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月刊年金時代2007年12月号
新・言語学序説から 第64

「官僚の言葉について」

 前回、政治家の言葉について書いたが、今回は、官僚、つまり役人の言葉について考えてみたい。

 国会や県議会での政治家の答弁を政治家の言葉と決めつけてはいけない。以前に(2001年9月号)、「議会答弁について」で書いたが、たとえば、「当該案件については、・・・・・」という議会答弁がある。議会答弁は音声言語であるから、聴いている人にとっては、「とーがいあんけんについては」となる。「とーがい」が「当該」であり、その意味が「今問題になっている」ということにピンとくる日本人は少ない。答弁書は役人が書いているので、厳密には政治家の言葉ではない。しかし、言語感覚のいい政治家であれば、答弁書になんと書かれていようとも、ここは「当該」というような表現は避けるだろう。

 官僚の言葉はわかりにくさが特徴である。これは、国民からエラそうに見えるように、わざと難しい言葉を使いたがることにも原因がある。頻繁に使われるカタカナ言葉も同根であるが、評論家なども同じで、「エラそうに」というのが共通点である。

 役人がわかりにくい表現を使うのは、尻尾をつかませないという思惑もある。あとで言い訳ができるように、もったいぶって言っておこうという役人の本能が言わせる言語習慣である。この例で顕著なのが、平成19年11月1日に期限切れとなり失効した旧テロ特措法である。

 テロ特措法は略称で、本名は112文字である。「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対してわが国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」というのがそれである。この名称を私は何も見ないで書いた。口では11秒2で諳んじている。「だからどうなの」と言われそうであるが、私の最近の特技である。

 それはともかく、なぜこんな長い名称になったか。インド洋への給油のために自衛隊を派遣する事態を、わが国の憲法の制約の中で辻褄を合わせなければならない。そのための苦心惨憺のたまものである。この名称を考え出した官僚自身は、これを官庁文学の傑作と思っているらしい。「官庁文学」という表現自体が揶揄的であり、美しい日本語とは程遠いが、後から理論的、実際的不備を批判されにくいという意味では、見事に目的を果たしているという意味である。

 この法律名にも「等」が二回使われている。官庁言語に頻繁に使われる用法である。一般の日本語の使い手なら、さらっと見逃し、聞き逃してしまうが、「等」は曲者である。「等」に何が含まれるかを精査しておかないと、えらいことになるという例は数限りなくある。官僚会話の中には、「等で読む」という表現がある。都合の悪いことは表面に出さずに、「等」の中に隠しておくことを意図的にやることもあるので、要注意である。

 要注意ということで言えば、「できる限りの」もそうである。

 「可及的速やかに」というのが、前につくこともある。陳情で要請があったときに、矢面に立った官僚は答える。「この件に関しましては、可及的速やかに、できる限りのことをやらせていただくことをお約束いたします」といった具合である。書き言葉だと迫力が伝わらないが、「できる限りのことを」というところでは、真剣な表情で、熱と力の入った言い方をすることが肝心である。官僚にそう言われてしまうと、陳情要請している側も、その熱意にもほだされて、「最大限努力してくれる言うんやから、ボチボチ期待してええんちがう?」ということで、納得して陳情を引き取ってしまう。

 答えた側の官僚は、いささか違う。「できる限り」というのは、文字どおりできる限りであって、それ以上はできないよというのが真意である。制度上の限界というものがある。人材的にも限りがある。何よりも、財政的な限度というのがいかんともしがたい。そういった諸々の限界の中での話であることを「できる限り」ということに込めている。意地悪で言えば、限度以上はやらないということのほうに意味がある。これにだまされてはいけない。

 「議会答弁について」でも書いたが、「検討します」というのは、すぐにはやらないということ、「慎重に対処」というのは、後ろ向きで、ほとんど「ノー」に近い。「研究課題とさせていただきます」というのは、「やりません」と同義語。その前に「貴重な意見をお聞かせいただきました」と振っておけば、質問した議員の面子も立つことを読み込んでいる。これも、それも、みんな官僚用語の便利な使い方であるが、こういったごまかしのようなものも、いつまで通用するものか。

 外交官の使う官庁用語は、一味違う。昭和の出来事であるが、私が在米日本大使館に三年間在籍した間に、その一端を耳にして以来、気に入っている表現がある。ひとつは、「前広に」。「この件について、ご提案がある方は、前広にお知らせください」といった使い方である。「時間的余裕を持って」というぐらいの意味だが、片や九文字、前広になら三文字ですむ。

 もうひとつは、「ご如才なきことながら」。「ご如才なきことながら、この件については内密にお願いいたします」というふうに使う。「既に十分ご承知とは思いますが」という意味だが、この表現のほうが気が利いている。目上の人にお願いをする、注意喚起をするときには、かなり有効な表現だと思い、外務省への出向をはずれてからも、何度か使わせてもらった。

 言語は文化そのものである。官僚言葉の中にも、文化が表現されているということになる。いい意味での文化ならいいのだが、過剰接待をなんとも思わないことが組織に蔓延しているような、そんな文化なら断固願い下げである。言葉の問題から、組織の病理も含めた文化を探ることができる。そんな願いも込めて書いたつもりである。ご如才なきことながら、「できる限り」の努力をさせてもらったことはご理解いただいているものと思いたい。


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