浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2011年3月号
新・言語学序説から 第86

「ネット社会と情報について」

 ネット社会と情報ということで、深く考えさせられる「事件」に遭遇した。ネット上のサイトをサーフィンしていたら、とんでもないブログの記事に行き当たったのである。

 ブログの主は自分の名前を明かしていない。そこに掲載されている日記の記述は驚くべきものであった。一読して、怒りがこみ上げてきた。なぜなら、そこには、こう書いてあったからである。「浅野史郎前宮城県知事がATL(成人T細胞白血病)の治療のため骨髄移植を受け、現在療養中の様子をテレビで放映しているのを見た」という後に、「骨髄移植と聞くと、『近い将来の死』を連想する」と続く。さらに、その後の記述では、「骨髄移植後の5年生存率はゼロだという」という「とんでも発言」をしている。

 まずは、骨髄移植についてであるが、私が罹ったATLの場合は、完治のために必要な治療法であり、有効であることが、実績としても積み重ねられている。まさに、私自身が、絶対の信頼をもって受けた施術であり、その効果があって、順調な回復経過をたどり、今や社会復帰の時期を迎えている。その本人の名前を引用して、「近い将来の死を連想する」と書く神経は、とても理解できるものではない。憤りを感じるほどである。

 この匿名ブログで展開されている日記の記述は、単純に、個人的な怒りで済むことではない。「骨髄移植後の5年生存率はゼロ」というのは、まったく事実に反する。日記の筆者は、「骨髄バンクに情報を請求しても、5年生存率のデータを公表してくれない」と言っているが、これも事実と違っている。実際には、骨髄バンクは、各種白血病ごとの骨髄移植後の成績をデータ化したものをホームページ上で公表しているが、そのデータによれば、5年生存率は、病気の種類や、患者の態様によって幅はあるが、おおむね50%前後であることが読み取れる。

 事実ではない誤った思い込みに基づき、「妄言」をブログに書き散らす。ブログは、誰でも簡単にアクセスできるのだから、いわばマスコミの一種である。そんな形で公開されている媒体に妄言を書き込むことが、どれだけの害悪を及ぼしているのか。私自身の個人的な怒りとは別に、このことに大きな危惧を抱いたのである。

 そこで私がやったのは、このブログにコメントを送ることであった。冷静に、論理的に筆者のまちがいを指摘した。妻には、「こんな変な奴に関わるのはやめたほうがいい」と諌められたが、そうはいかない。この「とんでも発言」の日記のことについては、私の「病友」など、関心のありそうな人たちにメールで伝えていたのだが、ほとんどの人は、怒りを共有する反応だったが、何人かは、妻と同じく「放っておくのが一番」という意見を送ってきた。

 そうこうするうちに、事件は一つの展開を見せた。この匿名の筆者が、問題のこの日の日記を削除し、別な日の日記に、この件に関して反省し、謝罪する言葉を残したのである。「浅野さんほか数名の方から抗議のコメントを頂戴しました。私の勉強不足に基づく誤った思い込みで、大変失礼な表現をしたことを深くお詫びいたします」というものであった。この後、一つ一つの事項について、自分の不明を詫びる言葉が続く。コメントを送った成果があったというべきものである。やはり、言うべきことは、しっかりと伝えなければならないと実感した。

 今回は、相手は匿名でのブログとはいえ、そのブログに私からコメントを寄せることができたので、こういう結果をもたらすことができた。筆者には、誤った思い込みはあっても、悪意はなかったのである。そういうことで、一件落着ということになるのだが、しばらくして、「だからこそ、匿名のブログでの発言が飛び交うネット社会は怖い」という思いが立ち上がってきた。

 今回のケースは、私の実名が書かれていたので、私からきっちり反論することになったのだが、多くの場合は、こういった妄言というか「とんでも発言」は垂れ流しである。それがもたらす害悪は、無視できないほどのものである。

 ネット上には、悪意によるもの、無知によるものを問わず、この種の妄言は数限りなく垂れ流されているので、そのいちいちに反論したりすることは不可能である。多くの場合、無視するしかない。これがネット社会の暗部であるが、直接的にはどうしようもない。

 今回の「事件」を契機に、私としても、この問題を深く考えることになった。そこで得た結論は、「だからこそ、正しい情報を、さまざまな手段で伝えていく努力を重ねることが必要だ」ということである。この世の中には、さまざまな偏見が存在している。その偏見は、多くの場合、無知からくる。誤った情報に惑わされた結果として、偏見に至る。そう考えれば、偏見をこの世からなくすためには、正しい情報、理解しやすい知識を、多くの人に伝えていかなければならない。ネット社会の進展により、ものすごい量の情報が、世界中を飛び回っている時代であるからこそ、正しい情報の伝達が必要とされる。

 私自身の経験でも、ATLという珍しい病気に罹ったことを知った時に、頼りになったのは、ネット上に展開されている、ATLについてのさまざまな情報である。その情報の中には、ATLが極めて難治性の高い病気であることや、毎年1000人以上の患者がこの病気で亡くなっていることなど、あまり知りたくない内容もあったが、そのことも含めて、病気になった時点で、この病気についての実物大の知識を得ておくことは、その後の治療においても、とても有用なことであった。これは、ネット社会のいい面と言える。

 ここまで書いてきたように、ネット社会には、明るい面、暗い面、両様ある。そのことをわきまえておかなければならない。その上で、ネット社会のいいところを上手に利用しつつ、問題のある部分には、適切に対処していく。そんなことが、現代に生き抜く我々としての責務であるという気がする。  


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