浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2007年7月号
新・言語学序説から 第59

「短縮語について」

 日常的に飛び交う言葉で、なんのことやらわからないものが多くなってきた。若者言葉に老人がついていけなくなったというだけではない。短縮語というか、省略語が多いのである。

  「のだめ」現象というのがわからなかった。楽器演奏で生きていこうという生き方のことのようなのだが、語源はテレビドラマの主人公である「野田めぐみ」の省略形ということを最近知った。そもそもが、テレビドラマなど見ない人間である私としては、想像力の働かしようがないような省略語である。

  木村拓哉がキムタクというぐらいなら、私でもわかる。伴淳三郎(今の若者はわからないだろうな)が伴淳という短縮形は、愛されるスターにはつきものであるから、これは許せる。ドラマの主人公といった、想像上の人物まで短縮語で呼ぶなよなというのが、私の感覚である。

  省略語に対する怨嗟の声は、昔からあった。喫茶店(これも急に姿を消して、死語になりつつある)で、ウエイトレス(これも死語か)が厨房に向かって、「アイコー一つ」、「レスカ・ワン」というのを聞きとがめた人の文章を読んだのは、20年ほど前だったろうか。それぞれ、「アイス・コーヒー」、「レモン・スカッシュ」の省略形だということを知った筆者は、「それなら、クリーム・ソーダは『クソ』と言うのか」という箇所で笑ったのを思い出す。

  私の経験した実話であるが、霞が関ビルにある蕎麦屋さん。繁盛しているのは、年増の店員さんたちのきびきびした働きぶりも与かって力があった。客からの注文をはっきりした大きな声で厨房に伝える。きつねうどんなら、「きつね三杯、うどんで」、親子そばなら、「親子二杯、そばで」となる。私が驚いたのは、「力一杯」と、それこそ力一杯に叫んだ店員さんの声にである。「力うどんを一杯」を省略するとこうなるのだということを、改めて知った。

  村田英雄ネタというのが、これまた20年ほど前にはやった。はやらせたのは、北野タケシさん。タケシさんの持っているラジオ番組の中で、村田英雄さんがやりそうな失敗を紹介するというものである。その中の一つにロスアンジェルスの話があった。

  話の中に「ロス、ロス」と何回も繰り返されるのを聞きとがめた村田さんが、タケシさんに「ロスって何のことだ」と尋ねるので、「村田さん、ロスはロスアンジェルスを省略した言い方だよ」と教えた。タケシさんは、続ける。「その後、村田さんがやってるDJで、ダイアナ・ロスを紹介するのに、『次は、ダイアナ・ロスアンジェルスの歌です』ってやってやんの。笑っちゃったよ」。もちろん、これはタケシさんの作り話である。

  ついでに言うと、アメリカでロスアンジェルスを省略するときには、「ロス」ではなく、「L.A」という。そもそも、「ロス」は、スペイン語の定冠詞で、英語のtheにあたる。だから、「ロス」と略するのは、とてもおかしい。アメリカ人にLosと言って、それがLos・Anjelsのことだと思う人はいないはずである。でも、日本人同士の会話で、ロスアンジェルスのことを「エル・エイ」とでも言ったら、それはそれで嫌味になることもわきまえておいていいだろう。

  厚生省と労働省が一緒になって、厚生労働省。略して厚労省。厚生省出身の私としては、自分のいた役所のことを「厚労省」と呼ぶのには抵抗があるのだが、これはこれで慣れの問題だろう。

  文部省と科学技術庁が一緒になって、文部科学省。略して文科省。建設省と運輸省が一緒になって、国土交通省。略して国交省。通商産業省は、農林水産省と並んで、霞が関再編の波をかぶらずに、生き残った組である。その短縮形の通産省は違和感がない。通産行政という言い方もすっきり頭に入るが、一方で、国交行政という言い方は、まだ定着していない。時間が経てば、そういう言い方にも抵抗がなくなるのだろうか。

  書いていて気がついたが、農林水産省は、どうして農業林業水産省でないのだろう。農林省が許されるのなら、農林水省でも許されたはずなのに、どうして水産だけ残ったのだろう。役所出身の人間しか、こんなことをうんぬんするはずもないだろうなと思いつつ、ちょっと気になる。

  役所ネタで続ければ、「生保」というと厚生労働省の役人にとっては生活保護のことだが、財務省の人間が聞けば、生命保険のことに決まっている。それでは一般の人は、どちらを思い浮かべるのだろうかと考えようとしたが、そもそもが、一般の人に「生保」といった短縮語を使うべきではない。生活保護、生命保険とフルネームで呼ぶべきであるというのが正論である。

  つまりは、短縮語というのは、狭い業界、消息通、一定の年齢集団でだけ通用する楽屋ことばである。 先日、テレビのコメンテーターとして出ていたニュース番組で、愛知県長久手町での拳銃たてこもり事件が話題になった。出演者の一人が、「さっちょうの対応も問題だ」というようなことを言ったので、私は「さっちょうって、何のことですか」と尋ねた。「さっちょう」が「警察庁」の略語であることはわかっていたが、ほとんどの視聴者には理解不能である。略語は、誰にも通じる普遍的な言語としての位置を占めるまでは、説明が必要なのだろう。

  聞く側が想像力を働かせるべき例としては、黒柳徹子さんの実体験がある。エッセイで読んだのだが、講演だったかもしれない。 新聞の三行広告の求人欄。売れる前の黒柳さんが仕事を探していて、「年齢不問、経験優遇・・・」とか条件が書き連ねられた後に、「細面」とあったので、「私は丸顔だからダメなのかな」と勘違いしたという話である。業界的には、これは「委細面談」の省略形として市民権を得ている。ちなみに、この原稿を書いているパソコンに「ほそおもて」と入力したら「細面」と出た。これを見ると、黒柳さんの勘違いも仕方がないのかもしれない。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org