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月刊年金時代2004年7月号
新・言語学序説から 第25回

「 言い訳について」

 政治家の国民年金保険料未納が、世の中で大きな話題になった。福田康夫官房長官はさっさと辞任し、菅直人民主党代表も代表の座を降りざるを得なくなった。「たかが保険料未納ごときで」とまで言うつもりはないが、それほど悪辣なことをしたわけではない。年金制度改正法案が国会で議論の最中であり、年金制度に国民の関心が集まっていた時期ゆえの悲劇であり、喜劇であったのかもしれない。

  この例においては、その後の弁明、言い訳がどうであったのかによって、結果に大きな違いをもたらしていることに気がつく。福田官房長官は、「個人情報に関することだから、明らかにできない」と、制度論で答えたが、結果としては、自分の未納の事実を隠しとおそうとの意図ととられてしまった。菅代表のケースは、「未納三兄弟は許せない」と声を張り上げたことが仇になった。これは、弁明のまずさというよりも、「ちゃんと自分のこと調べてから人のことを言えよな」という教訓である。

 旧聞に属するが、某政治家が自らの選挙運動中に、選挙カーの中で隣に座った女子学生アルバイトの身体を触ったという「事件」があった。当初は、某政治家本人はこの事実を否認していたが、相手方女子学生の捨て身の陳述によって、司法的にも断罪されるという結果になり、政治家は辞職を余儀なくされた。

  政治家本人がまだ否定していた段階で、私はこれは黒だろうとの心証を持った。本人の弁明が「選挙カーの中には他人の目がある。そんな状況で、わいせつ行為などできるはずがない」というものだったからである。反対解釈すれば、「密室であれば、やったかもしれない」ということになる。「正しい」弁明はどうあるべきかというと、「私は、(どのような状況においても)わいせつ行為などやるような人間ではない」というものであろう。

  どこかで書いたような気がするが、官官接待の例。官官接待の文書の情報開示を求められた訴訟で宮城県知事が敗訴し、私が控訴断念をしたという事例がある。判決に基づいて、接待を受けた個人名を開示することになった。その文書には虚偽記載もある。架空の懇談会だったり、懇談会参加者の水増しだったり。中には名前を勝手に使われただけの「無実の」役人もいる。その役人は、言い訳をするというよりも、怒ることになる。「その文書に書いてあるA月B日は、私は別な予定が入っていた。そんな宴席に出席していたはずがない」と。

  「無実」という言い方をしたが、官官接待を受けることは、(当時は)それほど悪いことという意識はなかったはずなのだが、それはさておき。ある政治家本人から聞いた話である。「俺の隠し子がハワイにいるという噂を流している奴がいるが、とんでもない」。「そうですよね。先生に限ってそんなことあるはずがない」と受ける私にその政治家は、「俺の隠し子はハワイではなくて、ニューヨークにいるんだ。ハワイだなんてふざけるな」というものであった。

  官官接待の例に戻れば、「A月B日には接待を受けていない。俺が接待を受けたのはC月D日だ」ということになる。上の某政治家を笑えない。その言い訳が通るのは、某月某日に限らず、これまで一切官官接待なるものを受けたことがない役人だけであろう。言い訳、弁明のむずかしさは、ここにも現れている。

  もっと深刻な例。宮城県警察本部と私との間で、警察の捜査報償費などに関して、文書の開示や捜査員からの事情聴取を巡って、論争があった。そもそもが、情報公開に関しての論争であるのだが、私の信念は、情報公開に聖域を設けてはならない、聖域として情報非開示とされた領域は必ず腐敗するというものである。外交上の秘密・安全保障の配慮を理由に、情報開示がなされなかった「外交機密費」に関して大きな不正があり、関係者が処分、逮捕された事例は、記憶に新しい。これも、外交機密という聖域を設けたがために、内部で関わる人間の緊張感がなくなってしまった一例である。

  警察の文書について。捜査上の秘密、それを公開すれば捜査に支障が生じるというものがあることは、誰でもわかっている。「その情報を開示してくれ」との要求を断る際の警察側の言い訳の定番が、「捜査上の支障」である。「ここから奥は、関係者以外立入り禁止」で張られるロープを思い浮かべてしまう。立入り禁止のロープが必要なことはわかるが、随分と手前で張られていないか、「関係者以外」の関係者に知事たる私は含まれていないのかということで疑問を感じる場面が数多くあった。

  さらにもっと深刻な例。某県警察本部の不正経理について疑いがかけられた際の警察側の言い訳である。犯罪捜査報償費が裏金にされていた、出張旅費がカラ出張だったという疑いが持ち上がった時に、警察側は「そのような不正経理はない」と言明した。その際の言い訳として、厳密な内部監査を実施しており、その際になんらの不正経理もないことは確認済みであると答えている。実際には、その直後に、新たな事実が判明し、不正経理があったことを警察自身も認めざるを得ないことになった。

  不正経理があり、それを警察が否定していたことは大いに問題である。それだけでなく、あとを引く問題として、否定の際の言い訳の仕方があることに気づいている関係者は意外に少ない。「厳密な内部監査を実施しているからそんな不正はない」と言い訳した直後の不正発覚である。となると、そういったことを見抜けない内部監査とは、一体何なのかということになってしまう。下手な言い訳をしたが故に、警察の内部監査とはその程度のものということになり、全国の警察での内部監査への不信に波及しかねない事態を引き起こした。

  下手な言い訳では、「語るに落ちた」ということになる。言い訳が新たに巻き起こす問題点ということもある。軽い気持ちで書き出したのだが、筆のおもむくまま、気持ちのおもむくままに、意外に深刻な話題にまで発展してしまった。それについて言い訳する気はない。


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