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月刊年金時代2006年3月号
新・言語学序説から 第45

「回想録について」

 昨年の11月に知事を辞めて数ヶ月経つ。地元の河北新報から、8回連載の回想録を頼まれた。回想録の表題は、「疾風十二年」とつけた。ジョギング知事として名を売っていたので、自分としては違和感がない。「県政だより」の随想が「助走」、ホームページ掲載の日記が「ジョギング日記」、私の最初の著書が「豊かな福祉社会への助走」というのと同じ発想である。一回分は1,400字と短めなので、削るのに苦労した。

 その後、某有名出版社の編集者からも、回想録の執筆を頼まれた。即座にお断りするつもりであった。まずは、地元紙に、一応、書いてしまったということ。そして、回想録なんて書く時間もないし、能力もないこと。今までに何冊か本を出版したが、いずれも連載をまとめたり、講演、対談を収録したものである。書き下ろしは、とても無理である。

 お断りするつもりでお会いしたが、最後には、「やりましょう」ということになってしまった。編集者Bさんの熱意があったからだけではない。Bさんから、「浅野さん、大学で教えるのなら、教科書がいるでしょう」と言われ、そのことに納得してしまったからである。

 4月から、慶応大学湘南藤沢キャンパスの総合政策学部の教授に就任予定であった。専任教授であるから、学生にしっかり立ち向かって、指導していかなければならない。実績がない、経験がない。その時に、自分の書いた教科書のようなものがあったら、だいぶ気が楽である。Bさんの言葉は、その不安に対する一つの答のように聞こえた。

 そう思い定めてしまうと、回想録は、それ以外にも意義のあることに気がついた。12年の知事業は、誰でもかれでも経験はできない。私にしか書けないとは言わないが、記録として残しておくこと意義はある。

 回想録ということで書くと、知事としての思い出話を書き連ねるのに近い。単なる自慢話になりかねない。それを回避する方法としては、教科書を意識して書くことではないか。Bさんの話を聞いて、そう感じた。

 この話には伏線がある。昨年の十一月に、地元東北大学法学研究科客員教授に就任した。その第一回特別講義の朝、ジョギングをしていて、ふと頭に浮かんだのが、回想録のようなことでは大学の講義らしくないということである。もっと学問的な切り口がいい。ジョギングを終えて、即座にパソコンを叩いて、「知事業とは何か」というレジメを書き上げてしまった。

 知事業に任期制限はない、知事は選挙で選ばれる、知事は議会で議論する、知事は闘う、知事は予算執行の最高責任者である、知事は方針を決める。こんなことを柱にして、それぞれにエピソードを散りばめて展開すれば、面白おかしく、かつ、学問のにおいが少しはする講義になる。本人はそう思って講義したのだが、聴講者がどう聞いたかは確認していない。

 この時の講義をふくらませれば、教科書風回想録になるかもしれない。Bさんの示唆をそんなふうに受け止めた。その後、実際に、その教科書風回想録なるものを書き始めてみて、安請け合いをしてしまったかなとの反省にとらわれてしまった。ふくらませるといったって、限度がある。教科書風というのと、回想録というのは、どうも共存がむずかしい。それよりも、なによりも、執筆の時間の確保がむずかしい。

  今の生活は、知事時代よりも忙しいぐらいである。夜の予定も、ぎっしり入っている。しかし、時間が取れないという言い訳をしていても仕方がない。ともかく、ここは一番、やるしかない。いやいややるよりは、楽しみながら喜んでやるのがいい。12年間の知事業を、この期間にみっちり振り返って、一冊の本に詰め込んでしまうというプロジェクトは、大いに意義があることであると自分にも言い聞かせている。

 受験生の心境である。8章仕立てなので、1週間で1章を書き上げれば、3月中には脱稿できる。1週間ずつのノルマを自分に課して、なんとか乗り切る。大学受験生のテクニックである。その合間に、この文章もそうであるが、他の原稿も書かなければならない。泣き言を言わず、前向きにやるしかない。

 世の中に、パソコンというものがあって、よかったと心から思う。この原稿もパソコン入力であるし、回想録執筆にも当然パソコンを使う。1章分出来上がったところで、Bさんに送信しておく。原稿の大幅な変更や、編集し直しも、パソコン入力であれば、簡単にできるので、細かいところを気にせずに、書き進めることができる。これもパソコン入力の効果である。

 パソコンであれば、持ち運びが楽。これまでに書いた部分や、参照記録が全部パソコンに残っている。現在の生活は、新幹線での仙台・東京往復が頻繁になっているが、新幹線の車内では執筆に専念という状況である。さすがに、夜はほとんど執筆しない。「夜六時以降は仕事しない」という私の生活スタイルは、できる限り守り続けたいと思っているからである。それでも、最後の追い込みではそうもいかないだろう。

 妻からは、「そんなに思い詰めなくとも」とやさしい言葉をかけてもらっている。自分としては、そんなに必死になって回想録の執筆にとりかかっているとも思っていないのだが、外から見ればそうでもないのかもしれない。教科書ということにこだわれば、締め切りは新学期開始早々ということになる。本当は、思い詰めるほどでないと、間に合わないことも確かである。

 ここまで書いてきたのを読み返してみると、回想録の執筆という目標を与えられて、喜々としている自分の姿を感じてしまう。そんな対象を与えてくれたBさんには、感謝しなければならない。

  これが掲載される頃には、回想録の原稿は書き上がっているはずである。そうなれば、タイトル未定のこの回想録は、五月上旬までには書店に並んでいるはずである。いずれも、「はずである」ということではあるが、その程度のものとして、ご期待いただければと思う。


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