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月刊年金時代2005年9月号
新・言語学序説から 第39

「情報公開について」

 情報公開がなぜ「言語学」と関係するのか。それは嘘に関係するからである。「嘘」には口扁がついている。だから、言語そのものである。情報開示の拒否は、不作為としての嘘である。口をつぐむことが、嘘を隠そうとする行為そのものと言ったらいいのだろうか。

 情報非開示は、説明責任を果さないことであり、批判の対象となることも多い。そんなことに関係して、宮城県知事としての立場で、生々しい議論が進行中である。県警犯罪捜査報償費の問題である。

 そもそも、私自身が、県警犯罪捜査報償費のことをよく知らなかった。学習のつもりで調べているうちに、「これはおかしいぞ」と疑うようになったというのが、実態である。

 犯罪捜査に協力する情報提供者がいるらしい。協力すると、一回一万円とかの謝礼が出される。暴力団、覚醒剤、銃刀関係などで、「内部通報者」として、捜査員と特別な関係を保持しつつ、適宜情報提供をする。「エス」と呼ばれる存在である。

 しかし、「エス」の名前が報償費の支出関係の文書に記載されることは稀であろう。決裁文書は上司、同僚の目に触れる。それだけでも、危険極まりないことであるからである。

 となると、支出関係文書に名前が出るような一般の協力者は、「エス」ほどには「おどろおどろしくない」人たちであろう。一回限りの協力者も含まれている。その人たちが情報を提供すると謝礼をもらう。「警察には、(「エス」との関係を除いては)お金で情報を買うという文化はない」ということを、北海道警察本部の元幹部だった原田宏二さんから教えてもらった私とすれば、こういうストーリー自体がすとんと胸に収まらない。

  この一般の協力者の名前が記載されている書類を知事に見せることは、「協力者を危険な立場に置く。信頼関係を崩すことになる」として、県警は文書を知事に提示することさえ拒否している。そんな危険に身をさらすようなことを、一万円ぐらいの謝礼で了解するものだろうかという大きな疑問も生じる。

  このことに関しては、ほぼ一年前に「言い訳について」(〇四年七月号)で少し触れた。一年前の状況が、さらに発展して今に続いている。宮城県警察本部において犯罪捜査報償費が適正に執行されているかどうかについて、知事としても疑問を持たざるを得ない状況なのに、適切な対応がなされていない。結果として、捜査報償費の予算を、年度途中であるが、執行停止にした。これは大変なこと、前例のないことである。

 報償費が適正に執行されていないのではないかという疑問が、共有されているという現実がある。この六月の仙台地裁判決では、平成十二年度の県警鑑識課の報償費には実体がないという疑いが強いと判示している。

  このようなことから、知事は「適正執行を確認するために、関係書類の提出と捜査員からの聴取に応じてほしい」と要請したのだが、県警は「応じられない」という回答であった。これでは適正な予算の執行を確認できないので、このまま予算の執行を認めるわけにはいかない。こういう次第である。

 県警は、現在、口をつぐんでいるという状態である。積極的に説明をすることを拒んでいる。私の定義では、嘘を隠そうとする行為ということになる。なぜ口をつぐむのかの理由として、「捜査上の支障」が常に持ち出される。書類には情報提供者の名前が書いてある。これが知事に知られることは、協力者の信頼を裏切ることになるので、今後協力が得られなくなる。だから、それは「捜査上の支障」になる。これが理由として、県警が主張している内容である。

 「報償費に実体がない」という判決は、支出文書に記載のとおり謝礼を受け取っている協力者は存在しないことを意味する。そうではないことを確認しようとする知事の要請に対する県警の回答は、「協力者に迷惑がかかるから」である。

  それなら、警察自身による「内部監査」で疑いを晴らしたらと提案したのだが、この内部監査でも協力者には一件たりとも当たっていない。それではだめだ、私が調べるから書類を見せろ、捜査員から聴取させろと言うと、「捜査上の支障」を持ち出されてしまう。ぐるぐる回りの議論になる。水掛け論と呼ぶのだろうか。

 北海道警察をはじめ、捜査報償費に関して、「協力者はいなかった」という事例が明らかになりつつある。私に対して「当時の自分が所属した部局の報償費はほとんどが嘘」と言明した宮城県警の元幹部もいる。水掛け論ではない。疑問、疑惑は厳然と目の前にある。その状況の中で、知事に予算執行の文書を提出できない、監査委員に対しても「目隠し」なしの文書は示せない。これは通る議論ではないというのが、私の見解である。

 「情報公開について」書き出したが、実は、この事例は情報公開の問題ではない。公開ではなく、知事に見せろ、監査委員に示せということである。書類の中に、慎重な取扱いが必要とされる情報が含まれているとすれば、知事なり、監査委員が慎重に扱えばいいだけの話である。どうやったら「捜査上の支障」にならないか、慎重な取扱い方法について、双方で話し合えば解決される問題である。そういった性格の問題であることも、しっかりと認識しておかなければならない。

 知事にだって「見せられない」ということだから、広い意味での情報公開の問題になるのかもしれない。その際に「捜査上の支障」が、開示を拒否できる万能の切り札になるとしたら、そのこと自体が大問題であるという認識を私は持っている。切り札を乱発してはならない。必要最小限に止めなくてはならない。ましてや、今は平常時ではない。報償費の執行に関して、警察に対する信頼感が大きく揺らいでいるという状況の中では、その信頼感を取り戻せないでいることこそが「捜査上の支障」の最たるものではないか。

 いつも以上に理屈っぽくなった。生々しい話でもある。たまにはこういう「言語学」もあることを知ってもらいたい。


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