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月刊年金時代2004年1月号
新・言語学序説から 第19回

「呼び名について」

 子どもの頃、我が家の二人の姉は両親を「おとうちゃん」、「おかあちゃん」と呼んでいた。自然と、私の呼び方も同様になる。そのうち、「おかあちゃん」が「おかあさん」に変わった。きっかけは、よく覚えていない。小学生も高学年にもなると、「おかあちゃん」では、恥ずかしいという思いはあった。「おかあちゃん」のほうが、母親とのべったり感は強い。「おかあさん」だと、母親から独立の感じになる。

 自分の子どもを持つようになったら、「パパ」、「ママ」とは絶対に呼ばせないぞとの信念は持っていた。私は、「パパ」などと呼ばれる人間ではないという自意識である。実際に、長女には、「おかあさま」、「おとうさま」と呼ばせていた。「おとうさま」と呼ばれているうちに、「おとうさん」よりは一段階上の立派な父親になっていけたらいいなという、私自身の思い込みがあった。そんな立派な父親になりきる前、幼稚園でからかわれたのか、娘は「おとうさん」と呼ぶように変わってしまったのは、残念だったと言うべきか、ほっとしたと言うべきか。

 ママ、おかあちゃん、おかあさま、かあちゃん、それぞれの呼び方によってどんな母親像が頭に浮かぶか。確かに、かあちゃんとおかあさまの間には、どちらがいい、悪いではないが、相当の距離があるような気がする。同じことを祖母で考えてみたら、「おばあちゃん」、「おばあさま」という呼び方はあるが、孫が「おばあさん」と呼ぶ例は、ごくごく少数であろう。「おばあさん」は、呼び方ではなくて、他人である高齢者の女性を指す言い方になる。日本語って、不思議。

 ついでに言えば、高齢者の女性を指して、全くの他人が「おばあちゃん」と呼びかけるのは、ちょっと気になる。呼びかけられたのが、意識の高い女性の場合は、「あんたのような孫を持った覚えはないよ」と返されてしまうので、ご用心。

 妻をなんと呼ぶか。「おい」とか「ほれ」としか呼びかけない夫もいるらしい。ママとかおかあさんとか、子どもの呼び方を流用している夫も多い。我が家では、「光子さん」とファースト・ネームで呼び、彼女は私を「史郎さん」と呼ぶ。 娘が三歳ぐらいの時、私と一緒に町にでかけた際の出来事。私の姿を見失って、迷子になる危機を一瞬感じた際に娘が叫んだのが「おとーさーん」ではなく、「史郎さーん」だったというのが、我が家の語り草である。「おとーさーん」と呼んだのでは、群集の中では特定できない。だって、周りが「おとうさん」だらけなのだから。それだけの知恵が娘に備わっていたというよりは、日ごろの我が家での呼び方が役に立ったのだろう。

  配偶者のことを、第三者に対して何と呼ぶか。私の場合、妻のことを「家内」と紹介することには、抵抗がある。そのまま、「配偶者」と言ったりするが、冗談ととられることが多い。「パートナー」は少しかっこ良過ぎる。「妻」ではあたりまえ。「うちの光子」と呼ぶのが一番すっきりするのではないか。同時に、妻のファースト・ネームを教えていることにもなる。

 固有名詞の呼び名の変遷にも興味がある。東京の山手線。昔は「やまのて線」と呼ばれていたのが、途中で「やまて線」になり、今は元に戻った。その山手線だが、これは昔は「省線電車」と呼ばれていた。鉄道省の運営する電車だったから、そうなる。その後、国鉄が運営するようになって、「国電」になった。さらに、国鉄が民営化するに至り、「国電」とは呼べなくなった。困ったJRが愛称を公募して、採用されたのが「E電」。なんとも、しっくりこない名前である。したがって、私はこの名前で呼んだことは一回もない。今でも使われているのだろうか。

 そもそものJR。日本国有鉄道が、分割民営化でJRになったのだが、国鉄に比べると重みがなくなった感じ。「分割民営化」をどうしても、「民活分営化」としか言えない奴がいたなとか、「みどりの窓口」を「まどりのみどぐち」と覚えていた奴もいたなどと、思い出した。「ショルバーダック」、「エベレーター」のたぐい。どうも、呼び名とは関係ない話になってしまった。

 JRの続きで言うと、「新幹線」というのが気にかかる。開通は昭和三十九年であるから、ほぼ四十年の歴史を刻んでいる。それでもまだ「新」幹線ですか。もっと長い歴史の「新劇」、「新国劇」というのがあったかと、納得することにする。

 JAというのも、まだ馴染めない。農協でいいじゃないかという思いがある。馴染めないということで言えば、都市銀行の名称。UFJというのは、一体なにもの。日本の銀行に思えないし、銀行のイメージというものが、これでは浮かんでこない。みずほ、りそな、それぞれの前身はなんという銀行だったのか、すぐには思い出せない。これは呼び名の問題というよりは、銀行の離合集散があまりにも急激であるということだろう。

 職業安定所―職安がハローワークというのは、結構定着したほうだろう。「ハローワーク」とは一体どこの国の言葉か、アメリカ、イギリスで通じるとは思えないのであるが、それはそれ。定着してしまえばこっちのものである。東京・新宿に「職安通り」という通りがあったが、あれは今頃は「ハローワーク通り」と呼ばれているのだろうか。誰か教えて欲しい。

 筆箱、下駄箱、ゾウリ袋、黒板などなど、二十一世紀の日本の学校で、まだ現役として広く使われている呼び名である。筆の代わりに鉛筆、下駄じゃなくてスニーカー、草履そのものがほとんどなくなっているし、黒でなく青い黒板が主流。かといって、急に呼び名を変えられるわけではない。むしろ、いつまでも残しておいて欲しい名前かもしれない。

 呼び名は文化である。簡単に変えて欲しくない。わけのわからないアルファベットの会社名、組織名にすると、会社や組織の個性がなくなってしまうような気がする。そして、夫婦間、恋人同士での呼び方。呼び方だけで、関係が変わることもある。おさおさ軽く考えることなかれ。自分自身にも言い聞かせている。


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