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月刊年金時代2015年1月号
新・言語学序説から 第132

「番について」

 これまで、様々なテーマで書いてきたが、今回は「番について」の番である。そうか、「番」はこういうときにも使う。これは「順序、順番」という意味である。第一番、二番目、三番手といったように。

 順番だと「一位、二位」というのもあるが、本来は順番というぐらいだから、一番、二番がしっくりくる。「俺はクラスで一番だ」というのは、試験の成績、喧嘩の強さ、給食を食べる速さなどを誇るときに使う。これを「私は学級で一位です」というのでは、しっくりこない。

 2009年の事業仕分けの際に有名になった蓮舫議員の「二位じゃだめなんでしょうか」の発言は、「スパコンの技術は世界一でなくてもいいんじゃないか」と受け取られて、多方面からの批判にさらされた。その批判が当たっているかどうかはともかくとして、言語学もどきを志す私としては、「二位」というのに違和感がある。ここはやっぱり、「二番」でしょう。

 「一丁目一番地」、「五番街のマリー」、「三番線に電車が入ります」、「四番打者」、「背番号」で使われる「番」も、順番を示している。番地といえば、網走番外地には番地がない。正式の住所は、網走市字三眺官有無番地である。刑務所の住所のすべてに番地がないわけではない。同じ北海道の帯広刑務所の住所は、帯広市別府町南13-33である。

 番外地、無番地は、網走刑務所だけではない。全国には、国有地にある建物などに無番地が多い。千葉県四街道市役所の住所は、四街道市鹿渡無番地であり、東京都青ヶ島村は村内全域が無番地である。それでも、番外地といえば網走番外地、網走番外地といえば、昨年10月に亡くなった高倉健さんである。

 「網走番外地」を観終えて映画館の外に出るときには、健さんを真似て肩を怒らし、5割方喧嘩が強くなった気になっている男性がほとんどである。そんなエピソードができるほど、高倉健の網走番外地は当たり役であり、「番外地」の名前を広く世間に知らしめた。

 高倉健さんからの連想ではないが、「番長」というのがある。古代の日本で番というのは、交代制勤務の各勤務のことで勤番という。現代用語の当番、週番の番がこれである。現代用語の「番長」は、交代勤務の長のことではない。不良少年のリーダー格が番長である。少女の番長は「スケ番」。こちらのほうが、男の番長より強そうである。

 私の通っていた中学校にも番長はいた。長谷川君だが、喧嘩は強くない。2学年上の兄さんは面構えがいいし、喧嘩もめっぽう強い本物の番長だった。「世襲」で番長になった長谷川クンは、声だけはでかいが、あまり貫禄はなかった。修学旅行の夜、各部屋を回って「フレーフレー、ドーンチュウ!」と掛け声を掛けていたのを思い出す。直前の英語の時間に、「そうだよね」のDon't you?が、長谷川クンには「ドーンチュウ」と聞こえたのが、いたく気に入った。彼の中だけの流行語である。それを修学旅行に持ち込んだ。憎めない番長である。長谷川クン、今頃、どうしているだろう。

 留守番、御庭番、不寝番、金庫番、番兵の番もある。これらは、見張りにあたるものということだろう。銭湯の番台はどうだろうか。これも、ある種の見張りをする者が座る台だから、同種の番である。

 番台で思い出すのは、落語の枕に使われる与太郎と番台の話である。与太郎がおじさん所用のために、臨時の番台を頼まれる。「十銭でどうだ」と言われた与太郎は、「そんなに安くていいのかい」と答えるというもの。おじさんは、「十銭しか払えねえんで、済まねえな」というつもりだが、与太郎は「たった十銭で女湯が覗ける」と喜んだ。

 大学の授業で、「権利ベースと義務ベース」というのを説明するときに使う小話である。番台での仕事をおじさんは義務ベースで考えているから与太郎に報酬を払う。一方、与太郎は「女湯が覗ける」権利ベースで受け止めているから料金を払う、その違いを笑いとともに強調するのであるが、学生は笑わない。与太郎がちょっと頭の弱い男であることを知らないだけでなく、番台が何かわからない。これでは笑いを取るどころか、なんの話かわかってもらえない。

 番の話を続ける。「結びの一番」といえば、大相撲の最後の取り組みのこと。「大一番」は相撲に限らず、プロ野球でも、サッカーでもスポーツの世界での一対一の大事な試合のことをいう。番狂わせ、番付、番組も同じ種類の番だろう。「組み合わせ」という意味で使われている。

 番の意味にもいろいろあるもので、番傘、番茶の番は、粗末なということ。番傘は「広辞苑」で調べると、「竹骨に紙を張り油をひいた粗末な雨傘」とある。番茶は「摘み残りの硬葉で製した品質の劣る煎茶」である。例題は「番茶も出花」。その説明には「番茶も淹れたてはおいしい意から、器量のよくない娘でも娘ざかりは美しいというたとえ」とある。「鬼も十八番茶も出花」は、さらにその応用である。しかし、十八歳の鬼というイメージがわかない。十八歳の鬼は美しいというのは、想像できない。

 最後に交番について。この番は、お庭番、番所、番兵の仲間だろう。その前の「交」はどういう意味かはわからない。交通でもないし、交差点でもない。交遊かな、交錯かな。そうだ、交代で番をする。そうだ、その交だ。

 それはともかく、日本の交番は、街中の治安維持の最前線として、大きな役割を果たしている。明治初年から始まって、今では全国に6500ヶ所。英語表示がPolice Boxだったのが、最近はそのままKOBANである。これは日本独特のものだから、正しく英訳するのは困難である。外国人観光客は、珍しがって写真に撮っている。

 交番はシンガポール、タイ、マレーシアに進出している。最近では、ブラジルなど中南米でも治安維持のために交番に興味を示している。

 順番に番について書いてきた。原稿穴埋めの十八番、「タイトルに番のつく歌謡曲」は今回は使わない。こういう終わり方がこの連載の定番である。    


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