月刊年金時代2005年5月号 「盲ろうについて」 今よりずっと若い頃、何かの講演会で、「目が見えなくなるのと、耳が聞こえなくなるのと、あなたはどっちを選ぶか」という問いかけをする講師がいた。どちらかの障害を選ばなければならなくなったら、どうするかというこの問に、若かった私は、耳が聞こえなくなるほうを選んだような記憶がある。 今なら、躊躇なく、目が見えなくなるほうを選ぶ。活動的な日常生活を考えると、視覚障害の不便さのほうが大変だろう。しかし、それは若い時の感覚。耳が聞こえなくなって、言語生活から切り離される不安のほうが、今なら大きい。 音楽を聴く楽しみから隔てられる。耳が聞こえてしゃべれる限りは、ラジオ番組のDJだって続けられる。何よりも、普通の会話ができなくなるのは、つらいし、不便だし、知的刺激の劇的減少につながる。 視覚、聴覚、なくすことを想像するだけで、恐ろしい。そのどちらもなくした人のことを「盲ろう者」という。その数、全国で一万三千人とも言われる。全国盲ろう者協会のホームページを開いてみたら出てきた言い方であるが、「光も音も届かない深い海の底で箱の中に閉じ込められた状態のようだ」というのが、重度の盲ろう者が表現する盲ろうの様子である。 子どもの頃、「ヘレン・ケラー」の伝記を読んで感動した。その後、「奇跡の人」というタイトルで、舞台や映画で取り上げられている。家庭教師のサリバン先生が、言うことを聞かないで暴れてばかりいるヘレンに、手を焼いている。生まれながらの盲ろうであるので、そもそも言語という概念が育っていない。流れる水に手で触れるヘレンに、サリバン先生がその場で手にW・A・T・E・Rと綴ることで、世の中には言語というものがあることを教える場面は、感動的であると同時に示唆的である。 「日本のヘレン・ケラー」と呼ばれることもある、福島智さんに、先日、東大先端科学技術研究センターでお会いした。 引き合わせてくれたのは、以前に宮城県産業経済部に在籍していたことのある元経済産業省官僚の澤さん。彼は、先ごろ、東京大学先端科学技術研究センターの教授に就任して、その同僚として活躍している福島智助教授を紹介してくれたということである。 先端研では、福島助教授と伊福部達教授にお会いした。伊福部教授が進めているのは福祉工学で、私が訪問した時には、コミュニケーション機器について説明いただいた。「指で聴く」装置、音声タイプライター、九官鳥の物真似声の謎解き、抑揚の出せる人工喉頭などについて、最先端の研究成果を紹介してもらった。 伊福部教授の研究がハード面なら、福島助教授のそれはソフト面からのアプローチである。福島さんが話す内容もさることながら、その話し方、コミュニケーションの取り方には心を奪われてしまった。隣に坐る女性が福島さんの手に猛スピードで指点字を打ち込む。それが耳代わりで、話すのは福島さん自身が肉声でやる。その内容は、その場の会話を瞬時に反映し、しかも、ユーモアにあふれ、表現力豊かである。 福島さんは、九歳で視覚を失い、十八歳で聴覚を失った。講演などでの自己紹介では、その後に、「二十七歳で腹が出てきて、三十六歳で髪が少なくなってきました。四十五歳で何が起こるか楽しみです」と続けるのだそうだ。目は全く見えない、耳も全く聞こえないという全盲ろうであるが、しゃべれるのは、聞こえていた時の記憶があるからとのこと。 この時の福島さんとのやりとりは、私にとって真底驚くような体験であった。私の問いかけに、間髪を入れずに福島さんは反応する。ユーモアたっぷりの当意即妙の福島さんの話に、思わず笑ってしまうと、それもちゃんと伝わっている。指点字を担当する女性の力量もすごいものである。 そもそも、その指点字なるものは、福島さんとお母さんが「発明」したものらしい。それも、偶然に。外出の時に、お母さんがグズグズしていて、いらいらした智さんが一方的に文句を言っていた。たまたま、近くに点字タイプライターがなかったので、お母さんは苦し紛れに、智さんの両手に触って点字の配列を指で伝えた。「さ・と・し・わ・か・る・か」とゆっくり手に打ったら、智さんは、にこっとして「わかるで」と答えたのが、指点字の始まりらしい。智さんは、この情景を「腹立ち紛れのエネルギー」と表現し、お母さんは「神様からの贈り物」と釈明する。 指点字でコミュニケーション手段を手に入れた福島さんは、それからどんどん活躍の場を広げる。都立大学人文学部に入学し、博士過程まで修了。都立大学助手、金沢大学助教授を経て、東京大学先端科学技術研究センター助教授。いずれの経歴でも、「盲ろう者としては初の」というのがついて回った。 改めて感動したのは、お会いした時に福島さんからいただいた「指先で紡ぐ愛」を読んだ時である。著者は、奥様である光成沢美さん。副題が、「グチもケンカもトキメキも」というもの。つまり、夫婦ゲンカをする時も、奥様は指点字で伝えるしかない。これって、大変。本当に大変。その他にも大変なことは山ほどあるが、ケンカという究極のコミュニケーションを指点字でやるしんどさは、想像を絶する。 この著書のマンガ版のあとがきに福島さんが書いていることが、盲ろう者にとってのコミュニケーションの意味を教えている。盲ろうとは、テレビのコンセントが抜けた状態と彼は言う。他者と触れ合って、言葉を交わしていれば「心のスイッチ」が入る。コミュニケーションこそが盲ろう者が生きる上でのエネルギー源とのこと。 今回は、あまりにもまとまらない文章になってしまった。見えるし、聞こえる私がこの程度の文章を書いている。福島さんの言語能力を知って、人間の可能性は無限であることを感じるが、私の文章は、努力しなければ可能性は花開かないことの実例のようなものである。
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