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月刊年金時代2003年6月号
新・言語学序説から 第12回

「電話について」

 平成のこの世の中で、なかったら困るというものは、いくつかある。車、テレビ、パソコン。なかったら、確かに不便である。そういったものの一つに、電話がある。電話がなかったら、我々の生活は相当困る。特に、携帯電話を駆使して生活をしている若い人たちの中には、電話なしには一日も過ごせないという人が多いだろう。商売だって、電話、それに付属するファクシミリなしには、成り立たない。

 「忠臣蔵」の最初の場面は、江戸から播州赤穂に向って走る早馬である。主君浅野内匠頭が江戸城で刃傷に及んだという情報を、国許の赤穂に早馬で知らせるのだが、あの当時、一体どのぐらいの日時がかかったのだろうか。マラトンの丘での戦いにアテネが勝った。それを知らせるために42キロ余を走り抜いた戦士が、「わが軍勝てり」と言ったまま息を引き取った。マラソンの起源であるというこのエピソードも、当時、電話が存在していたなら生まれなかったものである。

 子どもの頃、どこの家にも、車やテレビはなかったが、電話は結構あった。そもそも、明治の初めに日本に電話が導入された時の普及のスピードは、驚くべきものだったらしい。日本人のコミュニケーション好きを示す事例らしいのだが、日本人に限ったものなのかどうか。いずれにしても、電話のない現代生活は、考えられないということなのである。

 電話がなかったら、デートの約束は、相当にむずかしいだろう。いつ、どこで会いたい、そういったことを、手紙でやりとりしていたのでは、まとまる話もまとまらない。電話は、瞬時双方向性のコミュニケーション手段である。だからこそ、デートの約束ができる。

 顔が見えない特性から、気に入らない相手には、面と向ってに比べたら、よほどきまずくなくお断りができる。若かりし頃、さる女性にお会いする段取りを電話でつけようとして話していたら、「その日は都合が悪いです」、「その日も都合が悪いです」、「これからずーっと都合が悪いです」と言われた。そこまでやって、やっと自分が断られていることに気が付いた。これだって、面と向ってやられたら、こちらも立つ瀬がない。電話だったから救われた例である。

  「浅野さんの電話の声は素敵」と言われることが多い。ほめられているのだろうが、「電話の声は」と、「電話の声も」とではだいぶ違う。これだって電話という手段があるからこそのほめ言葉である。姿かたちにあまり自信はないが、声のほうはそこそこという人は、男性でも、女性でも、恋のアタックには電話を駆使したらどうだろうか。テレビ電話が広く普及しないうちに・・・。

  長距離恋愛で使われるのも、電話。手紙というみやびやかな交信手段があるのだから、長距離恋愛こそ、頻繁には会えないことを逆に利用して、思いを手紙に乗せていくのがいいのだが、今の若い人たち、実際はどうしているのだろう。やっぱり電話、又はE-メールなのだろうか。

  電話のことを語るとき、「携帯」を抜きにすることはできない。そもそも、「携帯」が「携帯電話」と同義語というのが、あっという間に定着したことも、日本語観察者としては、驚きの一つである。「あんたの携帯貸してね」と言われて、携帯ラジオのことと思う人は、今や、日本中に一人もいないのではないか。日本語の問題というより、恐ろしいまでの携帯電話の普及のほうに思いをいたすべきであろう。

  日本中から、公衆電話があっという間になくなりつつある。あれだけ隆盛を誇ったテレホンカードも、使われることは激減した。そもそも、公衆電話がみつからないのだから、あたりまえ。これも、携帯電話が電話の世界を席捲してしまった結果と言うべきだろう。

  携帯電話は、コミュニケーションの革命である。そもそも、小学生が自分用の携帯電話を持つのが不思議でなくなった。一方において、六十五歳以上の人で、携帯電話を使ったことがない人の割合は、(多分)相当に高い。私の八十三歳の母親も、「携帯電話さわったことない派」の一員。今や、携帯派と非携帯派は、世代間で歴然としている。

  携帯電話でしゃべる日本語と、固定式電話でしゃべる日本語は、かなり違うと私は思っている。歩きながら電話するなんてことは、一昔前は考えられなかった。ちょっと前までなら、一人きりで歩きながら、話をしたり笑っているのは、かなり気持の悪い種類の人間であった。今や、日本中どこでも見られる景色になってしまった。

  一日の会話時間を十としたら、そのうち電話での会話は一以下であったろう。今や、携帯電話を使いまくる子どもたちの間では、三ぐらいまで行っているのではないだろうか。これを悪いことと断定はできないが、かなり変な現象ではある。今に、四,五人以上のグループでは、うまく話せない症候群のようなものが出てくるのではあるまいか。

  携帯電話にしても、固定式電話にしても、ふつうにしゃべっている分には、別に、「電話特有の」といったことは意識しない。電話の冒頭の「もしもし」というのは、ふつうの会話ではあまり使わない「電話特有言語」かなというぐらいのものだろう。

  急に意識させられるのが、留守番電話。「ただいま留守にしております。ご用件のある方は、ピーッという音の後に・・・」というやつである。結構あせる。「30秒以内で」とか言われるからなおさらである。どのぐらいくだけた感じでしゃべったらいいのか。言いたいメッセージを的確に伝えられるかどうか、自信が持てない。かといって、留守番電話ごときに、原稿を作るなんていうのは、プライドが許さない。めんどうでもある。そんなこんなで、心は乱れるのである。しかも、相手には録音されているわけだから、大げさに言えば、永久に残る。

 逆に考えれば、留守番電話で、それぞれの言語能力、コミュニケーション能力が試されるということ。どうですか、留守番電話をかけまくって、自らの言語能力を鍛えることにしては。


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