月刊年金時代2008年1月号 「走ることについて」 村上春樹の近著「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)を読んだ。走ることを趣味にしている同士として、我が意を得たりというところが多い。小説家が書いた文章に張り合おうという大それた気持ちはない。でも、走ることについて、「僕だって書いてみよう」と思った。 私が走り出したのは、昭和62年8月6日である。当時は、東京都中野区上高田の公務員宿舎に住んでいた。その宿舎を出て、1分走ったところから戻ってくるというのが、記念すべき最初の走りだったと記憶している。次の日は、2分走って戻ってきた。その次走る時は、3分行って戻ってくる。そんな走り方をしているうちに、あっという間に30分続けて走れるようになった。 同じ年の7月4日に人間ドックを受診した。中性脂肪、血糖値、ガンマーGTP、尿酸値などが軒並みひどい数字であった。「浅野さん、このままの生活を続けたら、まちがいなく成人病(現在の「生活習慣病」)で死にます」と美人の女医さんから言われたのが走るきっかけである。 当時は、70キロ近いデブだった。このご託宣を機に、「脱ダム宣言」ならぬ「脱デブ宣言」をした。「汝、食い改めよ」から始めて、食事の量を半分に抑えた。アルコールも「一日二合まで」という誓いを立てた。 「出不精」は「デブ症」に通じる。仕事でもプライベートでも、外にでかけていく生活を心がけた。リッチな生活はデブの元、「貧乏肥満なし」と洒落ながら、車に乗らない、美食をしない貧乏生活に努めた。 やせるには運動併用がいいことは知っていた。ランニング、水泳、エアロビクス、ウオーキングといった有酸素運動で脂肪を筋肉に変えてやせたら、デブに後戻りしない。ゆっくり長い距離を走るのが有効であることを、当時読み漁ったフィットネスの本から学んだ。 1分行って戻ってくる走り方は、最初から無理しないのが長続きの秘訣と知っていたからである。脂肪を燃やすためには、距離でも、スピードでもなく、走る時間の長さが重要というのも、本からの知識である。12分以上走った後に、脂肪が燃え出す。脂肪を燃やす目的からは、ゆっくり、長くというのが正しい走り方である。 順調に脂肪が燃え出したのだろう。1週間で500グラム体重が減った。翌週も500グラム減った。11週間連続して500グラムずつ減った。このままでは、1年半後には体重がゼロになると思ったが、そうなる前に安定化した。 生活習慣病とか、体重のことは二の次、あっという間に、走ることが楽しみになった。ゴルフが趣味ならお金がかかるけれども、こちらは金がかからない。「ランニング・コストはゼロ」などと受け狙いの話をしていたのは、このころである。 あっという間に楽しみになったとはいえ、朝早く起きて走り出すには、ある種の思い切りが必要である。床の中での葛藤がある。眠い、疲れた、寒い、めんどうなど、起きて走ることを押しとどめる言い訳がたくさん湧いてくる。それを跳ね返して、布団を跳ね返して起きるための動機づけとして、最初のうちは、美人の女医さんにほめられようという邪心を利用した。 1年も続いてしまうと、朝起きて走ることは習慣化してしまう。邪心とか、そういった動機づけはあまり必要なくなる。web上で公開するジョギング日記を書くようになってからは、読んでいる人に恥ずかしいから、走らないでいるわけにはいかない。そういったことも、サボり心を抑えるのに効果はあった。 なによりも、走ることは楽しいのである。四季の移り変わりを五感で受け止めながら走っている時も楽しいが、走り終わって湯船に全身を浸して、瞑目する時の気持ち良さと充実感は、何ものにも代えがたい。 走っている時に、言葉が次々に湧いてくるという経験をしたことが、何度かある。知事時代は、毎日のように人前でのスピーチがあったが、その際の気の利いたフレーズなども、走りながら思い浮かべたものである。 走ることには挑戦の要素がある。「今日は県議会で戦いがある」という朝は、そのための戦略を描くだけでなく、挑戦の心意気を磨くためにも、絶対に走ることにしていた。机の上で考えているよりも、鋭いアイディアが湧いてくるような気がした。 マラソン大会など、レースに出るのは、走り始めた頃は控えていた。目標を掲げて、それに向けてがんばるのはよくない。がんばり過ぎて、燃え尽きてしまうのが怖かったからである。最初にレースに出たのは、昭和63年の体育の日、中野区の主催だったから、走り始めて1年ちょっと経った頃のことだった。 次のレースは、翌々年春の静岡県掛川市での「小笠・掛川マラソン」である。41キロ走ってきて、ゴールの「つま恋」までの最後の1キロが上り坂。そこで失速して、4時間6分という記録だった。翌年の「つくばマラソン」では3時間56分で走った。 レースで好成績を出すために毎日走るというのは、やらないようにしている。外国でも何十回となく走っているが、異国の地で走り終えた時には、「この日のためにこれまで走り続けてきたのだ」という気持ちになる。サンフランシスコで、ダウンタウンのホテルからゴールデンゲート・ブリッジまで往復20キロ以上走った時などは、「走ることを趣味にしてきてよかった」としみじみ思った。外国に限らず、日本でも美しい景色のところを長い距離走った後には、「毎日走ってきたからこそ、この感激が味わえる」ということを実感する。 私にとっては、何かのために走っているというのは、いつの間にか雲散してしまった。走ることが、生きることそのものという境地に近い。村上春樹の言う「我走る、ゆえに我あり」とまでは喝破できないが、それにも近いかもしれない。 今回の内容が、言語学に何の関係があるのだと怒る読者の方もいるだろう。あなたも走ってみたらどうですか。そうすれば、その答がわかるはずです。
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