浅野史郎のWEBサイト『夢らいん』

 

月刊年金時代2005年4月号
新・言語学序説から 第34

「童謡について」

 このところ、童謡に目ならぬ耳を向けている。夜中に目覚めてNHKの「ラジオ深夜便」を聴く習慣がついて久しい。3時から4時の「にっぽんの歌 こころの歌」を聴くことが多い。先日の番組で、童謡特集を聴いたのがきっかけである。古賀さと子、近藤圭子、小鳩くるみ、川田正子・孝子、伴久美子、安田祥子・章子などなど、なつかしい名前、なつかしい歌声が聞こえてきて、眠気が払われた。

 「なつかしい名前」と書いたが、これらの歌手の歌は、リアルタイムで聴きなじんでいた。媒体は、当然ながらラジオ。昭和20年代後半から30年代にかけて、テレビが本格的に登場する前の出来事になる。姉二人と一緒に聴いて、一緒に歌ったりもした。記憶にしっかりと根づいて、忘れることができない。

 私だけではない。同じ年代に幼少期を送った人間の共通体験のはずである。こうやって歌を覚え、美しい日本語を覚えた。めだかの学校、子鹿のバンビ、お猿のかごや、蛙の笛、からすの赤ちゃん、ちんちん千鳥、かなりや、わらいかわせみ、虫のこえ、でんでん虫虫かたつむり、池の鯉、赤とんぼ、浜千鳥、兎のダンス、めえめえ児山羊、黄金虫、証城寺の狸囃子、かもめの水兵さん、うさぎとかめ。童謡に登場する動物たちを思いつくまま書き連ねてもこれだけある。赤とんぼと虫の声以外は、登場する動物たちは、すべて擬人化されている。そういった動物の姿が、聴いている子どもたちの胸に残るゆえんである。

 今の子どもたちは、童謡を聴くのだろうか。ましてや、歌うのだろうか。それより以前に、童謡で歌われている情景は思い描けるのだろうか。「菜の花畠に入日薄れ」(朧月夜)と聞いても、菜の花畠はどこにあるの。「あれ松虫が鳴いている」(虫のこえ)の松虫ってどんな虫。めだかの学校と言うが、そのめだかは、環境省のレッドデータブック登載の絶滅危惧種になっている。めだかと一緒に、童謡も同じ運命で、絶滅に瀕していくことになるのだろうか。

 でも、童謡は残って欲しい。歌い続けたい。「母さんお肩を叩きましょう タントンタントンタントントン」、「唄を忘れたかなりやは 後の山に棄てましょか」(西條八十)、「この道はいつか来た道 ああそうだよ あかしやの花が咲いてる」、「赤い鳥小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実を食べた」(北原白秋)、「青い眼をしたお人形は アメリカ生まれのセルロイド」、「雨降りお月さん 雲の蔭 お嫁にゆくときゃ 誰とゆく」(野口雨情)、「あかりをつけましょ ぼんぼりに お花をあげましょ 桃の花」、「だれかさんがみつけた ちいさい秋みつけた」(サトウハチロー)。我々の世代なら誰でも知っている、これら作詞家の手になる美しい日本語のお手本。こういった童謡を歌って育つかそうでないかは、その後の言語生活を決定づけるのではないか。

 私の小学生時代、童謡歌手は雑誌のアイドルだった。安田祥子さん章子さん姉妹が私のお気に入りで、特にお姉さんの祥子さんに淡い憧れを抱いていた。章子さんは、長じて由紀さおりと改名して大活躍。その二人と親しくなる機会があり、仙台公演の折には私も何度か見に行っている。お二人は公演が終わるとすぐに、東北大学の緩和ケア病棟に出かけて、病床で童謡を何曲も歌い続ける。聴いている患者さんのほとんどは、数ヶ月後に死期を迎えるような重症の方々である。隣でご家族も涙を浮かべて聴き入っているとのこと。

 童謡には、重症の患者さんを癒す力がある。子ども時代を思い出し、その頃に親しんだ情景を思い起こすのだろう。患者さんの手を握りながら、伴奏なしで歌い続ける姉妹は、医療ではできないようなすごいことをしていることになる。

 そんなすごい活動を終えた後のお食事会にご一緒することも、何度か。公演での歌唱も加えれば、その日だけでお二人は何十曲も歌ったことになる。それでも元気なのは、歌うことでパワーをもらっているからとしか思えない。そんな場では、一緒に歌える童謡のレパートリーも多く、当時の童謡歌手のこともよく知っている私であるので、お二人との話は大いにはずむ。童謡が縁を結ぶ楽しいひとときである。

 安田祥子さん、由紀さおりさんの他に、最近の私のお気に入りは、小鳩くるみである。冒頭に紹介したラジオ番組で聴いた「証城寺の狸囃子」が衝撃的であった。発音もたどたどしくてかわいらしいことこの上ないのだが、音程とリズム感は確かである。あまりのかわいらしさに、笑いがこみ上げてくる。この時の彼女は五歳。世界最年少の歌手と呼ばれていた。

 同じ「にっぽんの歌 こころの歌」で、成人してからの小鳩くるみの歌を聴いて、そのうまさに感心していた。そういう伏線がある。なおのこと、世界最年少の歌手の歌いぶりに衝撃を受けたのである。その彼女はロンドン大学に留学して、現在は鷲津名都江の本名で大学教授となり、マザーグースの研究家としても活躍している。歌を聴いていても、そんな知性を感じるというのは、こういう経歴を知っているからなのかもしれない。

  話があちこち飛んでしまった。言語学の見地からも、童謡には捨て難い魅力がある。外国には、マザーグースのように、昔からの子どもの歌というのはあっても、日本の童謡のように、現代において大量に作られ、広く歌われている種類の音楽はないのではないだろうか。その意味では、世界に誇る日本の文化の一つである。童謡が子ども向けのものであることを考えると、言語生活の初期に出会う日本語ということになる。その意味からも、童謡の重要性が理解できる。幼少期に童謡に親しんで、良き日本語の真髄を肉体化することは、その後の言語生活に極めて重要な影響を与える。

  放送関係者にお願いしたい。意味不明だけでなく、同じ日本語を使う者として恥ずかしくなるような歌を垂れ流すのは、いい加減にしてもらえないだろうか。その分を、美しい日本語の童謡、歌曲に向けてもらえないだろうか。日本言語文化の継続のためのお願いである。


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