浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2006年2月号
新・言語学序説から 第44

「テレビ出演について」

 3期12年務めた知事業を終えた後、「これからは、好きなこと、得意なこと、やりたいことだけやる」と秘かに宣言した。やりたいことの中には、テレビ出演というのも入っている。というわけで、早速、何回かテレビ出演の機会があった。

 日本テレビ系で日曜日の夕方に放送している「バンキシャ」もその一つ。「番記者」として、さまざまなニュースを取材している記者の目で、事件や出来事を切り取っていこうというのが、番組の趣旨であると理解している。取材内容をビデオにしたものが流され、スタジオでは関連した実証実験が展開される。その合間に、ゲストがちょこちょことコメントをはさむという構成である。

 この番組に以前出ていた寺島実郎さんから、「浅野さん、俳句を三つ言うつもりで出たらいいよ」と助言をいただいていた。一回のコメントの時間が非常に短いので、せいぜい俳句一句分ぐらいしかしゃべれないということなのだろう。そのコメントの機会が三回だから三句分。なるほど。

 実際にゲストとして出演してみたら、さすがに俳句一句分よりは長いが、ほんの一言しか言えないという意味では、寺島助言は適切であった。その時のトピックの一つが、自転車の暴走事故で、私のコメントでは、「自転車も 乗れば車の仲間入り」という交通標語を引用させてもらった。これだって五七五、俳句のようなものである。

 この番組に限らずだが、コメンテーターが、ちゃんとした発言ができると考えたら、大きな間違いになる。確かに、視聴者から見ても、コメンテーターがだらだらしゃべっているのは違和感があるはず。一方、出演している立場からすれば、もう少ししゃべらせてくれよという気持ちにはなる。この加減がなかなかむずかしい。

 私の臨時マネージャー役を買って出てくれたIさんの事前の注意は、「浅野さん、早口にならないように」というものだった。その気になれば、どこまででも早口になれる、早口言葉の名手の私である。ある程度のスピードに乗ってやらないと、話のリズムが狂ってしまって、言葉が円滑に出なくなってしまう。そんな性癖の私であるので、早口を抑えるのは、簡単ではない。 とはいえ、しゃべりのヴェテランからの助言であるので、本番では少しは意識してゆっくりめにしゃべった。事後に、彼女からのダメは出なかったから、それほどの早口ではなかったのだろう。

 出演していてむずかしいのは、発言のタイミングである。事前にきっちりとして打ち合わせがあるわけではない。ここでコメントをはさみたいという時には、その機会に恵まれず、逆に、思わぬタイミングでコメントを求められる。大事なことは、いつ振られても、何か気の利いたことを返す心積もりをしておくこと。知事時代からの何回かのテレビ出演での教訓である。

 番組出演を自分の考えをなんとか伝えるための場だと考えると、結構つらい。そのために十分な時間が割り振られるわけでもないし、全ては司会者次第。真面目に考えるといらいらしてしまうだろう。そうではなく、自分を売り込むための機会だと思い定めてしまえば、気は楽である。そして、確かに売り込みの効果はある。講演を頼まれた時のギャラにも関係してくることも、否定できない。そういった実利的なところはある。

 それに加えて、言語学の実地訓練になる効用も忘れてはならない。多くの人が注視していることを意識しての発言には、緊張感が伴う。そんな状況で言語を発するのであるから、言語能力が鍛えられないはずがない。  とはいえ、何でもそうだが、テレビ出演も楽しんでやるべきものである。先日、初めての経験であるが、プロンプターを使ってのテレビ出演の機会があった。NHK教育テレビの「視点論点」という番組である。毎週月―金の夜の時間帯に、論者が一つのトピックについて語るもので、放送時間は十分間。実質は、九分十五秒の持ち時間。この収録にプロンプターを使う。内容よりも、その方式のほうに興味があった。

 原稿が自分の手元にある。それを真上のカメラが撮ったものが、論者を撮っているカメラの位置に映し出される。それを読むのだが、論者の目線はカメラに向かっている。そうか、こういう仕組みになっているのかと、納得した。テレビのニュースのアナウンサーがこちらに目を向けながら、すらすらと語るのはどうしてだろう、暗記しているのかなと思っていたが、こういうからくりがあったのだ。

 ということを、その日の論者である私がやることになった。一回目はテスト本番で、そのまま本番で使ってもいいぐらいに、時間もぴったりに終わった。その後に、専門的なアドバイスをいただいた。時々、手元の原稿に目をやる仕草をしたほうがいいというもの。テレビで論者の手元をじっと見ている視聴者には、論者の手の動きで、原稿をめくっているなというのがわかるのだから、そのことをむしろ知らせたほうがいいということらしい。なんだかわからないながら、二回目はそのとおりにして、無事収録を終了。

 コメンテーターなら、一瞬で終わる出番であるが、こちらはカメラをみつめて(実際には、プロンプターを読んで)の約十分間のしゃべりっぱなしである。一字一句、明瞭な発音、正確なアクセントにも注意しながら、原稿棒読み調にならないように、抑揚をつけて話すというのは、音声言語の生きた訓練そのものである。自分で書いた原稿であるが、何をしゃべっているのかよりも、どう聞こえるかのほうに注意を奪われながらであった。それにしても、興味深い経験をさせてもらった。

 そんなこんなで、テレビ出演を楽しんでいる。なにやら忙しげに立ち回っているテレビ局の雰囲気も好き。知事業とは、ずいぶんとかけ離れている感のある仕事の現場であるが、こういう現場のほうが私の感覚にはぴったりという気もしている。さて、これからの私の仕事の現場は、どのように展開していくものやら。自分自身でも、興味が尽きない。


TOP][NEWS][日記][メルマガ][記事][連載][プロフィール][著作][夢ネットワーク][リンク

(c)浅野史郎・夢ネットワーク mailto:yumenet@asanoshiro.org