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月刊年金時代2013年6月号
新・言語学序説から 第113

「日記について」

 日記についてこの連載で書くのは2回目である。前回書いたのは、2011年2月号の第85回のこと。今回、同じテーマで再び書くのは、最近、日記にまつわる二つのエピソードがあったから。

 先日、「加藤俊一教授退職記念祝賀会」が開催され、私も出席して祝辞を申し上げる機会があった。加藤俊一教授は、東海大学医学部開設当初からの38年間、病院の発展と造血幹細胞移植の分野で大きな役割を果たして、このたび定年退職とあいなった。

 私が祝辞をおおせつかったのは、加藤君が仙台第二高等学校の同級生であり、高校時代の親友という縁があったからである。祝辞には、小道具を二つ用意した。その一つが、高校三年時代の日記である。

 「高校時代の友人だから、加藤君と呼ばせてもらいます。加藤君とは、仙台二高三年生の頃から親しくなりました。加藤君は、ほぼ毎日、学校帰りに我が家に寄って、『受験、受験ばかりの高校生活はおかしい』などという議論をしていくのです」と紹介して、小道具の日記を取り出す。

 「この日記には、頻繁に加藤君の名前が出てきます。ある日の日記に、『加藤俊一君ほどいい奴はいない』とあり、次の日には『加藤くらい嫌な奴はいない』と書いているんですね。愛憎半ばするということです」というところで、会場が笑いにつつまれる。

 「縁は不思議なもので、高校卒業後45年、私がATL(成人T細胞白血病)を発症した時に、事実上の第二主治医を買って出たのが加藤先生でした」と続けて、私がこうやって祝辞を述べさせてもらう第二の理由を説明する。

 病気の話になったところで、「病気になって得るものばかりでした。失ったのは、髪の毛だけです」と言いながら、小道具第二号の帽子を脱ぐ。会場がまた笑う。出席者のほとんどが、造血幹細胞移植(骨髄移植や臍帯血移植)の関係者なので、移植治療で髪の毛が抜けることは、先刻ご存知である。

 第二の小道具はともかく、小道具に高校時代の日記を使ったのが、祝賀会出席の皆様に受けたようである。祝辞を終えて降壇したら、「そんな古い日記、よく持っていましたね」とか、「ちょっと見せてください」(←「だめです」)と言ってくる人がいた。

 加藤君からは、祝賀会の数日前に「祝辞をお願い」と言われていた。すぐに、高校時代の日記を使ってやろうと思い立った。日記を引っ張り出して読み出したら、これがなかなか面白い。鉛筆書きのヘタクソな字で綴られているのは、大学受験のことと片思いの女性のことがほとんど。「加藤俊一」の名前が出ている箇所に付箋をつけつつ読んだが、12カ所目からは面倒になってやめてしまった。

 日記を書いている17歳の少年(私のこと)は、それなりにものごとを考えているが、大人にはなりきっていない。けなげだなとか、いじらしいと思えるのは、記述に幼さを残しているからだろう。青年と呼ぶのははばかれる。せいぜい、背伸びしている少年である。

 このエピソードがあってから1ヶ月ぐらい経った頃に、「アンネの日記」(深町眞理子訳)を読んだ。読まずに書架に積んでおいた本の中から、何の気なしに取り出したものである。こんな有名な本を今頃読むのは気恥ずかしいと思いつつ読み始めたのだが、考えさせられるところが多かった。

 14歳の少女が、自分のことを冷静に、客観的に見つめていることが印象深い。17歳の史郎少年(私のこと)の日記では、ここまで深い自省の言葉はない。毎日の日記の書き出しが、「親愛なるキティーへ」であるところは、子どもっぽさも残っているようだが、日記を架空の友人へのメッセージとしたことにより、日記が書きやすくなるという効用がある。

 そもそも、日記を書くのは何のためだろうか。「アンネの日記」の冒頭に書かれていることが、その答である。「あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうか私のために、大きな心の支えと慰めになってくださいね」。

 日記を書くという行為は、誰かに強制されてでもなく、誰かのためにでもなくなされる自然なことである。もっと言えば、書かずにいられない、書くことによって心の平安が得られるといった種類の行為である。誰のためでもない、自分のためにこそ日記は書かれる。誰かに見せることを予定していない。未来の自分に読んでもらうことは、頭の隅にあるような気がする。加藤教授への祝辞で引用した日記は、46年後の自分(私のこと)に読んでもらっている。

 「アンネの日記」の場合、自分とキティーちゃんだけに読ませるつもりが、結果的には、何百万人の読者(私を含む)によって読み継がれている。アンネ・フランクは、隠れ家でひっそり日記を書いている時に、こうなることを予想していただろうか。期待していただろうか。

 「アンネの日記」に綴られていることは、隠れ家での生活でアンネが経験したこと、考えたことに限られている。特に劇的な事件が起こるわけでもないし、書いているアンネが特別な少女でもない。それでも、読者の心を打つのは、アンネが強制収容所で非業の最後を遂げたことを知っているからである。

 「アンネの日記」が消失しないでよかった。戦後の読者は、ヒトラーの暴虐の犠牲者を生身の人間として身近に感じられる。ユダヤ人虐殺への怒りを共有することもできる。アンネは意識していなかったが、これこそが、日記の存在意義である。

 「アンネの日記」ほどではないが、私の高校生日記も消失していないでよかった。加藤君への祝辞で小道具として役に立ったのだから。そんなことも、2001年6月から続けている「ジョギング日記」に書いておこう。こちらは、「浅野史郎夢らいん」に掲載する「公開日記」である。そもそも、リアルタイムで公開される日記というのは、論理矛盾ではないかと思いつつ。


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