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月刊年金時代2011年1月号
新・言語学序説から 第84

「医療における言葉について」

 2009年5月、ATL(成人T型白血病)を発症した。HTLV-1ウイルスの感染者(キャリア)が、60年ほどの潜伏期を経てATLを発症する。このウイルスのキャリアは、日本全体で108万人ほどいて、その中でATLを発症するのは約5%である。ウイルスへの感染は、多くの場合、キャリアである母親からの授乳による。ATLは、白血病の中でも最も難治性の高い病気で、治療法は確立していない。年間1000人ほどの人がATLで亡くなっている。

 東北大学付属病院の医師から告知を受けた時は、衝撃であり、落ち込んだ。それから1,2時間後に「この病気と闘うぞ」と自分に言い聞かせ、妻に「協力頼む」と言ったのを契機に立ち直り、以後、一度も落ち込むことはなかった。この連載も、入院を機会に休載させていただいたが、編集部のご理解のもと、今回再開第一回の原稿を書かせてもらっている。

 医療において言葉の持つ意味は大きい。最初に入院したのは、東京大学医科学研究所付属病院だった。入院前の説明を内丸薫医師から聞いたが、むずかしい専門用語を使うこともなく、とてもわかりやすいものだった。説明の中で、「この病気の生存期間中央値は11ヶ月」というのがあって、衝撃を受けた。私は、この説明を「あなたの余命は11ヶ月です」と言われたと受け取ったからである。内丸医師からは、すぐに、補足説明があり、病気の発症後11ヶ月までに亡くなる患者が全体の半分という意味を理解した。「ということは、患者の半分は11ヶ月を過ぎても生存しているということだな。自分も、その半分に入ろう」と思い直すことができた。

 内丸医師がやっているのは、インフォームド・コンセントである。病気についての詳しい情報、今後どのような経過が考えられるか、治療に伴う危険性などについて、患者に対して説明をしたうえで患者の同意を得るためのプロセスである。患者はそういった説明を理解した上で、この病院での入院治療に同意することになる。

 患者にとっては、何が何だかわからないという状態で治療に入るのは不安であるので、こういった説明は安心につながる。とはいえ、説明はいいことだけを言うのではない。「こういう場合は、致命的な結果に至る可能性がある」といったように、治療にあたっての危険性についても、包み隠さず説明するのが、インフォームド・コンセントの意義である。内丸医師の説明の中でも、治療の危険性は触れられており、患者としては、暗い気持ちになったり、おびえたりもしたものである。

 その後、この病院の血液腫瘍内科に入院したが、そこでの担当医は、大野伸広医師であった。大野医師は、折に触れ、「浅野さん、大丈夫だから、必ず治るから」とか、「大船に乗った気持ちで任せてください」、「治療は順調に進んでいますよ」ということを言ってくれる。ともすれば悲観的になりがちな患者とすれば、勇気百倍である。抗がん剤の治療を始める時にも、「副作用はたいしたことないから、心配しないで」と言われた。不安は吹き飛んで、ゆったりした気持ちで治療に臨むことができた。言葉のチカラである。決して嘘を言っているのでも、気休めでもないが、こういった形で言葉にしてもらうと、患者は救われた気持ちになる。

 内丸医師は、ATLの治療についての過去の実績、現在の知見を医学的見地からきっちりと説明する。患者にとって、聞きたくないような事実も含めての説明である。一方、大野医師は、患者を鼓舞する言葉を駆使して、安心感を与えてくれる。どちらがいいという問題ではない。両方とも必要な対応であり、患者である私から見れば、二人は名コンビというしかない。

 東大医科研での抗がん剤治療を終えて、当初の予定通り、国立がん研究センター中央病院の幹細胞移植科に転院した。ここで、骨髄移植を受けるためである。主治医は田野崎隆二医師。田野崎医師からは、転院前に事前の診察を受けていた。その際、これからどんな治療をするのか、どういった予後が考えられるのかなどについて、わかりやすく、納得できる説明を受けた。そのことが、田野崎医師への信頼感につながった。その後、入院してからも、田野崎医師からは適時適切に治療についての説明を受けた。その都度、納得しつつ安心して治療を続けることができた。これも言葉のチカラである。ちゃんとした説明もなしに治療をされた場合には、患者の不安は避けられない。

 がんセンターに入院して、看護師の専門性の高さに感心した。骨髄移植を受ける前後には、患者の免疫力は極端に落ちている。感染症がとても怖い状態である。病棟の看護師たちの衛生管理は徹底している。患者に触れる前には、手を消毒して手袋をつける。終われば、手袋は廃棄される。そのほか、ここまでやるのかと思えるほどに、消毒、無菌状態の維持に気を使った対応が自然にできていることに、プロ意識の高さを見た。

 入院時にオリエンテーションを1時間近くかけてやってくれたのは、看護師であった。これからどういう治療が行われるのか、患者として気をつけるべき点など、詳しく、わかりやすく説明してもらった。看護師に専門性がなければできないことである。患者とすれば、これからの道筋が見通せる。そこから前向きに安心して治療を受けようという姿勢が生まれてくる。

 患者の立場で私が心がけたのは、医師や看護師の説明をしっかり聞いて、治療内容を理解するということ、自分の今の身体・精神状態を的確に医療スタッフに伝えることであった。ここでも、医療における言葉の大事さを実感する。さらに、私がやったことは、看護師の名前を覚えること。どちらの病院でも、入院直後から、次々とやってくる看護師の名札を見てメモを作り、名前を記憶した。看護師をフルネームで呼ぶと、彼女たちは驚くと同時に喜んでくれた。言葉はコミュニケーションの手段だが、フルネームで呼ぶということも、患者と看護師のコミュニケーションの緊密化のためには有用ではないだろうか。そんなことを考えながら、入院生活を続けていた。


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