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月刊年金時代2009年3月号
新・言語学序説から 第79

「オバマ大統領の演説について」

 アメリカ合衆国、オバマ大統領の演説が評判である。演説をCD化したものが、日本でも爆発的に売れている。演説を教材にして、英会話教室が盛況を呈している。1月号で「首相のことばについて」を書いたばかりなので、いやでも彼我のトップの演説ぶりを比較してしまう。

 1月20日のワシントンでの大統領就任演説の様子がテレビで中継された。1970年代の後半、私は在米日本大使館に3年間在籍しており、レーガン大統領の就任式の際には、群集の中にいた。それにしても、オバマ大統領の就任式では、あの場所に二百万人もの聴衆が集まっていたとは、心底、驚きである。

 その聴衆が、涙を流しながら、オバマ大統領の演説に聴き入っている姿が、テレビの画面に映し出されていた。アメリカ史上初めての黒人大統領の登場ということで、黒人が涙を流す気持ちはよくわかる。しかし、白人も同じように涙を流している。これは一体どうしたことだろう。

 演説の力というものを考えないわけにはいかない。妻の母が、オバマ大統領の演説をテレビで見ていて、「この人の演説には説得力があるね」と言っていた。彼女は、英語は全然わからないはずなのに、「説得力がある」と感じるのはなぜか。演説は、言葉だけではない。声の調子、身振り、表情、言葉のリズム、そういった諸々の要素が関わっている。オバマ大統領は、そのすべてにおいて、聴衆の心をつかむのである。

 若いころ、英語の研修で、マーティー・ルーサー・キング牧師の演説をテープで何度も聴かされた。「私には夢がある」、「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」を歌うが如く何度も繰り返す演説に魅せられたものである。黒人独特の、ややかすれたバリトンの張りのある声と、言葉のリズム。この演説が、アメリカの歴史を変えた。それだけの力のある演説である。

 暗殺されたケネディ大統領の就任演説は有名である。「国が君たちに何をしてくれるかではなく、君たちがこの国に何をするかが大事である」という箇所が、特に有名である。「一緒に、始めよう」、「トゥゲザー、レット・アス・ビギン」という文句は、私にとって、忘れられない。高校生のころ、この部分のセリフにコーラスの歌唱がかぶせてあるレコードを買って、何度も聴いたものである。歌とセリフが見事に調和して、ケネディ大統領が一緒に歌っているように聞こえた。

 オバマ大統領の演説に戻る。大統領就任演説は、熱狂というよりは、心静かに思いを伝えるというもので、演説時間も長くない。私にとって、それよりもっと印象に残るのは、大統領選挙での勝利が決まった後、シカゴのグラント公園でなされた勝利演説である。

 この演説の日本語訳を新聞で読んだだけで、涙が出てくるほどであった。「老いも若きも、金持ちも貧乏人もそろって答えました」というくだりである。その後に、「民主党員も共和党員も、黒人も白人も、ヒスパニックもアジア人もアメリカ先住民も、ゲイもストレートも、障害者も障害のない人たちも」と続く。ゲイ、障害者ということを、はっきり言うところに、特に感激した。

  アトランタで投票した一人の女性、アン・ニクソン・クーパーさんのことを引用する箇所も感動的である。奴隷制が終わってから一世代後に生まれた彼女は106歳。女性であり、黒人であるクーパーさんが経験してきた悲しみと希望、困難と進歩のことに触れ、イエス、ウイー・キャンと宣言する。このフレーズは、大恐慌の恐怖を克服できる、独裁から民主主義を救うことができる、人種差別を乗り越えられる、そしてアメリカという国が、どれほど変わることができるのかと、その後、4回も繰り返される。中学校一年生でもわかる英語、イエス、ウイー・キャン。この単純なフレーズが、これだけの感動を引き起こす。

  この演説から2ヶ月半経った1月22日の大統領就任式での就任演説においては、熱狂的、感動的というよりは、これからの大統領職の責任の重大さ、困難さを噛み締めるかのように、冷静に、厳かに国民に語りかける姿勢が印象的であった。今、改めて全文を読んでみて感じるのは、このことである。アメリカのこれまでの歴史を引用しながら、アメリカの素晴らしさ、先人たちの努力の跡を強調した後に、自分たちの責任について、いろいろな角度から何度も繰り返している。「責任」、「責任ある」という言葉が繰り返し出てくることにも、改めて気が付いた。

  オバマ大統領に限らず、素晴らしい演説の陰には、優秀なスピーチライターの存在がある。オバマ大統領のスピーチライターは、20代の青年である。オバマ大統領が自分の考えを彼に伝え、彼がそれを言葉にしていく。オバマ大統領は、詩作の勉強をしていたこともあるのだろう、文章のリズム、押韻など、言葉の詩的な響きにも相当の気を遣っていることがうかがえる。

  オバマ大統領の演説をテレビで聴き、新聞で読み、その素晴らしさに圧倒される。彼の演説のうまさに感動しているが、それは演説技法に彼が長じているからではない。オバマ大統領の持っている信念、行動力が秀でていることが、演説に表れているからである。いいスピーチライターを持ち、演説の練習をすればいいというものではあるまい。語るべき内容がなければ、そもそも、演説など成り立たない。

  私も宮城県知事という立場にあり、演説をする機会は何度もあった。県議会での所信表明演説は、県庁職員の書いた文章を読み上げるだけのものであって、感動的といったことからは、遠い演説である。

  自分の言葉で、力を込めて説く演説は、選挙の際のものであった。個人演説会の場は、そういう演説をする機会である。それなりに感動的な演説をやっていたと自分では思っているのだが、こんなすごいオバマ演説を聴くと、赤面するしかない。

  もっと早くオバマ大統領が登場してくれたら、もっとがんばったのにと思うが、時すでに遅しと言うほかない。


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