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月刊年金時代2011年9月号
新・言語学序説から 第92

「耳について」

 耳の聴こえが悪い。ATL(成人T細胞白血病)の治療として、頭に放射線の照射を受けたが、その副作用として、鼓膜が変質して、そこに耳垢が貼りついたのが原因らしい。耳鼻咽喉科のS医師の診断を受け、治療をしてもらっている。治療は、前日から耳に注入した液体でやわらかくした耳垢を機械で吸い上げるのだが、これがひどく痛い。

 先日、右耳から始めた吸出し治療で、鼓膜に貼りついた耳垢を吸い上げられるたびに、「痛い、痛い」を連発した。「そんなに痛いなら、無理しなくていいね。治療で、かえって鼓膜を傷つけたらいけないから」とS医師は吸出しを中止してくれた。治療後も、右耳の痛みは収まらない。そして、右耳の聴こえは、さらに悪くなった。

 左耳の聴こえも、良くないのだから、全体として難聴気味である。話し声が、よく聴き取れない。同居している義母も難聴気味で、私と二人の会話は、落語に出てくるような頓珍漢なものになることが多い。妻から話しかけられても、聞き逃すことが多く、「無視しているのですか」と誤解される。妻は、私の右側に坐っていることが多いので、右耳の聴こえの悪さが「無視」につながる。

 ありがたさがわかったのが、テレビに映し出される字幕である。以前は、テレビ画面に字幕が頻繁に出るのを、わずらわしいと思っていたのだが、難聴者にとっては、この字幕が出るのがありがたい。

 読者の皆様に心配されると困るのだが、私の耳が全然聴こえないわけでない。「難聴」というほどまでもいっていない。右耳はダメでも、左耳は結構聴こえるのだから、日常生活にそれほどの不便はない。それに、放射線照射の影響が抜けてしまえば、元に戻ることが期待されているのだから、難聴としても、にわか難聴、復興期待の難聴である。

 この「にわか難聴」をきっかけに、耳のことを考えることが多くなった。人間の能力で、やはり、聴こえるということは大事である。難聴が嵩じて、失聴ということを思い浮かべてみる。沈黙の世界である。失明による暗黒の世界も怖いが、世の中の音がまったく聴こえてこないという状態は、もっと怖いような気がする。

 そもそも言語は音声言語が基本である。人間の歴史でも、子どもの発達でも、読み書き言語は、音声言語の後から出てくる。音が失われるということは、音声言語の入りの部分がなくなるということであるから、言語学上は、とても大きな喪失である。

 生まれながらに聴力に障害のある子どもは、どうしても言語習得が遅れてしまう。言語は、思考の道具であるので、言語発達の遅れは、知的な部分でも大きなハンディキャップになりかねない。健聴児が言語を獲得するのと同じ時期、つまり、幼児期の早い時期に、耳の不自由な子どもに対しては、特別な言語訓練がなされる必要性がある。自分の子どもが、耳の不自由なことに気がつくのが遅れて、この大事な言語習得の機会を逃してしまうこともある。障害の早期発見、早期療育が必要なゆえんである。

 硬い話になったので、耳にまつわる言い回しについて、言語学序説らしく、いろいろ探ってみよう。耳よりの話があるかも。

 そう、その「耳よりの話」。「聞く値打ちのあること」という意味である。ネットで、「耳寄り」を検索していたら、「耳を洗う」という表現も出てきた。世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清めるということで、尭帝から天下を譲ると言われた許由が、目の前の川で耳を洗ったという「史記」にある故事による。

 耳を洗うといえば、耳鼻科の治療の前日に、耳に水を入れて、耳垢をやわらかくするのだが、この作業は私がベッドに横になって、妻にやってもらう。「寝耳に水だね」と妻に言うのだが、もちろん、意味は違う。予想もしていない情報に驚く様子が「寝耳に水」である。たいていは、悪い情報であり、「宝くじが当たったよ」と聞いても、「寝耳に水」とは言わないだろう。

 その他、耳が早い、耳に入れる、耳を塞ぐ、耳にはさむ、耳を疑う、耳を澄ます、耳が肥えている、耳にタコ、耳につく、耳を貸すなど。これらは全部、「聞く、聴く」ということに関した言葉であるが、「耳をそろえる」というのは、ちょっと違う。「借金を耳をそろえて、全部返した」という使い方をするが、なんでここに耳が出てくるのか。借金返済のときに、小判のヘリ(耳)をそろえる(「偽小判はありません」)というところからという説もある。

 「耳年増」というのは、ゆかしい表現である。性について、実際の経験はないが、人から聞いた話などで、知識だけは豊富という意味である。でも、今時の若い女性は、「みみどしま」と言われても、なんのことやら、わからないのがほとんどではないだろうか。

 「目から鼻に抜ける」というのは、賢い人、頭の回転の速い人のたとえだが、「右の耳から入って、左の耳から抜ける」というのは、似たような言い方だが、まるっきり反対の意味であるのが面白い。耳のほうは、決してほめ言葉ではない。今聞いたことを、すぐに忘れてしまい頭に残らないという人への悪口である。これまた似たような言い方で「耳から口」というのがある。これは、私の耳学問では入ってこないが、ちょっと考えれば、意味はすぐわかる。人から聞いた話をすぐに受け売りすることである。

 最後に、みやびやかな言い方として、「耳順」をあげておこう。「六十而耳順」という孔子の論語の言葉。「六十にして、耳順(みみしたがう)」と読む。六十歳になって、違った考えも素直に聞き入れられるようになったということで、耳順は六十歳の意味で使われる。私は六十三歳だが、違った考えは、素直に聞き入れる心境になっていない。実は、六十歳になった時、自分が「耳順」と呼ばれることは、知識としてなかった。何をかいわんやですね。

 書く材料に困って、聴こえが悪くなったのにかこつけて、こんなことばかり書いてしまった。そんな批判が出るのだろうな。耳が痛い。


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