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月刊年金時代2014年8月号
新・言語学序説から 第127

「ヤジについて」

 東京都議会の本会議で塩村文夏議員(みんなの党・1期目)が質問中に、「早く結婚したほうがいいんじゃないか」などのヤジが飛ばされた。塩村議員が、その夜、この出来事をツイッターに投稿したところ、9万件を超える反響(リツイート)があり、波紋が広がった。マスコミは大きく取り上げ、ヤジを発した「犯人」探しが一般の興味を煽った。海外メディアもこの事件を大きく報道したが、「日本社会の女性蔑視、女性の地位の低さ」という文脈で批判的な論調が目立った。

 「ヤジと喧嘩は江戸の華」ではないが、東京都議会のヤジの多さ、ひどさは今に始まったことではない。ヤジを飛ばすことに、議員は慣れている。特に、「弱い議員」へのヤジは容赦がない。男性議員よりは女性議員、ベテラン議員よりは新人議員、多数会派の議員よりは少数会派の議員、恐そうな議員よりはおとなしそうな議員、塩村議員はこの条件にすべて当てはまる。議場内でのヤジは発言者が特定しにくい。「満員電車内での放屁のごとし」と譬える人(私のこと)もいる。そんな条件が揃っている中でのヤジは、卑怯であり、嫌悪感を覚える。

 ヤジから数日経ってから、鈴木章浩議員が「ヤジを飛ばしたのは私です」と名乗り出た。塩村議員に謝罪し、釈明記者会見に臨んだ。釈明会見で、「軽い気持ちで言った」と鈴木議員が語ったように、彼にはあのヤジがセクハラだとは考えもしなかったのだろう。まさに、そのことが問題なのである。

 セクハラとは、主に女性に対してなされるものであるが、言葉にしろ、行為にしろ、その女性は不愉快なものとして受け止める。不愉快を超えて、脅威と感じることもある。同じことを言ったり、やったりしても、その女性と親しい関係(恋人関係など)にある男性の場合ならセクハラにならない。

 セクハラはセクシュアル・ハラスメントの略語である。直訳すれば、性的いやがらせ。これが社会的に批判されるべきことであり、場合によっては犯罪行為になるということが広く認識されるようになったのは、最近のことである。鈴木議員は、その時代の波に数十年ほど乗り遅れた御仁ということだろう。

 時代の波に乗り遅れているのは、鈴木議員だけではない。今度の「事件」は、そういう乗り遅れ組の人たちに対して、「えーっ、こういうヤジがセクハラになるんだ」と知らしめたということでは、一定の意義はある。鈴木議員たちが発したセクハラヤジは恥ずべきことであり、社会的にも糾弾されるべきことではあるが、世の多くの男性諸君への学習効果はあったようだ。もちろん「よくやった」と褒めるつもりは全くない。

 セクハラヤジだけでなく、ヤジとは何かについて、私なりに考えてみる。

 音声言語で発せられるもので、ブーイングと違い、意味のある言語である。対象に向けて発せられるもので、その対象に聴こえるだけの音量がある。小さな声で、ぶつぶつつぶやくものは、ヤジとは言わない。狙われた対象だけではなく、周りの人たちにも聴き取れるだけの音量でヤジは飛ぶ。程度の違いはあれ、対象への非難、侮蔑、攻撃を狙ったものである。野球の試合で、選手に向けて発される応援は、ヤジとは言わない。

 それで思い出した。仙台で過ごした少年時代、近所の評定河原球場に高校野球の試合をよく見に行った。試合も面白いが、それと同じぐらいに面白いのが、球場を湧かせる名物おじさんのヤジである。敵のチームの強打者が大きなファルフライを上げると、おじさんは、すかさず、「三振前の大(だい)ファール!!」とヤジを飛ばす。「すかさず」というのがポイントで、ヤジはタイミングが命であることを子ども心に納得したものである。

 それで、さらに思い出した。これは社会人になってからのこと。後楽園球場に巨人対阪神戦を見に行った。阪神の黒人選手Cがバッターボックスに入ると、巨人側の観客席から、ヤジが飛んだ。「Cは練習熱心だから、こんなに日焼けしてるんだぞ!!」。日本語がわからないC選手には理解不能なヤジだから、これは観客に聞かせるヤジである。この場に居合わせた私は、他の観客と一緒に笑ったのを思い出す。日本人全体が、人種差別問題への意識が低い頃の出来事である。

 近年、ヘイトスピーチが社会問題になっている。そもそも「ヘイトスピーチ」という言葉自体が、最近使われ出した表現である。直訳すれば、「憎悪演説」である。「在日特権を許さない市民の会」(在特会)が在日朝鮮人・韓国人排斥の差別発言を街頭で叫ぶのがヘイトスピーチの代表的な例である。ここで叫ばれるのは、ヤジというより、デモ隊が挙げるシュピレヒコールである。

 ヘイトスピーチは、集団で声を合わせて叫ぶところが、ヤジとは違う。特定の人を対象にするのではなく、メッセージを不特定多数に伝えるところがヤジとは違う。ふつうのヤジより威嚇的であり、団体の圧力を誇示するところが、一匹狼、単独行動のヤジと違う。ヤジには、一種愛嬌が伴うが、愛嬌のひとかけらもない。

 ヤジと似ているが、まるで違う声掛けがある。歌舞伎の観客が、大向こうからかける「音羽屋!」、「ニッポンイチ!」のかけ声のこと。声の張り、タイミングなど、よほどの歌舞伎通でなければできない、一種の芸である。素人がにわかにやる度胸もないが、素人にはとても無理な芸術品である。一人でやる掛け声であることと、タイミングが大事ということだけがヤジとの共通点である。

 セクハラヤジにはスマートな反論も有効。塩村議員が「そのようなご意見は、のちほど同僚議員と一緒にじっくり聞かせていただきます」と言ったら、ヤジはかっこよくおさまったことだろうが、新人議員には無理かもしれない。

 「こんなコラムつまらんよ!」と心の中でヤジを飛ばす読者の方、そんなバーチャルヤジは、私の耳には届きません。    


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