説では、希望とか、理想、願いといった意味で「夢」が使われている。

 この演説のテープを、英語研修の際に、教材として、何度も聴かされた。ルーサー牧師の力強いバリトンの声は、抑揚があって、「I have a dream」の繰り返しは、歌うが如く耳に響き、心が震えるほど感動したのを思い出す。

 この演説を下敷きにしたのではないかと思われる曲を、わがエルヴィス・プレスリーが歌っている。1968年12月、NBCテレビの「カムバック・スペシャル」のエンディングに歌う、エルヴィスとしては極めて珍しいメッセージ・ソングの「If I can dream」(邦題「明日への願い」)である。「カムバック」と冠されているのは、この番組が、エルヴィスにとって8年ぶりのテレビ出演だからである。視聴率70%という、驚異的な記録が残っている。まさに、夢のような番組といえる。この年の4月にルーサー牧師は、エルヴィスの自宅のあるテネシー州メンフィスで凶弾に倒れた。

 私は、いろいろな場面で「夢」を使うことが多いのだが、1993年の宮城県知事選挙に出馬した時がその最初ではなかっただろうか。私の選挙資金として、福祉関係の仲間からの浄財が寄せられたが、その寄付の受け皿の名称が「夢ネットワーク」であった。知事に就任した直後に、県政のキャッチフレーズとして、「夢航路未来号」というのを使った。

  私個人のホームページのタイトルが「浅野史郎・夢らいん」、そして、知事時代に地元仙台のFMラジオ3で毎週放送した番組が「シローと夢トーク」である。

 「シローと夢トーク」は、「エルヴィス・プレスリーの曲しかかけない、エルヴィス・プレスリーの曲の話しかしない」という究極のおたく番組で、7年間、300回ほど続いた。「宮城県知事」という肩書きを隠した「単なるエルヴィスおたく」の私が、曲の選定、使用するCDの持ち込み、CDの演奏、コマーシャルの挿入、DJまで全部一人でやるというワンマンショーで、心から楽しんで番組を制作していた。

 ここまで、何度もエルヴィス・プレスリーの名前が出てきたが、そもそも、「夢」の淵源は、エルヴィスの曲の名前である。仙台のレコード店のスピーカーから流れてきて、中学三年生の史郎少年の心を瞬時に奪った歌が、「夢の渚」(原題「Follow that dream」)である。軽快なリズムに乗って歌う歌手が誰か、曲の名前はなんというのか、店員に訊くまでわからなかったが、いっぺんで歌声のとりこになってしまった。私のエルヴィスへの傾倒は、ここから始まり、50年近く続いている。

 「夢の渚」は、洋楽であるが、邦楽には、夢を冠した歌がたくさんある。「いつでも夢を」(橋幸夫・吉永小百合)、「夢をあきらめないで」(岡本孝子)、「夢は夜ひらく」(藤圭子)、「みんな夢の中」(高田恭子)、「夢一夜」(南こうせつ)、「夢の中へ」(井上陽水)、「夢の途中」(来生たかお)、「夢おんな」(桂銀淑)、「夢芝居」(梅沢富美男)、「夢で逢いましょう」(ザ・ピーナッツ)などなど。最初の3曲が、「理想」、「希望」としての「夢」で、それからあとのは、本来の(?)夢として使われている。

 現実生活の私は、希望、理想、願いとしての「夢」を意識したことはない。子どものころには、「大きくなったら、何になりたいか」なんていうことを大人は訊いてくるが、私はまともに答えられたことがなかった。金持ちになりたいとか、末は博士か大臣かといった「夢」は描いてみたことがない。

 夢は理想であり、目標である。これまでの私の生き方は、目標を高く掲げて、その夢の実現に向かって邁進するというものではなかった。現実生活の中で、向こうから球が飛んでくるのを受け止めたり、打ち返したりの繰り返しである。飛んでくる球は、運命と言い換えてもいいかもしれない。それを受け止めたり、打ち返したりしていると、新しい水平線が開けてくる。そこで、また次の運命と対峙する。そんなイメージであろうか。

 大きな病気と闘っている最中に、入院先で「シローと夢トーク」のDJ部分を録音し、それをラジオ3に送って、番組に編集してもらった。闘病中ながらも、私は元気でやっているよということを、仙台のリスナーに伝えるための特別番組として放送された。退院してからも、時々、勝手に録音したものをラジオ3に送っていた。「こんな感じで、毎月1回ぐらい、定期的に放送したらどうだろう」と投げかけたら、ラジオ3からは、「いいですね」という返事があった。なんと、仙台時代に楽しくやっていた番組制作が、また再開ということになった。これこそ、「夢が叶った」ということである。

 今回も、「言語学」とは、あまり関係ない内容になった。話があちこちに飛んでまとまりがない。ごめんなさい。このところ寝不足で、まだ夢の中にいるところで書いてしまったものですから。


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