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月刊年金時代2014年10月号
新・言語学序説から 第129

「東京について」

 前回、ふるさとについて書いた。となると、今回は、当然のことだが、東京について書くことになる。

 前回にならって、まず、東京の歌を挙げてみよう。と思ったが、「東京」で始まるタイトルの歌だけで、440曲(他の歌手のカバーも1曲分)もある。仕方がない。ほんの一部だけ紹介するに留める。

 「トーキョーへはもう何度も行きましたね。君の住む美し都」(マイペースなど「東京」)、「おっ母さん、ここがここが二重橋」(島倉知代子「東京だよおっ母さん」)、「アーメの外苑ヨー霧の日比谷」(新川二郎「東京の灯よいつまでも」)。東京音頭(小唄勝太郎など)、東京ラプソディ(藤山一郎)、東京ららばい(中原理恵)、東京ブルース(西田佐知子)。そして「さよなら東京」(坂本九)、「ラブユー東京」(ロス・プリモス)など、タイトル後半に「東京」がつく歌も限りなくある。

 このように、東京関係の歌は、驚くほどの数である。いわゆるご当地ソングで、札幌、新潟、大阪、京都、神戸、長崎の歌はあるが、それを全部合わせたものの何倍もの東京の歌である。歌の世界でも、東京一曲集中、いや一極集中である。

 企業、マスコミ、大学の東京一極集中は、経済、社会・文化面のことである。歌の一極集中となると、どうもこれはあこがれの一極集中ではないかと思える。うれしいにつけ、悲しいにつけ、日本人の多くにとって、東京はあこがれの的である。

 仙台の高校に通う私にとって、東京はあこがれの地であった。受験生として、東京大学を目指していたが、仮に東大が四国にあったら、そこを目指さなかったかもしれない。東京へのあこがれとは、そんなものだった。

 東京へのあこがれの要因のひとつは、そこで語られる標準語ないしは東京ことばの魅力である。東京の学校から仙台に転校してくる生徒の話す言葉にあこがれた。東京言葉を話す子は、みんなお勉強がよくできる。だから、なおのこと東京言葉にあこがれてしまう。その頃は、東京から仙台支店長として転勤してくるエリートの子弟ゆえに勉強ができるということに、気がつかない私であった。

 東京人が地方出身者を見下ろす優越感にいらだちを覚えたのも、東京での生活を始めて早い時期である。「夏休みはいなかに帰るのか」と訊く東京出身の学友に、「仙台はいなかじゃないぞ」と答えたくなった。仙台人が「いなか」といったら、辺鄙なところのことである。しばらくして、彼らがいう「いなか」が、そうではなく、ふるさと、出身地のことをいうのだとわかった。それにしても東京人のこの言語使用法は、まだ気になって仕方がない。

 似たようなことで、東京人の「地方」の用語法がある。「地方出身者」とは、出身が東京以外の人のことをいう。彼らが「地方大学」というのは東京以外にある大学のことである。これもなんとなく、東京人の優越感による言語使用法に思える。

 これに対抗するわけではないが、大学で地方自治論を講ずる私が学生に強調することがある。「東京都も地方自治体である。地方分権推進運動においては、東京都は自治体の先頭に立って国に攻め上るべきものである」。もう一つ話題を提供するが、伊奈かっぺいの漫談で「青森の市場で『地方発送承ります』とあったぞ。そうだ、東京に送るのも地方発送なんだな」と喜ぶところで笑いを取る。どちらの例でも、東京が地方であることを忘れてはならないということ。

 東京人の優越感については、まだいくつかある。東京本社から仙台支店に転勤になること、東京の高校生が東北大学に入学することを「都落ち」というのは、仙台出身者の耳には感じが悪い。「鄙には稀な美人」という言い方はやめて欲しい。根拠なき優越感の表現である。東京に住んですぐにわかったことは、仙台のほうが美人の割合が多いことであった。

 東京にあこがれるあまり、自分たちの土地への誇りを捨ててはならない。その点で気になるのは、全国各地にある「◯◯銀座」という盛り場のことである。東京の銀座に負けてないぞというのではなく、銀座の繁華さにあやかりたいというのがミエミエである。仙台にも「仙台銀座」があるのが、ちょっと恥ずかしい。

 だんだん非東京人のひがみ特集のようになってきたが、構わず続けよう。

 NHKの全国ニュースで、「どこそこで事件がありました」と報道するときに、「池袋で、新宿で、渋谷で」という具合にアナウンサーは伝える。民放の東京キー局のアナウンサーも同じである。「東京の池袋で」ではなく、単に「池袋」である。全国には、池袋が東京にあることを知らない人はゴマンといるのに、なんということだろう。最近は、改善されてはいるようだが、ニュース以外の場面ではまだまだ「東京の」なしでの報道である。こんなささいなことに目くじら立てるなと言うなかれ。現在は横浜在住ではあるが、今でもいらだちを覚えることである。

 言語学からは離れてしまうが、ついでに鬱憤ばらし。日本での2回目のオリンピックが、またも東京開催であることに、日本人の一定部分は、疑問をはさむべきである。東京オリンピックに向けての工事により、東日本大震災の復興工事のための人手が不足しており、工事の進捗が大幅に遅れているのを見れば、なおさらである。

 20世紀の末ごろ、首都機能移転の議論が盛り上がっていた。移転候補地として栃木県北部の那須高原地域とまで決まっていた。いつの間にか、議論は下火になり、なし崩しに「東京のままでいい」となったのは、どうしたことだろう。経済アナリストの森永卓郎氏は、原発事故が起きて以後に、福島県への首都移転を主張している。一考に値する案だが、東京人は一顧だにしない。東京が首都でなくなったら衰退すると本気で怯えているのだろうか。

 ここまで、書いてきたのは、2007年春、東京都知事選挙に立候補して石原慎太郎氏に敗れた前宮城県知事の浅野史郎でした。


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