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月刊年金時代2014年6月号
新・言語学序説から 第125

「反論について」

  子どもの頃、親から手伝いをしろと言われて、「はい、わかりました」と素直に答え、言われたとおりに手伝いをする。こういう私みたいな素直な子だけではない。「今、忙しいんだよ」子もいる。親からは「つべこべ言うな。さっさと手伝え!」と返ってくる。このつべこべのことを口答えという。親や学校の先生に口答えをしないのが、良い子、良い生徒である。

 大人になってからの口答えのことを反論という。こっちのほうがかっこいいが、つべこべ言うということでは同じこと。他人からの批判、非難に対して黙っていられない。「そうではない。あなたが間違っている」と攻撃的になることもある。

 攻撃的な反論でもない、口答えというほどではないが、素直に「はい」というだけではない対応がある。これを言い訳という。「君は門限を破るべきではなかったのではないかい」と寮の舎監に注意された学生が「はい」と答えたあとすぐに、「でも、道路が渋滞していて・・・・」と言い訳を口にする。そういう言い訳をするなという意味の英語の慣用句があることを、アメリカ留学中に英語教師から教えてもらった。Don't yeah-but me。英語で「はい、だけど」のyeah-butが「言い訳をする」という他動詞として使われる。面白い表現だったので、40年を経た今でも覚えている。

 言い訳というのは、反論の穏やかヴァージョンである。朝帰りをした夫が妻に言い訳をする。「麻雀で悪友に引き止められて途中で帰れなかった」、「上役に朝までかかる仕事を押しつけられてな」。あくまでも、しおらしい態度で終始することが肝要である。言い訳上手になるには、相当の場数を踏まないといけない。初心者は、下手な言い訳で墓穴を掘ることがあるので、ご注意を。「言い訳空がまっかっか」、わかるかな、わかんねえだろうな。

 威丈高でもない、しおらしいのでもない。奇想天外な言い訳で、世間をあっと言わせたのが、今は亡き勝新太郎である。ハワイのホノルル空港で、税関当局に大麻所持で逮捕された時の記者会見での言い訳。「なんだか俺の知らないうちにパンツの中に大麻が入っていたんだよな。これから、もうパンツなんか履かない」。これが有名な「勝新パンツ事件」である。こんなとんでもない言い訳が、なんとなく通ってしまうのは、勝新の人柄のせいであろうか。とぼけの極致といっていい。

 言い訳を越えて、反論、反駁となると、攻撃的なものが多い。そして、反論には技術が求められ、これがうまい人と下手な人がいる反論がうまい人の一人が、橋下徹大阪市長である。記者会見において、普通の知事や市長であれば、軽く受け流すような記者の質問に対して、橋下市長は本気で向かっていく。質問が攻撃的であれば、それ以上に攻撃的に反論する。そして、その反論が憎らしいほどにうまい。具体的な例はあげないが、理路整然としていて、質問者の痛い所を徹底的に突いてくる反論が得意である。さすが現職の弁護士、弁舌には自信があるということか。聴いていると、「巧言令色鮮し仁」という言葉が浮かんでくることがある。令色のほうはともかく、巧言は度が過ぎると、信頼感に傷がつく。お気をつけて。

 逆に、穏やかではあるが、真摯な反論が身を守ることがある。現在は厚生労働省事務次官の要職にある村木厚子さんが、公文書偽造の疑いで逮捕され、大阪地検特捜部の取り調べを受けた時のことである。やってもいない容疑で検事の取り調べを受け、言ってもいないことが供述調書に書かれている。村木さんは、そのでたらめ供述調書のまちがい記述に一つ一つ反論し、修正を迫った。村木さんから直接聞いた話である。検事が「執行猶予がつけば大した罪ではないから、罪を認めたらどうだ」と言うのに対して、「公務員として30年間築いてきた信頼を失ってしまう、そういう問題なんです。とうてい受け入れられない」と泣いて反論したとのこと。こういった毅然とした反論がなされたこともあり、村木さんは裁判で無罪を勝ち取った。

 この反対の例が、知的障害者が罪に問われた場合である。彼らがやってもいない罪を負うて、警察の取り調べを受ける場面を想像してみて欲しい。「お前がやったんだろう」と警察官に迫られると、的確な反論ができずに、「はい、やりました」と受け入れてしまう。反論は高度の知的作業である。それが最も不得意なのが、知的障害がある人たちである。

 取り調べは密室で行われる。いかにも不自然な取り調べにより、供述調書が作成され、それが裁判での証拠として提出される。冤罪の可能性が限りなく高くなる。

 村木厚子さんは、法制審議会の「新時代の刑事司法制度特別部会」の委員として、他の4人の委員とともに、「すべての事件で取り調べの可視化を実現すべきである」という意見書を提出した。このことは、自分の経験と知的障害者の取り調べの実態を知るからこその行動である。

 国と国との交渉の場では、相手国の主張に対する反論こそが、国益を守るために絶対必要である。いきり立っての反論は、足下を見透かされる。笑いながら反論するのが、手慣れた外交官の得意科目である。外交交渉では、相手方のごり押しには、忍耐強く反論し、最低限物別れにまで持ち込まなければならない。

 一対一の交渉であれば、反論は必要であり、有効である。しかし、多数相手の議論では、少数派の反論は数の力で押さえつけられる。私も出たことがある国際捕鯨委員会での議論では、捕鯨禁止の国の参加が多いため、日本がいくら反論しようとも、捕鯨禁止の圧力を撥ね返すのはむずかしい。反論の限界である。

 最近の事件では、理化学研究所の小保方晴子さんの断固たる反論は、弱々しいようで毅然としている。女性の強さか。このことについて、もっと書きたいのだが、紙数が尽きた。

 言い訳や反論、口答えなんてことだけ書いてきた今月の原稿。「全然面白くねえよ」と言われても、反論できません。ごめんなさい。    


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