![]() 月刊年金時代2014年12月号 「天気について」 毎朝の散歩とラジオ体操を日課とするものとして、前日に天気予報のチェックは欠かせない。雨なら中止、気温が低いか風が強い場合も中止、そういうつもりで寝に就く。だから、天気には気を遣う。天気予報を気にするのは、私だけではない。 「暑さ寒さも彼岸まで」。これは大体あたる。6月には衣替え、南西諸島を除いて、全国一斉に夏服になる。10月には冬服に衣替えである。季節の変化がはっきりしている日本列島ならではの習慣である。 「夕焼けは晴れ」、「朝焼けは雨」というのは天気のことわざだが、朝焼けのほうは当たらないことが多い。ほとんどの日本人は、この天気のことわざを信じているかは別として、よく知っている。 調べてみると、天気のことわざはたくさんある。「月にかさがかかると雨」、「つばめが低く飛ぶと雨」はほんとうだが、「猫が顔を洗うと雨」は嘘っぽい。そもそも、猫が顔を洗うところは見たことがない。 子どもの頃、下駄で天気占いをしたことがないだろうか。履いている下駄をポーンと蹴飛ばして、表になって落ちれば晴れ、裏返しになれば雨。横に立ったら嵐、縦に立ったら大暴風雨。今は、こんな天気占いする子はいない。そもそも、下駄なんて持ってない。見たこともないかもしれない。ちなみに、この占いは、ほとんど当たらない。 占いではなく、おまじないは、てるてる坊主を軒先にぶら下げること。「てるてる坊主てる坊主あした天気にしておくれ」の童謡は古い人なら誰でも知っている。1番では金の鈴、2番では甘酒がごほうびだが、3番は「天気にならなかったら、首をちょんぎるぞ」である。童謡にしては残酷である。 ところで、「あした天気にしておくれ」の「天気」は「晴れ」のことである。「天気予報」の「天気」とは意味が違う。「ごはん」はお米のご飯のことであるが、「食事全般」の意味もあるのと一緒である。「お酒」が「日本酒」と「アルコール一般」の両様の意味があるのと同じ。だからどうしたと言われそうだが、言語学序説らしい脱線と許して欲しい。 てるてる坊主と反対の効果を狙うのが、雨乞い。こちらは、てるてる坊主へのお願いより、もっとずっと深刻である。農作物に被害が出るのは、運動会が雨で中止になるのとは比べものにならないほど困ったことである。てるてる坊主を逆さまに吊るすのが、簡単な雨乞いのやり方であるが、どちらも効果はあまり期待できない。 皆さんの近くにも、晴れオトコ、晴れオンナと自称する人がいるはず。逆に、雨オトコ、雨オンナも。その人が参加する行事は、必ず晴れる、又は必ず雨になる。そんなこと、ありえないことではあるが、話のたねとしては面白い。「私、典型的なB型の性格なの」ということから、話がはずむことが多いが、科学的根拠はまったくない。 「日本晴れ」とは、どういう天気のことだろう。雲ひとつない青空のことか。雲がひとつでも出ていたら、アメリカ晴れというのか。真冬や真夏の空は日本晴れとは縁がない。春、秋のカラッとした爽やかな天気、そういうときにしか日本晴れとはならない。「心は日本晴れ」ともいうから、爽やかなのは天気のことだけではないらしい。 世界的に異常気象が頻発する(この言い方は論理矛盾です)ようになって、お天気用語にも、新しいものが出現している。例えば、「ゲリラ豪雨」というのは、10年前には用語としてなかった。非常に狭い地域に突然豪雨が襲う。「ゲリラ」そっくり。うまい言い方だなと感心するが、豪雨自体は感心できない。時に、ひどい被害をもたらす。 ということで、今回は天気について、言語学的に解析することを試みるのだが、なかなか題材がみつからない。そういうときには歌の詞を探ってみるのが、私のやり方。今回もそれでいってみよう。 よく指摘されることであるが、歌謡曲には雨が多い。ポップスなど洋モノと比べるとよくわかる。洋モノでは、「雨に唄えば」(ジーン・ケリー)、「悲しき雨音」(カスケーズ)、「雨に濡れても」(B.Jトーマス)、「雨」(ジリオラ・チンクエッティ)ぐらいしか、すぐには浮かばない。 一方、歌謡曲となると、何百曲もあるので書ききれない。有名なところで、「長崎は今日も雨だった」(内山田洋とクールファイブ)、「アカシヤの雨がやむとき」(西田佐知子)、「雨のブルース」(淡谷のり子)、「雨の中の二人」(橋幸夫)、「雨の物語」(イルカ)、「みずいろの雨」(八神純子)、「雨の御堂筋」(欧陽菲菲)。「有名なところ」というのは、「私にとって」ということです。 歌謡曲に「雨」が使われるのは、梅雨がある日本だからだろう。じめじめした雨だからこそ、失恋の歌になる。台風の雨では、情緒がない。そういえば、「どしゃぶりの雨の中で」(和田アキ子)というのがあったが、こういう失恋の歌は珍しい。 天気予報では「降水確率0%」というのは少ない。いつも雨が降る日本だから、雨が歌謡曲に使われるのは、不思議ではない。不思議なのは、歌謡曲ではしょっちゅう霧が出ることである。そして、多くは夜霧である。私は人生で、夜霧に遭遇したことはほとんどないのに。 「夜霧よ今夜も有難う」、「夜霧の慕情」(以上石原裕次郎)。裕ちゃんには「嵐を呼ぶ男」というのもある。「夜霧の第二国道」、「夜霧に消えたチャコ」(以上フランク永井)フランク永井の大ヒット「有楽町で逢いましょう」の歌い出しは「あなたを待てば雨が降る」である。 「夜霧のブルース」(ディック・ミネ、石原裕次郎)。「夜霧のハウスマヌカン」(やや)はややレアもの。「哀愁の街に霧が降る」(山田真二)かなり古いね。「霧の摩周湖」(布施明)は珍しく昼間の霧である。最後に「ともしび」(ロシア民謡)。「夜霧の彼方へ別れを告げ」と歌声喫茶でみんな声を合わせて歌った時代があった。 「男ごころと秋の空」とは言うが、今回も心変わりすることなく、原稿を仕上げたつもりである。内容は、まったくいい加減で、能天気な奴と言われそうである。
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