浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2008年11月号
新・言語学序説から 第75

「もの忘れについて」

  「もの忘れ」は、文字順を逆にすると「忘れ物」になるが、物を忘れるということではなくて、昔覚えていたことを忘れてしまうことである。この場合の「もの」は、「ものすごい」、「ものものしい」、「ものともしない」の用法に近いのではないかと、新言語学を論じる立場の私としては、考える次第である。

 もの忘れのほうは後回しにして、まずは、忘れ物の話題から。忘れ物は、子どもの頃からの得意技で、慣れっこなのだが、先日は、大変な目にあった。

  大阪にある読売テレビの昼の番組に、毎週木曜日出演している。番組が終わり、テレビ局から渡されたタクシー券を使って、新大阪駅まで移動した。東京行きの列車に乗り込もうとしたところで、ズボンの後ろのポケットに手を回した。あるべき携帯電話がない。背広の胸ポケットに手をやったら、財布もない。テレビ局の楽屋に二つとも置いたままで、出てきてしまったのを思い出した。

  さあ、どうするか。テレビ局に電話をしようにも、携帯電話もなければ、公衆電話をかけるための小銭すらない。駅員さんに事情を話して、電話の小銭30円貸してもらおうとしたら、「JRでは、お金をお貸しすることはできません」との返事。そりゃそうだろう。私は、その駅員さんに個人的にお借りしようとしたのだが、だめだった。

  仕方がないので、おみやげを売っている駅の売店に出向いた。男の店員さんに事情を話したら、彼が小銭を貸してくれることになって、ホッとした。そのやりとりを横で聞いていた女性の店員さんが、「お困りでしょう、これお使いください」と、自分の携帯電話を貸してくれた。それを使って、関係方面に連絡が取れた。タクシーで読売テレビに戻ることにした。そしたら、その女性店員が、「タクシーに乗るのに、一文無しでは、ご心配でしょう。これお使いください」と、自分の財布から五千円札を出すではないか。「あやしいものではありません。必ず、お返ししますから」と言ったら、「テレビに出ていらっしゃいますよね」と信用してくれた。この時ばかりは、顔が割れていることが役に立った。

  五千円札をありがたく押し頂いて、読売テレビまで戻り、無事、財布と携帯電話を取り戻し、新大阪駅に引き返して、五千円札を彼女にお返しをした。すぐお礼をするのも無粋なので、翌週、彼女はいなかったが、売店に横浜のおみやげを持っていった。地獄で仏とは、このことである。

  そのほかにも、忘れ物はよくする。今年だけでも、山形新幹線にサングラス、博多からの在来線の網棚にジョギング用バッグ。伊丹空港と読売テレビ間で、携帯電話。空港内かタクシーの中なのだが、これは、出てこなかった。宮城県知事をやっている間は、秘書がついて、身の回りの世話をしてもらっていたので、忘れ物は皆無だった。知事を辞めて、秘書がつかなくなった直後には、頻繁に忘れ物をした。最近の忘れ物は、私がまだ自立しきっていないことを表している。

  本題の「もの忘れ」のほう。六十歳、還暦を過ぎて、もの忘れが激しくなった。人の名前が出てこない。先日、日ごろ大変お世話いただいている方が、私に会いにおいでになった。名前が出てこない。私の携帯電話に番号が入っているのは、覚えていたので、携帯電話を開けて、本人にみつからないように、リストをチェックしてみた。幸いにも、その方の名前はア行に入っていたので、すぐにみつかった。名前を見れば思い出す程度には、覚えていたのである。

  私が理事をしている団体の理事会をドタキャンしてしまった。手帳には、その日程を書いていたのだが、手帳を見るのを忘れていた。もの忘れというよりも、注意力不足のほうだろう。ドタキャンしたのに気がついたのが、二日後だったというおまけもついた。

  これは、ほんの昨日のこと。このところ、ある作家の小説を続けて読んでいるのだが、その25冊目ぐらいだろうか。やおら読み出したら、どうも一度読んだような気がする。家に帰って、書棚を見たら、同じ本がある。2ヶ月前に読み終えた印を確認した。同じ本を読み始めるということは何度もあるが、たった2ヶ月前に読んだというのは、初めてだった。読んだ本のタイトルを忘れていたので、本屋で再度買い求めたということだが、これも、もの忘れそのものである。

  昔は、人の話を聞いたり、本や新聞で読んだことを、いちいちメモしなくとも覚えていたのだが、今は、メモを残さないと忘れてしまう。最近は、メモを取ることさえ忘れてしまう。

  もっともっと、もの忘れはしているのだが、これを書いていて、改めて気がついた。どんなもの忘れをしたかも、忘れてしまっている。

  「還暦を過ぎて、もの忘れが激しくなった」というのも、嘘かもしれない。若い頃から、もの覚えはよくなかった。そのこと自体を忘れてしまっている。これは、たぶん、どなたにも当てはまること。「こんなにもの忘れして。私、認知症になりかかっているのだろうか」と言う方。昔ももの忘れがひどかったことをお忘れではありませんか。

  忘れっぽいというのは、悪いことばかりではない。失恋の痛み、失敗の屈辱感、こういったものをいつまでも覚えていては、人生、楽しくない。年を取ったら忘れっぽくなるというのは、神様のお心配りかもしれない。昔のことを忘れることができるのは、老人力の一つであろう。

  この原稿を書き出した時には、「もの忘れ」という題材で、書くことが、たくさん頭に浮かんでいたのである。書いているうちに、すっかり忘れてしまって、なかなか紙面が埋まらない。実は、この原稿の締め切りを忘れていた。締め切り当日の今日、それに気がついて、あわてて書き出したのが、この原稿である。そのためもあって、こんな変な内容になってしまった。読者の方々にお願い。どうか、こんなひどい原稿を読んだこと、なるべく早く忘れてください。