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月刊年金時代2008年12月号
新・言語学序説から 第76

「いのちのことばについて」

 この連載の第35回「盲ろうについて」で、福島智さんのことを書いた。9歳で失明し、18歳で聴覚を完全に失った。本人によれば、深い海の底にたった一人で沈められた思いとのこと。音も映像もないテレビと同じ。母親が偶然にも発見した指点字で、コミュニケーションが取れるようになった時には、音もない真っ暗な部屋に小さな窓が開いた気がしたと語っていた。

 2年前に、大越桂さんに会った。先日は、本人のサイン入りの著書「きもちのこえ―19歳・ことば・私」(2008年3月 毎日新聞社刊)を送ってもらった。桂さんは、未熟児、脳性まひ、弱視である。ストレスによる周期性嘔吐症で、連続的な嘔吐が数日間続く。それも一因で、気管切開をしている。経口で食事が摂れず、栄養管を直接胃に入れて栄養を摂取する。24時間全介助が必要な身体である。

 耳は、本人が地獄耳というほど。弱視ではあるが、ある程度は見える。言葉は理解できるが、言葉を発せられなくなったのは、気管切開をしたからである。言葉だけでなく、声もまったく発せられなくなってしまった。

 声が出ないのは、命にかかわる。桂さんは、小学校卒業の直前に重症肺炎で危篤状態になった。両親が、ベッドのそばで、お寺の話とか、お葬式の話をしている。地獄耳の桂さんには、全部聞こえている。「まだ、終わりじゃない」、「勝手にさよならを言うな」、「こんちくしょう、こんちくしょう」というのも、桂さんの心の中だけのこと。ずっと、ずっと後になって、言葉を得た桂さんは、この経験を母に言って聞かせたそうである。瀕死の病人のそばで、葬式の話はやめたほうがいいと。

 気管切開をし、脳性まひによる不随意運動があり、周期性嘔吐症でしょっちゅう吐く。そんな桂さんが言葉だけでなく、声も失ってしまったということは、外に向かって、自分の思いを伝えることができないということである。気管切開手術の後に、声が出なくなった自分に気がついた時に感じた絶望感を、桂さんは、著書の中で次のように表現している。「物のようだった私が、もっと意味のない存在になるのではないか。意味がないどころか、存在そのものが、苦悩そのものになるに違いない。手足もなくなり、声もなくなり、ただ、そこにある石になるのだ」と、痛みさえ感じなくなるほどに、悩んで、狂いそうになった。

 その桂さんが、表現手段を得た。入院中の中学一年生の時、病院に通ってくれていた先生が、「少しだけ動く手で、字を書いてみたら」と言ってくれたのが、きっかけだった。母親でさえ、桂さんが字がわかることを、知らなかったらしい。小学校の時、近くで勉強している子の字を必死で盗み見して覚えていた。まず、かつらの「か」から。左手にペンを持ち、緊張で腕がうしろに引き込まれるのを、先生が腕を押さえて曲げてくれる。そこに紙を当てる。不随意運動のために、腕は行きたいほうではなく、行きたくないほうに動いていく。でも、先生は、緊張を戻しながら、「か」のカーブを感じ取ってくれた。

 「かつら」と書くのに、10分もかかってしまった。うれしくても吐くのが、彼女の病気の特徴である。この時は、嘔吐発作も最大級。この後、1週間は寝たきり。だけど、心の中の喜びは最大級で、号泣だった。その喜びを、桂さんは、次のように表現している。「これで通じる人になれる。これで石でなくなる。これで物でなくなる。これで、本当に人間になれる」。書いた文字を持って、お母さんの紀子さんは、ナースステーションに飛んで行って、看護師長さんと抱き合い、二人で泣いた。

 言葉を手に入れることによって、「人間になれる」というのが、とても印象深い。言葉を持たないでいるうちは、動けない身体ということもあり、石であり、物であると、自分のことを認識していた。それだけ、人間にとって、言葉による表現というのは、本質的なものであることがわかる。

 私と桂さんが会ったのは、「2年前」と書いたが、6月の第一日曜日、仙台の街が「とっておきの音楽祭」で、にぎわう日である。言葉を得た桂さんは、それまで13年間の鬱屈を吐き出すような勢いで、詩や短歌を作り、文章をつむいだ。「手」という題の詩にメロディーがつき、この年の「とっておきの音楽祭」のフィナーレで紹介されることになっていた。その出番を待つ桂さんと、おかあさんの紀子さんの通訳で話すことができた。ほんとうに通じているのかどうか、半信半疑であったのを思い出す。

 この年の「とっておきの音楽祭」には、桂さんは、ステージでのデビューも果たしている。ピンと張ったゴムを持つ手を離すと、パチンという音が鳴り響く。言葉を取り戻し、音楽祭にも参加して、桂さんの活動範囲はどんどん広がっている。

 「とっておきの音楽祭」がドキュメンタリー映画「オハイエ!」になった。桂さんは、自分もちょっぴり出演しているその映画を自宅で見た。その感想を書いて、私の知人に送った手紙のことを聞いて、見せてもらった。二年前の「とっておきの音楽祭」で会った時に交わした会話が、本当に桂さんの言葉だったのかどうかが半信半疑だったと書いたが、この手紙を読んで、すごい表現力だと納得がいったのである。その後送ってもらった著書を読んで、心底驚き、感動したのが、今回の原稿になった。

 盲ろうの福島智さんは、指点字というコミュニケーション手段を得て、真っ暗な部屋の中に一筋の光を見た。言葉を得た福島さんは、今や、東京大学教授としてバリヤフリーの研究者である。

 大越桂さんは言葉を得て、まだ6年。「積乱雲」というブログで、毎日、日記を書いている桂さん。詩、短歌での表現力にもすぐれている。これまでの空白を取り戻すかのように、彼女の中から言葉があふれ出てくる。今では、お母さんの通訳を得て、講演もこなすという。人間の無限の可能性と、人間を人間たらしめているものは、言葉であることを、改めて教えられる。


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