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月刊年金時代2003年8月号
新・言語学序説から 第14回

「国際会議について」

 先日、ベルリンで開催されたIWCに出席した。IWCとは、国際捕鯨委員会のことである。沿岸小型捕鯨を再開させたいという地元の声を、私は代弁しなければならない。同じ要望を持つ他の自治体とともに、「全国自治体鯨サミット」なるものを提唱して、二年連続で議長を務めた「功績」が認められたのか、水産庁から今年のIWCへの出席要請の話が私にもたらされた。

  このIWCは、本来は、秩序ある捕鯨を続けるために、捕鯨に関わる国同士で、基本的なルールを作って、持続的な鯨資源の利用を図っていこうという趣旨の下に設立されたものである。ところが、いつの間にか、環境保護を旗印にした反捕鯨国が入り込んできた。持続的な利用というよりは、捕鯨をやめさせようというのが、ねらいである。今やIWCは、そういった勢力に乗っ取られそうな状況になっている。

  こういう図式の中で、日本は商業捕鯨再開の論陣を張るのであるが、多勢に無勢の感がある。総会の冒頭で、反捕鯨国は結束して、「ベルリン・イニシアティブ」と呼ばれる決議を提出してきた。資源保護委員会を新たに設立しようという提案である。日本などは、そういった委員会を設立することは、IWCの基本的精神に反するとして絶対反対の立場だったのだが、決議は二十五対二十で可決されてしまった。

  言語学を語るこの稿であるので、まずは、言語ということでいくと、IWCでの使用言語は、英語である。議長はスウェーデンの人なのだが、彼は全く正統的な英語を駆使して会議を仕切る。その他の非英語圏の国の代表も、ほとんどなまりのない英語を流暢に使いこなして発言する。中国、韓国の代表だって、流暢とは言えないまでも、ちゃんと英語で発言していた。ひとり日本代表だけが、通訳を介しての発言であった。

  決して、いい悪いの問題ではない。損得からいっても、損ではないかというのが、私の率直な見方ではある。

  改めて、日本の英語教育について考えさせられる。韓国や中国ができることを、どうして日本ではできないのだろう。少なくとも、英語の成績が上位一割ぐらいで卒業した学生は、いずれ、何かの国際会議では、原稿を見ながらでもいいから、それなりの発言が英語でできるところまで到達していなければならないのではないか。どうも、その辺のところの学校教育が根本的にまちがっている。高校の英語の先生だって、こういう国際会議の場に出てきて、ちゃんとした英語で発言ができるのだろうか。そうでないとすれば、そういった先生に教えられる学生が、その水準まで達するはずはないだろう。

  国際会議の場では、英語の能力だけでなく、堂々と自分の意見を開陳する度胸が求められる。もちろん、度胸があればいいという問題ではない。自分の発言に自信と責任を持っていることが前提である。

  そもそも、日本語でのディベートの訓練が、学校生活を通じて十分になされているかどうかも問題である。「和をもって貴しとなす」というのが、論争文化を遠ざけているとすれば、文化そのものを変えていかなければならない。自らの主張を、明確に、論理的に、説得力をもって展開できる人材でなければ、国際舞台では侮られるだけである。だから、こういった訓練をすることは、日本の国益にも関わることと言わざるを得ない。

  これは、私自身の反省を込めてのことである。二十代なかばに、私は人事院の留学制度で、アメリカのイリノイ大学修士課程に二年間学んだ。授業はゼミ形式なので、学生の発言の機会は結構多い。ところが、私は、終始だんまりの学生であった。クラスメートが話す内容は、それほど立派なことでもないのだが、いかんせん、私からの反論はできない。論争になったら、私の拙い英語では勝ち目がないような気がしたからである。つまりは、気後れ。教師からは、「君の書く論文は、ここの学生のレベル以上のものなのに、教室ではどうしておとなしいんだい」と言われた。論争に慣れていない、根性がない、英語力に自信がないから、仕方がないのである。

  この反省が残っているせいもある。長じての私は、以前の私とは違う。英語力は、むしろ留学生時代よりも格段に落ちているだろうが、度胸と論争術のほうは、しっかり向上している。今回のIWC総会においては、初日に、壇上から演説を堂々と(少なくとも、自分の感じでは)することができた。コーヒーブレークでは、各国の代表やNGOメンバーと、丁丁発止の(少なくとも、自分の感じでは)議論も展開できた。つまりは、英語の問題ではない。国益のため頑張らねばならないという使命感だって、度胸の後押しをしてくれている。

  有志の知事や、榊原英資慶應大学教授たちと、「地方分権研究会」を立ち上げているが、その中の具体的な事業として、高校生を対象とした「国際社会で活躍するリーダー養成塾」を開設する。その目的は、まさに、ディベート能力を若い時期から磨こうというものである。世界に通用するリーダーを作るためには、高校生ぐらいの若い時期から鍛えなければならないという思いがある。

  ディベートのほかに重要であると考えているのは、日本の歴史や古典である。英会話能力なんかは、留学でもすればある程度は身につく。大事なことは、日本の伝統や歴史をしっかりと身につけることだろう。外国との違いを意識することは、誇りにつながる。自分自身と母国に対して誇りが持てなくては、外国のリーダーと渡り合うことはむずかしい。そういった思いが私にもあるものだから、このリーダー養成塾構想には、期待するところ大である。

  今回は、まじめな論考に終始した。そうそう、国際会議には、適度のユーモアも必要なのだが、今回のIWCでは、その要素は皆無に近かった。和気藹々には程遠い会議であったから、それもやむを得なかったのだろう。それも含め、ちょっと寂しい。


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