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月刊年金時代2007年11月号
新・言語学序説から 第63

「政治家の言葉について」

 安倍首相が、突然、辞任を発表したことには、日本中が驚かされた。あのタイミングで、あんな形で、一国の首相の地位を投げ出すなんて、信じられない。開いた口がふさがらないというのが、このニュースに接した時の私の率直な気持ちであった。

 辞任会見の際に語られた言葉の空虚さには、聞いているこちらのほうが言葉を失った。なぜこの時期に辞めるのかの真意が伝わってこない。「小沢民主党党首との会見が断られたから」ということで納得できた人は、自民党の関係者の中にもほとんどいなかったのではないか。

  「健康状態がどうしようもなく悪化したから」ということを、辞任会見で一言も言わなかったのは、実に不可解であった。後に、安倍首相自身が、首相という重要な地位に就いている者として、自らの健康状態の悪化を言うのは、問題ありと思ったという言い訳をしていたが、これも、訳がわからない。会見の翌日にすぐ入院するのだから、秘密にする必要は全くなかったことになる。

  政治家の言葉が、こんなにも軽いのかということも、印象に残った。政治家は言葉に生きている。言葉が命である。政治家の言葉が国民を動かすこともあるし、失言が命取りになる例は、この連載でも一度書いたが、枚挙にいとまがない。

  代表質問に答弁する予定の日に辞任会見を開いたことも、安倍首相が言葉を大事にしていないということを示す意味で、象徴的である。政治家同士の言葉のやりとりで成り立っているのが国会での質疑である。その論戦が始まる日に、答弁予定の首相が「僕、辞めます」。それはないだろうというのは、置いてきぼりを食った野党議員だけでない、国民全般の思いであろう。

  参議院選挙で自民党が大敗を喫した時には、「辞めません」と安倍首相は言っていた。選挙から1ヶ月経った頃の内閣改造は、「人心一新を図る」というものだった。「人心一新なら、まず、首相自身が代わるのが、一番わかりやすい」というのが、その内閣改造の際の私の感想である。それから1ヶ月も経たない時期の、福田康夫首相の下の新内閣では、総理大臣以外の大臣のほとんどが留任した。その意味で、この内閣は「一拍遅れの人心一新内閣」と呼ぶべきものだろう。

  安倍首相が強調したのは、「美しい国」である。これも、政治的スローガンとしては、なんと空虚なものであることか。なぜなら、これが政治的な争点になるはずがないからである。「俺は、汚い国がいいと思う」という政治的立場を持つ勢力は皆無である。「人間、清く正しく生きるべきだ」というのが単なる「美しい言葉」であって、この言葉がメッセージ性を持たないのと同様である。「それはわかっている。どうやったらそうなれるのかが問題なのだ」と言われるだけである。

  本紙の囲みコラムで、「美しい国」を逆から読むと「憎いし、苦痛」となるというのをみつけて、その後、講演などで使わせてもらった。無断使用をここでお詫びしたいのだが、聴衆には結構受けた。参議院選挙の高知地方区で苦戦していた自民党候補が、高知県の実態と「美しい国」とがあまりに違うので、選挙中に安倍首相がこの言葉を使うのはいい加減にして欲しいと怒っていた。結局、この候補は落選の憂き目を見るのだが、気持ちはそれこそ「憎いし、苦痛」であっただろう。

  安倍首相と対照的に、小泉首相の使う言葉は国民に受けた。短いフレーズなので、スーッと頭に入ってくるし、意味不明で論理を超えているからこそ、突っ込まれることも少なくて済む。横綱貴乃花に優勝杯を渡す時の「怪我に耐えて、よくがんばった、感動した」のコメントは、傑作の一つ。年金未納問題を追及された時の「人生いろいろ、会社もいろいろ」という言い訳にもならない言い方が通ってしまうのを見ると、小泉首相は言葉の天才とさえ思えてくる。

  政治家の言葉は、書かれたものとしてよりも、音声言語として伝わることが多い。テレビの登場以後は、言葉の発し方が映像とともに外に伝わる。同じようなことでも、話しぶりとか、話している時の表情や身振りで、印象はぐっと違ってくる。政治家は、演説だけでなく、議会での質問や答弁、記者会見での対応など、いろいろな状況で言葉の使い方が試されている。

  また安倍首相ネタになるが、あの舌足らずに聞こえる話し方は、話の内容はともかく、重厚さとか信頼感にはつながらないうらみがあった。逆に、大平正芳首相は、流暢とは言えないそのしゃべり方から、「アー、ウー宰相」などと揶揄されたが、これを文字にしたもので読むと、極めてわかりやすく、かつ格調の高いものであることに感動を覚えた。

  格調が高いということで、政治家の言葉として思い浮かぶのが、ジョン・F・ケネディ米国大統領の演説、特にその就任演説である。「国が皆さんに何をしてくれるかではなく、皆さんが国に何ができるかを求める」という部分は、その後何度も引用されている。ケネディ大統領の肉声とコーラスの歌とを上手に混ぜ合わせてレコードにしたものを、中学生の頃に聴いていた。素晴らしい政治家の言葉は、歌にさえなるのである。

  歌と言えば、黒人差別撤廃の先頭に立ったマーティン・ルーサー・キング牧師の演説である。「私には夢がある」という有名な演説であるが、これを英語のレッスンの教材として聴いた。キング牧師の深みと迫力のある声のせいもあり、I have a dreamと繰り返されるフレーズは、演説というよりも歌であると感じた。

  すぐれた政治家の言葉は、上質の歌のように、魂に入り込む。一方、政治家の言葉で、意味不明で空虚なものもある。受け取る国民のほうでも、言葉の持つ意味だけでなく、その言葉に賭ける政治家の覚悟のほどを聞き分ける感受性を磨いておく必要がある。

 政権交代が現実化する可能性が高まっている現在の政治状況を考えると、これまで以上に言葉に敏感にならなければならないという思いを強くする。


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