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月刊年金時代2004年10月号
新・言語学序説から 第28回

「英語の歌について」

 英語の歌に親しむようになったのは、仙台市立第二中学校に入った頃、史郎少年12歳のみぎりである。ラジオから流れてくるポップスは、歌謡曲とは全然違った種類の音楽であり、少年の心を奪うのに十分であった。歌詞は英語だから、ほとんど聴き取れない。むしろ、そういった異国語で歌われる曲だからこそ、ゾクゾクするような興奮とともに聴いたような気がする。

 アルマ・コーガンの「ポケット・トランジスタ」を森山加代子が歌っていたが、オリジナルと比べてしまい、「違う、全然違う、へたくそ」といった具合に聴いていた。イギリスの天才少女ヘレン・シャピロ(当時十四歳!)の「子供じゃないの」、「悲しき片思い」は、新人弘田三枝子がカバーしていた。歌唱力は大したものだったが、ポップスを日本語の歌詞に乗せて歌われると、どうしても違和感が残る。

 男性歌手では、坂本九ちゃんが、エルヴィス・プレスリーの「G・I・ブルース」を日本語で歌っていた。実力が違い過ぎる。しかも、日本語にして歌うと軽過ぎる。デル・シャノンの「悲しき街角」、「花咲く街角」も九ちゃんはカバーしていたが、オリジナルのデル・シャノンの歌唱力がいまいちなので、なんとか張り合ってはいられた。

 「恋の片道切符」のニール・セダカ、「ダイアナ」のポール・アンカ、「砂に書いたラブレター」のパット・ブーン、「悲しき少年兵」のジョニー・ディアフィールド、「ビキニスタイルのお嬢さん」のブライアン・ハイランドなどなど。

 「英語の歌」の逆の例は、コニー・フランシス。「夢のデイト」、「ボーイ・ハント」、「かわいいベイビー」、「大人になりたい」、「ヴァケイション」など、彼女が日本語で歌う曲は、日本では大ヒット。中尾ミエのデビュー曲は「かわいいベイビー」。歌唱力ではオリジナルのコニー・フランシスにはかなわない。コニー・フランシスは、アメリカでも実力歌手として人気があったが、日本での人気も相当のものであった。その原因のひとつは、彼女がたどたどしい日本語でポップスを歌ったことである。

 時あたかも、1960年代前半。「60年代ポップス」として、今でも一時代を画するものとして、言い伝えられている。「オールディーズ・バット・グッディーズ」、直訳すれば「古いが良きもの」、略して「オールディーズ」と言えば、このころの曲が中核であり、永遠に不滅な輝きを今に残している。

 別なところで、何度も書いたり語ったりしているのだが、仙台の某レコード店でアメリカン・ポップスのレコードを物色していた中学校3年生の史郎少年の耳に飛び込んできたのが、エルヴィス・プレスリーの「夢の渚」であった。それから3年間は、買うレコードの九割以上はエルヴィスのものということになった。今も、地元のコミュニティFMで毎週「シローと夢トーク」というエルヴィスの曲しかかけない、エルヴィスの曲の話しかしないという究極のオタク番組のDJを務めているが、そもそもの原点は、40年以上前のこの時である。

 アメリカン・ポップスの英語の歌がきっかけで、英語に親しみ、英語を学ぶことが楽しみになり、実際に生きた英語を学ぶことができた。ラジオから流れてくる曲を聴いただけでは、なかなか英語は聴き取れない。レコードのジャケットに歌詞が載っているので、それを見ながら一緒に歌う。楽しみながらの発音練習にもなっていた。

 学校で習う英語とは、文法も違うし、発音もずいぶん違うことに気が付いた。単語一つ一つではなく、単語同士がくっついて発音される、語尾の子音が発音されない。このことが、最近読んだ野口悠紀雄著「超英語法」の中で紹介されているのを発見して、興奮してしまった。「歌で学ぶ実際の発音」として野口氏は自分の体験を書いている。「興奮した」というのは、そこでエルヴィスの歌が紹介されているからである。

 エルヴィスの「ハウンド・ドッグ」は、  You ain't nothing but a hound dog.  という絶叫歌唱で歌い出される。  これが「湯煙夏原(ユエンナツバラ)」と聞こえると、野口氏は言う。「掘った芋いじったなー」がWhat time is it now? の類である。「湯煙りの 立つや夏原 狩の犬」という、もっともらしい句にまでなっている。言うまでもないが、ハウンド・ドッグとは猟犬のことである。文法的に言えば、二重否定が否定の意味で使われているのもおかしい。さらに言えば、ain't (are notの略)は、「極度に下品な表現」と野口氏は紹介している。エルヴィス・プレスリーは、黒人の音楽を自分のものにして歌った初めての白人歌手と言われているが、そのことがこの歌詞にも現れている。

 誤訳探しも、上級コースの英語学習としては興味ある。カーリー・サイモンの You're so vain がなんで「うつろな愛」になるのか、ガス・バッカスの Short on Love が「恋はすばやく」とは笑わせるなどなど。正しくは、それぞれ、「あなたは見栄っ張り」、「足らないのは恋」となるべきもの。辞書でvain、short の意味を調べればすぐにわかることなのに、レコード会社のいいかげん社員が手を抜いたのだろう。

 エルヴィスの曲でも誤訳タイトルが多い。典型的なのが Anyway you want me. これが「どっちみち俺のもの」と訳されているが、正しくは「あなたの望むままに」。歌詞を読み進めれば正しい訳がわかるのに、それを怠ったために、まるっきり反対の意味になってしまった。

 英語の歌に親しむ意味は、こういうあら探しにあるのではない。楽しんでいるうちに、英語が身近なものになってくる。使える英語の実地体験。歌で覚えれば、一生忘れない。考えてみれば、やらされてイヤイヤやることで上達するものはない。語学だけでなく、スポーツ、芸術みんな同じである。そういう意味では、あの60年代、アメリカン・ポップスに出会えたことは、私にとっては極めて幸運なことであったと、今更ながら思い起こしている。


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