![]() 月刊年金時代2009年6月号 「色紙について」 「字と顔は、個性的と言われても、『きれい』とほめられたことがない」と、このエッセイでも書いた。かく言う私に、「色紙を」と頼んでくる人がいる。悪ふざけか、いじめとしか思えないのだが、講演で訪ねた町で、「是非に」と懇願されたら、「いやだ、いやだ、絶対にいやだ」とは、なかなか断りきれない。 ということで、泣き泣き色紙を書く羽目に陥るのだが、そんなときに何を書くか。字のうまさではアピールできない。座右の銘などない。苦し紛れに、書くのが、以下の言葉である。 足下に泉あり 公務員試験や大学の受験勉強。やりたくはないが、次へのステップのために、我慢してやってきた若者が相手である。県庁組織に入ってからも、「今のつらい仕事は、次へのステップ」という思考方法でいられては困る。本人のためにもならない。「今の仕事の足下を掘り進めていってごらん。きっと、おいしい泉が湧いてくるから」というのが、言葉の趣旨である。 「楽しいと思っても三年、いやいややり過ごしても三年」。人事異動は三年ごとぐらいにやってくる。だったら、今の仕事にやりがいを見出し、楽しくやるほうがいい。組織としても、そういった人材を求めているし、本人の幸せのためにも大事なことである。斜め45度上(たとえば、出世のこと)だけを見たり、「幸せは今の仕事ではなく、山のかなたにある」といった生き方は、やめたほうがいいよ、というのが、この言葉にこめたホンネである。県庁マンだけでなく、どんなお仕事の人にも、あてはまるのではないか。 お仕事は、命がけより、心がけ 色紙を書く相手が目の前にいる場合には、職業、趣味などを尋ねる。「趣味はカラオケです」と答が返ってきたら、「カラオケは・・・」と書けばいい。元歌があることを言わないでおいて、色紙にサラサラと書くと、結構、感心してもらえる。 気をつけよう、甘い言葉と暗い道 それはともかく、「甘い言葉に気をつけましょう」だけでは、色紙にならない。声に出して、語調がいいのは、必ずしも色紙の条件ではないが、親しみやすさはある。 一人は万人のために、万人は一人のために 「組合員、愛がなければ、ただの組員」というのは、生活課長時代の私が、生協の組合員に向けて投げかけた言葉である。字に書いたのでは、面白みがわからない。声に出して読んでみて、はじめて、「なるほど」とわかる言葉なので、色紙には向かない。それに、品格からしても、いかがかと思われるので、色紙に書くことはない。 みんなちがって、みんないい 出典となった詩は、空を飛べない私、地べたを速く走れない鳥、私のようにたくさんの唄を知らない鈴、だけど、みんなちがって、みんないいという趣旨である。わが仙台で、毎年、六月の第一日曜日に開催される「とっておきの音楽祭」のテーマが、これ。さまざまな障害を持った人たちが、健常者と一緒になって、市の中心部の23の野外ステージで歌い、演奏をする。この場にいるすべての人が、「みんなちがって、みんないい」ということを実感する。 障害者福祉について、講演することが少なくない。そんな機会に頼まれる色紙には、このフレーズを書く。そうでない機会でも、「どういう意味なのかな」と考えてもらえたらいいなと思って、この言葉を書く。 知事の工夫、幸福の自治 安倍晋三元首相の色紙に、「美しい国」とあっても、フリガナはつけないほうがいい。この雑誌にあった文章からの盗用ではあるが、逆から読むと「憎いし、苦痛」となる。 色紙は、もらった人が、自分の手元にじっと持っていてくれればいいのだが、目立つところに掲げておく趣味がある人がいて困る。あの稚拙な字が、多くの人の目に留まるかと考えると、身の縮む思いである。 「こんな拙い字を書いても、知事ぐらいにはなれるのよ」と子どもに語りかけている母親の姿が浮かんでくる。こんな私が色紙を書くことにより、子どもに勇気を与えるということで、甘受しなければならないのだろうか。
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