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月刊年金時代2007年3月号
新・言語学序説から 第57

「地名について」

 子どもの頃、仙台市八幡町に住んでいた。地区内の大崎八幡神社ゆかりの地名である。通っていたドミニコ幼稚園があったのは、角五郎丁。この地名はまだ残っているが、近所の中島丁、江戸町、北五十人町、十二軒町、石切町という、ゆかしい地名はなくなってしまった。梅原仙台市長は、仙台の歴史的地名を復活させることを検討しているらしい。正式に復活させるとなると、大変なお金がかかる。だから、行政上の正式な地名復活までは望んでいないが、なんらかの形で、昔の地名は残ったらいいなと思っている。

 仙台市が平成元年に政令市になった時に、新しく誕生する区の名前をどうするかが検討された。市役所の担当の方が、私が仙台市出身という縁なのだろうが、その時に霞が関で働いていた私の職場まで意見を聞きにいらした。東西南北といった安易な区名のつけ方だけはしないで欲しいと申し上げた覚えがある。その意見のせいでもないが、出来上がった区名は、青葉区、泉区、若林区、宮城野区、太白区となっていた。現在、仙台市青葉区に住んでいる身としては、ありきたりの名前でなくて、本当に良かったと思っている。

 それと逆の例が、昭和60年から二年間住んだ札幌市。住んでいたのは、中央区宮の森。その他に、東西南北区と白石区がある。西区が分区して新しい区が出来る時に、発寒区になる可能性があったが、結局は手稲区になってしまった。発寒区だったら、東南西北白発中とマージャンの国士無双ができあがるところだったのにと、秘かに残念がったものである。それにしても、大事な区の名前なのだから、もうちょっと芸があってもよかったのではないだろうか。

 札幌に住んでいたのは、北海道庁で仕事をしていたからだが、北海道のむずかしい地名には、かなりとまどった。まずはじめが、後志支庁。これが「しりべし」と読むとは思いもかけなかった。長万部(おしゃまんべ)は読めたが、椴法華村(とどほっけ)、留辺蕊町(るべしべ)は読めないし、書けない。稚内を「しいない」と理解していた私の遠い親戚のおばさんが、札幌駅で駅員に「しいない行きは、何番線から出るのですか」と尋ねたら、「わっかないですね」と言われて、「わからないなんて、なんと無知な駅員だろう」と怒ったという実話は、以前に紹介した。稚内を「わっかない」と読めというのは、しょせん無理な話ではある。

 地名は、単なる記号ではない。住んでいる人にとっての誇りにつながる。愛着もある。だからこそ、市町村合併で新しくできる自治体の名称をめぐって、住民の間で賛成反対の議論が起きたのである。結局、新しい自治体名をどうするかでまとまらずに、合併そのものが立ち消えになった例は、今回の平成大合併の中でたくさん見られた。わが宮城県でも、古川市など1市6町の合併による新市名が大崎市となることに異論を唱える古川市民の一部が、合併そのものをご破算にしかねない状況に立ち至った。名称として古川市を採用せよということであったが、最終的には、大崎市でまとまって一件落着。当時の私は、宮城県知事として、この合併を推進する立場にあったので、ほっと胸をなでおろしたことを思い出した。

 合併による新市名でいえば、南セントレア市、それはあんまりだ、そりゃないだろうと義憤を感じていたのだが、結局、合併そのものが破談になって、一応、ことなきを得た。しかし、南アルプス市は誕生してしまった。外国の地名を使うことはないだろうというのが、私の想いである。似たようなことで、西東京市はどうなっているのだろう。東の京都だから東京であるが、それに西をつける感覚が理解できない。南仙台というJRの駅の名前があるが、駅名なら別に問題はない。しかし、こういう名前の市ができたら、地名に対する誇りはあるのかと住民に問いたくなってくる。実際に、この手の自治体名は、少なからずあるのだから、困ってしまう。

  仙台にも仙台銀座があるが、「なんとか銀座」は全国どこにでもある。一体、何箇所のなんとか銀座が存在するのだろうか。地名ではないが、小京都という言い方にも抵抗がある。この言い方では、その地域の誇りということにはつながらないだろう。ロス・アンジェルスにあるリトル・トーキョーとは意味合いが違う。

 地名は、地形を表わすとか歴史を感じさせるようなものであって欲しい。本町三丁目とか、中央四丁目、さらには「駅前」といった地名には、そういったことは感じられない。そして、かなり恥ずかしい。新しく地名をつけるときには、そこの住民の意見を聴くという手続きがとれないものだろうか。そうすれば、こんな恥ずかしい地名にはなるはずもない。

 アメリカの州でも、ニュー・ヨーク州をはじめ、ニュー・ジャージー州、ニュー・メキシコ州、ニュー・ハンプシャー州と、安易なつけ方ではないかと見られないこともない名前がある。しかし、定着してしまうと、そこは逆に歴史の重みが出てきて、しっくりと収まってしまう。そう考えれば、上に書いた日本の地名も、いずれは定着して歴史の重みを感じさせることになるのかもしれない。

 宮城県の白石市と青森県の黒石市とが、毎年、囲碁大会で交流している。地名の面白さが、いい方向に出ている例である。宮城県に色麻町(しかま)がある。字面をぱっと見ると、ドキッとする。このことから、北海道に大麻(おおあさ)という地名があるのを思い出した。音読みをすると、これまたドキッとする。滋賀県大津市には浮気(ふけ)という地名があるが、これもドッキリである。北海道室蘭市にある母恋(ぼこい)。いい地名の一つである。

 地名に詳しい人が多いので、こんなことはいろいろなところで何度も紹介されているのだろう。そうとは知りながら、思いつくままに、詰まらないことを書き連ねてきた。これ以上書くと、ますます詰まらない読み物になりそうである。それは書き手として、地名的、いや致命的なことであるのでここでやめる。


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