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月刊年金時代2011年8月号
新・言語学序説から 第91

「上から目線について」

 「視線」と言えばいいところを「目線」という言い方にするのは、いつごろからの現象なのだろうか。「目線」なんていうのは、正しい日本語ではない。この言い方を聞くたびに、言語にうるさい私としては、心の中で不満の炎を燃やしていた。

 しかし、「上から目線」についていえば、これを「上から視線」というのでは、意味が違ってくる。ここはやっぱり、「上から目線」でなければならない。「目線」も日本語として市民権を獲得したと認めるべきだろう。

 「上から目線」はものの言い方を表現しているのであって、「上から目線の姿勢」という言い方はふつうはしない。「上から目線の話し方」というふうに使うので、これは言語学の範疇である。実際に、相手方を上から見下ろして話すというのではなく、自分が相手方より、身分や地位、能力が上であるということを意識し、それが表に出るような話しぶりを、「上から目線のものの言い方」という。「下から目線」というのもあっていいのだが、そういう使われ方はない。

 上から目線というのは、話している本人は気がつかない場合が多い。言われている相手方や、聞いている回りが「この人は上から目線でしゃべっている」と感じるものである。不愉快なしゃべり方であり、「上から目線」は決してほめ言葉ではない。

 「上から目線」は、「命令口調」ほどには、話し手と聴き手の上下関係を明確には表していないが、よく聞くと、そこはかとなく、上下関係を意識して、「自分はあんたより上だよ」というにおいを発散しているように聞こえる。そういう話し方であることを相手方、周りが敏感に感じ取るということだろう。

 上から目線と命令口調で、大臣を辞任することになった人がいる。松本龍初代復興担当大臣である。松本大臣が、就任一週間目に、被災地である岩手県と宮城県を訪ね、両知事と面談した。その時の彼の話し方が、話の内容以上に問題になり、「復興担当大臣にふさわしくない」という批判の声、非難の声が上がった。上から目線の話し方が、「被災地の人たちの気持ちを踏みにじるような言い方だった」、「大臣と知事は主従関係ではないはず」、「被災地の人たちに寄り添うという姿勢が、まったく出ていない」という批判が渦巻いた。

 宮城県知事との面談が、特に、ひどかった。ニュースの画面で、何度も何度も繰り返されたので、やり取りを覚えてしまったほどである。「県でそれコンセンサスを得ろよ!そうしないと我々なにもやらないぞ、ちゃんとやれ」という松本大臣の言葉は、上から目線というより、命令口調そのものである。

 さらに、「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ」と松本大臣は、村井嘉浩宮城県知事を叱責した。実は、この応接室は、私の宮城県知事時代に、お客様を何度もお迎えしたところである。私も村井知事と同じように、隣の知事室で待機していて、お客様が応接室でお茶の一杯も飲んで落ち着いたことを確認してから、応接室に入っていくということにしていた。知事室にお客様をお迎えする場合は、そこで待ってお迎えするが、応接室使用の場合とは、当然、違った形になる。「上から目線」の話から離れてしまったが、自分の経験のことがあるので、ちょっと脱線した。

 村井知事は、後に記者会見で、国と県は対等のパートナーなのだから、命令口調で話すのはよくないと述べた。そのとおりである。大臣と知事は主従関係にあるわけではない。上から目線は礼儀を失しているという以前に、そもそも、大臣が上で知事が下というのが勘違いである。そういう文脈で、松本大臣の言動は批判されるべきである。私は知事在任中、いろいろな大臣とお会いしたが、大臣から上から目線で話をされたことは、一度もなかったことを思い出す。

 「上から目線」というのも、新しい日本語であるが、似たような言葉に「ため口をきく」というのがある。最初、この言い方を聞いた時には、意味がよくわからなかったが、友達口調、対等な言葉遣いという意味の俗語であることを知った。さらに調べてみたら、「タメ」とは、元々博打用語で「ゾロ目(同目)」を指す言葉とのこと。それが不良少年の間の隠語として、同等、対等、五分五分という意味で使われるようになった。「同年」、「同学年」という意味でも使われる。「タメ口でいいんだよ」と先輩が後輩に友情を示すこともあるし、「タメ口きくんじゃネーヨ」とすごまれることもある。

 日本語はむずかしい。敬語、丁寧語、謙譲語という言い方のほかに、上から目線、タメ口というのがあるのだから。私の言語生活としては、相手が誰であっても、だいたいは丁寧語で話している。ただし、相手が間違いなく自分の上位に位置する人の場合は、敬語を使う。小学生、又はそれ以下の幼児を相手にする場合は、上から目線か命令口調になるのは、むしろ自然だと思う。5歳の子どもを相手に「そうなんですよね」というのは、ちょっとおかしい。

 敬語を使うべき場面で、うまく使えなかったり、ついつい上から目線に聞こえる話し方をしたりというのは、私の場合でもあるのだろう。しかし、それは無意識での出来事であり、外から指摘してもらわないと気がつかない。だからこそ、よほど気をつけなければならない。

 私が気になるのは、接客業の人たちに、上から目線、命令口調で話す人である。気になるというより、気に入らない。接客業というのは、タクシーの運転手、喫茶店のウエイトレス、料理屋の板前などである。  これは、わが敬愛する山口瞳さん譲りである。山口さんは、「男性自身」シリーズの中で、「接客業で働いている人に威張ったり、乱暴な口を利く奴は大嫌いだ」と何度も書いていた。日ごろ、弱い立場にいる人に限って、接客業の人たちに、いばり散らす。逆に、接客業の人に、丁寧語で接する人には、好感を覚える。やはり、話し方は、その人の人格、人間性を見るうえで、とても大事なことである。  

 今回の文章、上から目線だっただろうか。ちょっと気にしつつ、反省している。


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