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月刊年金時代2004年8月号
新・言語学序説から 第26回

「 ネーミングについて」

 少し硬い話である。

  国と地方との役割分担に基づいて、税財源の配分をどうするかという議論がある。改革の方向として、国から地方への税源の移譲、国庫負担・補助金の廃止、地方交付税の見直し、これら三つのことを同時に行ってしまおうということが言われている。これが「三位一体改革」である。

  「三位一体改革」と言われて、一般の国民はなんのことやら、すぐにわかるか。そういう疑問がすぐに出てくる。「三位一体」とは、そもそもが宗教用語である。これを安易に使っては、キリスト教関係者に失礼ではないか。ということまでは、あまり言われていないが、多少の違和感は残る。

  もっと大事なことは、「三位一体改革」というのは、三つのことを同時に改革しようという方法、やり方を述べているだけのことである。なんのために、何を目指しての改革なのか皆目わからないということこそが問題とされるべきである。

  ということもあり、「三位一体改革」に代えて、「地方財政自立改革」という用語を使うべきだと主張している。私が言い出しっぺだが、何人かの知事は賛同してくれた。たかがネーミングの問題と軽くあしらうなかれ。国民一般へのアピール、わかりやすさだけで、こういった言い方をしようというのではない。

  改革を進めようとしている我々、つまり、地方側においても、このネーミングを使うことによって、自信を持って主張できる。相手方である国の姿勢がいいのか、だめなのか、「地方財政自立改革」という基準に照らして、瞬時に判断できる。「三位一体改革」に名を借りて、財務省あたりが財政再建路線に突っ走ろうとしたら、「地方財政自立改革」の観点から、批判ができる。この用語を使えば、マスコミへの説明も容易である。

  平成9年、宮城県が行政改革を打ち出した時に使ったネーミングが、「新しい県政創造運動」である。面白くもなんともないような用語に聞こえるかもしれない。しかし、このネーミングにもメッセージは込められている。「行政改革」、それを縮めた「行革」は、リストラ、けちけち、組織改廃ということを連想させる。みやぎの行政改革はそうではない。使命、成果、効率重視という「新しい県政」のありかたを問題とするものである。それは、組織をあげての「創造」的行為であり、瞬間で終わるのではなく永続的な「運動」と言うべきものである。このネーミングも、県民へのアピールだけでなく、改革を担う県庁職員の心得としての意味が大きい。

  ネーミングとしてインパクトがあったのは、「みやぎ知的障害者施設解体宣言」である。平成16年2月に発したこの宣言は、平成14年11月の「船形コロニー解体宣言」に続くものであった。480人余の重度知的障害者を入所させている、宮城県で最大の知的障害者入所施設である船形コロニーが解体できるものなら、それ以外の27ヶ所の入所施設も解体できるはずだというのが、私の考え方であった。

  これが「脱施設宣言」であったらどうだったか。「脱施設率63パーセント、次は70パーセントを目指しましょう」といった、「多多ますます弁ず」という量的アプローチと受け止められたであろう。「解体宣言」は退路を断った姿勢を示す。明確な哲学の表明であり、行政及び関係団体、関係者としての目標を掲げることである。

  ネーミングのインパクトが大き過ぎて、反発もあった。誤解からくる反対論もあった。障害者を抱える家族からの懸念も示された。そういった動きは読み込み済みではあった。こういった反応があってはじめて、「真意はこうです」ということに耳を傾けてもらえる。一緒に歩みましょうという働きかけができる。そういうねらいも、なかったわけではない。

  このように、行政におけるネーミングは単なる呼び名ではない。ネーミングをどうするかは、行政の仕事の仕方にまで影響を及ぼす。マスコミや一般県民などに、ネーミングを見ただけで、施策の中身と何をやろうとしているかについて「なるほど」とわかってもらうようなものであれば、ベストである。ということで、わが県庁内でネーミング改革とも呼ぶべき改革をやろうと考えている。

  たとえば、「公共工事の入札契約改革」。数年前に、それなり以上の覚悟をもってこの改革を実行したのだが、この用語を見ただけでは何のための改革なのかは推し量れない。担当は出納局契約課である。人事異動で新たにこの課に配属になった職員も、異動した初日からこの改革の趣旨を理解できるものであったら、組織内ではいつまでも改革の志は受け継がれていく。

  そもそもが、公共工事の受注における談合を排除しようということが改革の趣旨であったのだから、ネーミングもそれをそのまま表わして、「談合排除改革」とすれば、極めてわかりやすい。それではあまりに直接的すぎてどうも・・・というのなら、もう少し考えてもいい。結論はともかく、要するに、ネーミングは仕事に取り組む姿勢をも変えるという認識が大事ということ。

  ネーミングを考えること自体が、「創造運動」にほかならない。単に一般受けだけをねらったものでないことは、何度も強調した。的確なネーミングをすることは、自分たちのやっている仕事を、ギリギリのところで見直すことである。その施策の本質、ねらい、目的をできるだけ短い言葉で表わしたらどうなるのか。そうやって編み出したネーミングに誇りと自負を感じるのは、当然のなりゆきだろう。ネーミングだけではない。そうやって呼ばれる施策にこそ、誇りを感じるはずである。「これは私のつけた施策名だ」ということは、なんと言ったって気分がいい。つまりは、いいことだらけということである。

  さてさて、もうしばらくすれば、新しいネーミングがたくさん出てくるはずである。宮城県の仕事にご興味のある読者の皆様。いずれご報告できる時期が来るであろう。どうか期待してお待ちいただきたい。


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