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月刊年金時代2011年2月号
新・言語学序説から 第85

「日記について」

 日記を書くようになったのは、いつごろからだったろうか。きちんと書くようになったのは、小学校高学年からという記憶がある。夏休みの絵日記は、宿題として書かされたが、絵の部分は親に描いてもらうことが多かった。その頃書いた日記は、今でも残っているだろうか。

 中学時代は、まめに日記を書いた覚えがない。高校に入ってからの日記は、秘かに想いを寄せる人のことも含め、自分の内面にある想念を書いた。高校三年生の日記では、大学受験についての記述が多かった。こう断定的に書くのは、今も、その日記を持っているからである。恥多き青春の日々の記録である。

 大学時代は断続的に日記を書いた。一人暮らしの孤独を紛らわすためという意味もあった。就職してからは、昼も夜も忙しくなったこともあり、思い立った時だけに書く日記だった。結婚してからは、日記を書く習慣がなくなった。

 しばらく書かないでいた日記を再開したのは、2001年6月である。きっかけは、私の個人用ホームページを開設したこと。「月に2,3回しか更新されないホームページなんて、誰も読まないよ」という友人の助言を聞いて、それなら毎日更新すればいいんだと思った。毎日更新するためには、日記を書くことが一番いい。こうした経緯で、ホームページ上に掲載し、毎日更新する公開日記が始まった。

 本来、日記は自分のためだけに書くものである。読者というのを想定していない。秘密のにおいがするのが、日記の日記たるゆえんであって、「公開日記」というのは、邪道とまでは言わないまでも、本来の日記とは位置づけが違う。

 公開日記のタイトルは、「ジョギング日記」とした。当時は、ほぼ毎朝ジョギングをしていたので、タイトルはすんなり決まった。ホームページへのアクセスを増やそうという目的で始めたが、いつの間にか習慣化して、私の生活の中で、毎日日記を書くことが定着してきた。内容としては、ジョギングに関するものが多いが、それ以外にも、その日の出来事、心に浮かぶよしなしごとを書き綴った。

 日記を書いていて、「一体なんのために、こんな日記をかいているのだろう」と迷うことがあった。こんな疑問を持つようになったひとつのきっかけは、知事時代のことだが、ジョギング日記の記述の中の言葉尻をとらえて、揚げ足を取るような質問が県議会でなされたことである。そんなふうにジョギング日記を「利用」されるのであれば、日記はやめたほうがいいのかなと心が動いた。それでも、この「事件」以降は、こんな形でジョギング日記が「悪用」されることはなかったので、日記中止の危機は乗り越えられた。

 公開日記は、ふつうの日記と微妙に違う。読者の存在を意識することにより、かっこつけた書き方になることがある。嘘は書かないが、ほんとのことを全部書くわけではない。恥ずかしいこと、自分にとって都合の悪いこと、他人のプライバシーに関することの記述は避ける。これは公開日記の限界であるが、むしろ、公開日記のルールと言うべきものだろう。

 知事時代(2005年11月まで)に引き続き、現在に至るまで、ジョギング日記は継続している。その期間も、「何のために書くのかな」という疑問が私の中で湧いてくることが何度かあった。ジョギング日記を書くことの意義が明白に意識されたのは、2009年5月にATL(成人T細胞白血病)を発症した時からのことである。6月に東京大学医科学研究所附属病院に入院した日から、ジョギング日記の掲載をほぼ一年間やらなかった。実際には、日記は書いていたのだが、ホームページへの掲載をやめたのである。入院中の治療の様子しか書くことがないし、そんなものを読みたいという人もいないだろうと、勝手に思い込んでの掲載中止であった。

 日記の掲載はやめたが、一月に一回は、ホームページ「浅野史郎 夢らいん」に、近況報告は掲載していた。そんな経過の中で、ジョギング日記の熱心な読者から、「夢らいん」を通じて、「早く回復するよう応援してます」、「日記を再開してください」というメールが多数送られてきた。これほどまでにジョギング日記を読みたいという人がいることに気がついた。そして、私の病気のことを心配し、応援してくれる人が大勢いることも知った。その中には、私と同じように血液のがんになった人も少なくなかった。

 2010年の6月に、ジョギング日記の掲載を再開したら、「再開を待ち望んでいました」というメールが多数届いた。最近では、ジョギング日記で私が病気と闘っている様子を知って勇気をもらったというメールが多く寄せられている。逆に、病友(私と同じ病気を患っている人)からは、療養中の私にとって有用な情報を得ることができる。また、病気を克服して、元気に活躍している人からのメッセージには、大いに力づけられている。

 こういった反応があるので、ジョギング日記をやめられない。毎日チェックしている人が相当の数にのぼるらしい。読んで勇気をもらったと聞けば、なおのことやめられない。

 自分を真剣に見つめつつ、思索を深めるために、自分のためだけの非公開日記を書きたいと思うこともある。しかし、実際問題としては、公開日記も非公開日記も両方書くには、時間的、精神的余裕がない。そんなことも考えながら、今日も、明日もジョギング日記を書き続ける私である。

 最後に、前回の「医療における言葉について」で書き忘れたことを加えさせてもらう。私が罹った病気のATLという名称は、まことにわかりづらい。一般の方々が、ATLに関心を持たない原因にもなっている。私自身、自分がこの病気になるまでは、まったく知らなかった。今回も、括弧書きを加えて、ATL(成人T型白血病)と書いたが、もっとすんなり頭に入るような呼び名はないものだろうか、一人の患者として、そんなことを真剣に考え、自分なりに、もっと適切な、わかりやすい呼び名の候補を探っている。  


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